『これはこれはっ! ツェデック伯爵様っ!』
『おおっ! ファトゥナ子爵殿! いやぁ~~此度はさぞ遠いところから、ここ王都までお越しいただき、ご苦労様でっ!』
『滅相もございませんっ! いつもツェデック伯爵様の開発される魔道具には、大変お世話になっておりましてっ……。こうして直接、感謝の意をお伝えさせていただけること、喜ばしく』
『いやはやいやはやっ! まぁまぁまぁ、そこまで固くならずとも。今日は第一王女の生誕ですぞっ! 細かいことは気にせずに、共にこの瞬間を祝いましょう! それに、ファトゥナ子爵家には代々大切な土地を護っていただいているわけですから……持ちつ持たれつ。こちらこそ、日々の勤めに感謝します』
『あぁなんて大変ありがたきお言葉っ……! このファトゥナ・セレネ子爵家当主、これからも身を粉にして、この国に貢献し…………おや?』
――…………ぱーぱ。
『ツェデック伯爵様。その……足元に身を隠された可愛らしい御令嬢様は……』
『……ん? おっとっ! ザフィロじゃぁないかっ! あららっ? さっきまでママのところに居たんじゃなかったのかい?』
――…………ままのとこにもいた、けど。ぱーぱのとこにも、きた
『ツェデック伯爵様、もしやっ……』
『えぇ! 先月ちょうど2歳になった、一人娘のツェデック・ザフィロです』
――…………ぱーぱ。この、ひとだーれ?
『なんとまぁっ! はじめまして、ザフィロ御嬢様! 私、遠き森の地方より参りました、ファトゥナ・セレネ子爵家当主でございます。この度はその素敵な御顔を見れたこと、大変嬉しく思います』
――…………ふぁと、な……せれえね?
『はっはっはっ! さぁザフィロ、隠れていないで、君も挨拶してごらん?』
――…………やだ。
『『………………え?』』
――やーだ。ぱーぱ…………だっこ。
『はっはっ……えぇっ!? ウソだろうザフィロ!? そんな、お前ってやつはっ……! せっかくのお披露目だというのにっ……! あーっははっ……子爵殿も申し訳ないっ! どうやらうちの娘はかなりの人見知りなもので…………』
――……だーっこ。だぁーっこ。
『いえいえっ、お気になさらずっ……! しかしまぁ、なんとも愛くるしい娘様で』
『よいしょっと……。いやぁ、なんと言い訳のしようも…………育ても大変なもので、なかなか手がかかるや心配ごとが増えるやら……』
――…………ねぇ
『…………ん?』
――……ねぇ、ぱーぱ
『ど、どうした……ザフィロ?』
――…………へへっ
――――いいにおいっ。
* * *
「ぜぇ……はぁ……はぁ…………」
「あ、危なかった…………」
巨大な眼球の化け物を討伐したことによるものか。はたまた、アグゼデュスとの激しい戦闘による影響のものか。
突如、空間全体を大きな揺れが襲い掛かれば、書庫の迷宮は奥から順に崩落していき。
「あと、ちょっとでも……気づくのが遅かったら…………」
周りの壁やら大量の本棚と本の雪崩れに巻き込まれそうになった彩楓とアリー、そしてザフィロら3人は。慌てて書庫室の入り口側へと向かって走り続けてどうにか。
ほんのギリギリのタイミング、完全に書庫室が瓦礫で埋め尽くされるその手前で入口扉の外へと脱出することができていた。
「はぁ……はぁ……。ちょ、ちょっと休みま……しょうかっ……」
書庫室の入り口扉から雪崩れるように飛び込んでは。地面へと倒れ込んだ彩楓はすぐに起き上がれず、暫し俯いたまま肩で息をして。
息切れを起こしては、滲む痛みが肺のなかを回りまわり。
突発的な稼働によるものか、はたまた急な命の危機に直面したことによる恐怖からか、心臓の鼓動は早打ち続け。
「はっ……はっ……。すぅっ……!」
静けさ訪れる空間のなか、彼女の耳には微かな鳴りが煩わしさを産む。
ようやく余裕が持てるようになれば、ゆっくりと後ろを振り返り。半開きとなった大金具の扉を見つめては、その隙間から垣間見える瓦礫や書物の端切れ、溢れ出る木くずに折れた木材によって、内側が完全に塞がれてしまっていることを確認させられるのであった。
「(いろいろあったが……結局出口は見つからず、か…………)」
鈍くなる思考のなか、一度ここまでの出来事を振り返ろうとする彩楓。
ここまで来るのにでさえ、さまざまに受難させられては。
一難去ってはまた一難と。
迷い、追われて助力を得たかと思えば、二度目の怪異に命狙われ今度は災害に見舞われてしまい。
「(いったい……私は…………)」
一体、自分はあとどれくらいの試練を乗り越えなければならないのか。
命助かったとはいえ、結局ここまで出口への手がかりは微塵も掴むことは出来ずして。
