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89話:2人の醜い嫉妬

 唇から全身に波のように広がっていく甘くとろけるような感覚に、キュッリッキは頭の芯が痺れて恍惚となった。身体の力が抜けて、メルヴィンの両手に支えられながら、ようやく座っていられるほどだ。

 メルヴィンの手が身体に触れるものとはまた違う。柔らかで甘美な刺激が、心の奥底をくすぐるようだった。

 以前薬を口移しで飲ませてきたアルカネットや、ベルトルドが喜ぶだろうとお礼の気持ちで唇を押し付けた時には、けっしてこんな感覚はわかなかった。


(キスって、相手が違うだけで、こんなにも違うもの…なのかな…)


 やがてメルヴィンがそっと唇をはなすと、キュッリッキは急に唇に孤独を感じて、さみしい気分に襲われた。


(もっと、して欲しいのに…)


 恍惚の光が揺蕩う瞳が、甘えるようにメルヴィンに向けられる。せがむように、求めるように。それを感じ取り、メルヴィンは再び唇を重ねた。今度はより深く、柔らかな唇を味わうように貪った。

 細い肩をさらに抱き寄せ、忍ばせるようにそっと舌を差し入れる。

 うっすらと目を開くと、キュッリッキは目を閉じていた。白い頬をほんのりと紅潮させ、全てをメルヴィンに委ねるような、無防備な表情。そして、メルヴィンの舌に応えるように、恐る恐るといったようにキュッリッキの舌が絡んできた。その瞬間、愛おしいと思う気持ちが強く高鳴り、細い背に手を回して抱きしめた。胸の奥が熱くなり、激しくキュッリッキを求める気持ちが全身を襲った。しかし自制心が、徐々にはやる気持ちを鎮めていく。


(焦ってはだめだ……)


 まだ、キスを交わしたばかりなのだから。

 名残惜しむように2人は唇を離すと、暫く見つめ合い、そしてキュッリッキはメルヴィンの胸に顔をうずめた。

 心がキュンっと高鳴るような、生まれて初めてのキス。まだ唇に残るメルヴィンの唇の感触。

 恥ずかしいと思う気持ちを上回るほどの、甘美で優しい時間。細胞のひとつひとつにまで刻まれたメルヴィンの想い。

 そして、愛していると言ってもらえた。

 かつてベルトルドやアルカネットに言われた時とはまた違う。

 ベルトルドやアルカネットの愛は、キュッリッキにとって、親の愛情のようなものだった。2人は恋愛感情だと言い張るが、キュッリッキにはそういう感覚はいまだに湧いてこない。たとえ血のつながりはなくても、父親のような存在だから。

 しかしメルヴィンは違う。キュッリッキが初めて異性を意識した相手なのだ。


(メルヴィン大好き。とってもとっても大好き、一番大好き!)


 メルヴィンの体温を快く感じながら、キュッリッキはいつまでもこの時間が続けばいいのに。そう、心の底から願っていた。



* * *



 ドアの前まで来ると、目の前の少女は急にしょんぼりとした表情になった。それを見て、メルヴィンは苦笑する。


「このままオレと一緒に、エルダー街へ帰りますか?」


 穏やかに語りかけると、ちょっと悩む風な素振りを見せたが、小さく首を横に振った。


「んーん、ちゃんとベルトルドさんたちに話してから帰る。急に居なくなったら、凄く心配させちゃうから」


 そうキュッリッキは真顔で言った。


「そうですね」

「だから明日になったら、絶対迎えに来てね、メルヴィン!」

「はい。今日と同じくらいに、迎えに来ますね」

「うん、きっとね!」

「きっと」


 キュッリッキは躊躇いかちに、小さな小指を差し出した。どこか緊張気味に、そして顔を赤くしている。その様子に、メルヴィンは笑いをこらえて小指で握り返した。


「これで約束です」


 パッと顔を明るくしたキュッリッキに、メルヴィンは微笑んだ。

 こういうところは、まだ子供っぽさが残っている。でも、それが逆に好ましく思えた。そして、どうしようもなく愛おしさが増していく。慌てて背伸びせず、ありのままでいてくれるから。


 小指を結んで約束ができて、嬉しそうにしているキュッリッキを、メルヴィンは抱き寄せてキスをした。かけがえのない、大切な女性ひと。こうして腕に抱き、想いを噛み締めるように唇を重ねた。

 これから共に歩んでいく。

 キュッリッキは心に大きな傷を抱えている。そう簡単に癒せるものではないだろう。

 全てを打ち明けられ、かつて怪我で臥せっていた彼女が、時折夜中に泣き声や悲鳴をあげていた理由も理解できた。この先またそういうこともあるだろう。その時は必ずそばにいて支え、慰めよう。心安らかな眠りが出来るようになるまで。

 ベルトルドでもなく、アルカネットでもない。必ず自分が、キュッリッキを守るのだ。

 この時初めて、ベルトルドとアルカネットに対抗意識が芽生えた。これまでは漠然とした嫉妬心しかなかったが、今ははっきりと対抗意識を持ったことが自覚できる。

 唇を離すと、腰が砕けたように座り込みそうになるキュッリッキを、慌てて抱きとめた。


「だ、大丈夫ですか?」

「