呼吸も整い始めれば、若干朧げとなっていた視界も次第にクリアとなっていき。
映る彼女の視界その目の前には、変わらず“警告”を示す赤の点滅パネルが表示されており。次々と襲い掛かる現実に、彼女のなかの、命辛々逃げ切ったことへの安堵感はすぐに消え去られては、じわじわと。再び黒い霧が胸中と脳内を渦巻き、浸食しようとする。
「(大丈夫だ……だいじょうぶ…………)」
嫌な焦燥感に囚われてはならないと。すぐに彼女は目を閉じ深呼吸を繰り返しては、乱れそうになる心を、半ば強制的に押さえつけるように、己に暗示をかけ整えようとするも。
どうしてか――。
『ねぇ、遊びましょう?』
「――っ!」
その瞬間、なぜか。
先ほどまで闘い、そしてアリーの術によって倒されたはずの、黒薔薇の怪異の声が。
あの、魂を直接撫でるかのような、ヒトの恐怖心を煽り増幅させるような声が。幻聴のように、彼女の耳元で囁かれては、暗闇の視界の中には、死んだはずのアグゼデュスの可憐な姿が鮮明に映し出されるのであった。
「(いや…………まさか、な……)」
その現象に、思わず再び書庫室の入り口扉のほうを向いてしまう彩楓は。完全に崩落し、もう誰も入ることも、出ることも出来なくなった大金具の扉を凝視して。
アリーの術に倒されて以降、一度も目を覚ますことのなかったアグゼデュス。
崩落が始まった時でさえ、大理石の上を黒き体液に染めたらばそこから最後まで起き上がることはなく。
逃げる彩楓達を追いかけることも、襲い掛かることもない。ただただ下敷きとなったが結末となり、その身は潰されてしまったはずだと。
「(気のせいだ……そうだ、もう怖がることはない……)」
扉の内から一切の物音は聴こえてくることなく。
はぁっ、と一息。目に見えるもの、そして五感で得られた情報にどこかすがるようにしては。
改めて、もう二度と。あの怪異と闘わなくていいのだと、憑依する幻想を祓うよう小さく首を左右に振り。
「…………アリーさ」
そして、少し先にいるはずのアリーへと声をかけようとした――。
――――その時
「どうなっているっ……どうなっているんだっ!!!!」
唐突に。
「――っ!」
彩楓の前からは怒号にも近い、野太い叫び声が轟けば。
「ここはっ……ここは本当に生命の樹の中なのかっ……!?」
顔を上げた彩楓が見つめる先には、前を向いたまま釘付けとなり、目を見開き困惑するアリーの姿が。
「あ、アリーさんっ、どうかしたっ……。――っ!?」
ただならぬ様相に、思わず彩楓も何事かと。アリーが見つめる先と同じ方向へと顔を向ければ。
そこには。
「………………は?」
そこには、なんと。
「…………エレマ部隊基地……?」
この異世界アレットにあるわけがない。
あるはずもない、数々の機械や装置が置かれた広大な部屋が広がっていたのだった。
「なんで……どうして……」
アリーはもとより当然とし、彩楓が驚くのも仕方がない。
僅かな光源によって照らされる、数え切れないほどのモニター調の壁面によって囲われた異質な空間。
明らかに、機器に電力を通すためのモノであろう送電管が何匹もの蛇のように地面を這えば。
自然が織り成すはずの空間からは匂うはずもない、オイルに錆びた工具、それにビニルの微かな臭さが彼女らの鼻腔に微かな嫌悪感を与えては。
埃を被った箱型の機械の上には、幾つもの碧基調の透明パネルが搭載された電子工材が乱雑に置かれ放置されたまま。積まれる中には割れたものや、まだ使えそうな代物が混ざり合ったりなど――。
「どれも、これも……まさか、そんな…………」
触れることができる。
手に持つことができる。
重量を感じ取ることができる。
夢でも幻でもない。
“生命の樹”。
大自然のなかに聳え立つ、この異世界アレットに生息する生物全ての命を支える素粒子を産む存在の内側に。
自然の摂理その頂点に君臨し、これまで幾千年とも転生と成長を繰り返しては、幾層の異次元空間を織り成し奇跡の所業を示し続けていた、その内部。その内部に。
自然とは正反対。明らかな人工物に埋め尽くされた空間が。どこからどう見ても、生命の樹が持つには全く以って似つかわしくない場所があり。
「どうしてここに……部隊基地のような場所が…………」
驚愕なんてどころじゃない。
あまりにも、想像もし難いこの状況。
一瞬、知らぬ間に何かを踏んだきっかけで、アレットから地球へと帰還出来たのかと錯覚してしまった彩楓であったが。
備えつけられていた機材を見続けていれば、それらは既にボロボロとなっては、再び動く気配もなく、段々と。
“ここで、何者かが作業をしていたのか“。
段々と、ほとんどが錆びれた状態でここに遺されたものであることに気が付き始めれば、明らかに人の手が加えられていたと知覚して。それはだいぶ過去の出来事として起きたものだと、無理やりにも理解させられてしまう。
「こんな、ところ…………」
当然。
「こんなところ……ここに着任してから一度たりとも訪れたことなど……。マルカ殿からも、リフィータ王女からも聞かされたことなんて…………」
当然、目の前に広がる光景が、彩楓が知る世界に近しい景色であれば。それは逆に、アリーにとってはこれまで生きてきたなかで一度たりとも、見たことも感じたこともない世界なわけであって。
「いったい……いったい生命の樹はどうなってしまったんだっ……」
魔族の侵入を許してからというもの、生命の樹その内部へと向かって以来ここまで。他と同様に、魔族オーキュノスの術によって造り替えられた空間に翻弄されてきたアリーだが。
いまこの時。目に映るものすべてが、自分の想像に無いものばかりだと直面してしまえば、彼の胸中に与える衝撃は計り知れないものとなり。
“人は、想像がつかないものには恐怖が生まれてくる“。
レグノ王国現国王であるレム王から直々の勅命を受け、この地フィヨーツへと赴き任務へと当たり続けてきた彼は、いまこの異変を見てしまっては言葉を失い。
己が生きるこの世界の、全ての生き物の根幹を支える生命の樹がこうにも変わってしまったのでは、と。
転生のせいか、魔族の術のせいなのかも分からない。
マナの供給に悪い影響が出始めているのではないか。
マナ不足による健康被害や、住めなくなる地域が出てくるのではないか。
最悪、この世界の生き物全てが絶滅してしまうのではないか、などと。
芽生えてしまえば一気に不安は膨れ上がっていき――。
「…………パパ」
「すぐにこのことを誰かに」
「…………ちょっと、パパ」
「いやっ、伝えたところで本当は全部が秘匿事項だとしたら……」
「うっぷ…………ねぇパパってば……」
「しかし、いずれこのまま放置しておけばいよいよこの世界はっ……」
「ねぇパパってばっ!!!!!!」
「――ぃいっ!?」
すると――。
「ざ、ざふぃろっ……!? ど、どうしたんだっ……!?」
「どうしたもこうしたもないわよっ!! さっきから呼んでも全部無視するだなんてっ……! いい加減にもう降ろしてっ!!」
顔は青ざめぶつぶつと、辺りを右往左往しては慌てるアリーの耳元へといきなり、肩に担がれていたザフィロが大声を上げると。
「えっ、あっ。あぁ……す、すまないな…………」
娘の叫び声に耳を劈かれたアリーは、痛みと走る耳鳴りに思わず顔顰めながら。ポカポカと、自分の顔や頭を叩く娘に申し訳なさそうな返事をしては、すぐに肩からゆっくりと地面に降ろす。
「うぷ…………。揺らされすぎて、気持ちわる…………うっ……ぷ」
書庫室からここまでずっとなすが儘に担がれていたザフィロは、ようやく下へと降ろされた途端、顔色悪くしては胸を押さえ、吐き気を催してはそのまま力なく俯せに倒れ込んでしまい。
「す、すまないな……ザフィロ。ほら、パパが背中を擦ってあげるから……」
そんな娘の姿を見ては、心を痛めてしまう父。
すぐに娘の容態を心配し介抱しようと。
「…………ほら」
「うっぷ…………」
小さく丸めた背中をその温かく大きな手で触れようとした。
『よくもやってくれましたわね』
その時、だった。
「「「――っ!!」」」
突然。
「“
忘れるはずもない。記憶の奥底に刻まれた、あの悍ましく撫でるような声が聴こえたらば。
「ま、まさかっ……!」
みな、ほぼ反射的に。その声色の出所へと振り向けば、そこには。
「キャハハハハハハハハハハッ! 勝手にわたくしめを置いていかれるなんて、本当に酷い方々ですね」
そこには、先ほど倒されたはずの、黒薔薇の怪異。
「お、おまえっ……なぜっ!」
アグゼデュスが、何事もなかったかのよう澄ました佇まいを披露し妖艶に微笑んでいて。
「どうしてって…………あら? 先ほどの舞いの最中、わたくしめには貴女方からの手ほどきは一切受け付けないと、そう学ばれなかったのでしょうか?」
驚愕するザフィロの問いに、さぞ嬉しそうな反応を見せては。
小馬鹿にするよう、その場でお道化て一回りとし。
そして。
「そんなことより…………」
ふと、片足で立ち止まったアグゼデュスが続けて、手を伸ばしある一点を示せば。
「…………ふふっ」
そこには、なんと
「………………カハッ!」
「「――っ!!」」
アグゼデュスの躰から伸びた蔓に腹を貫かれた。
「まずは…………おひとりさまっ」
アリーの姿があったのだった。
「…………パパァァァぁぁぁぁっ!!!!!!!!」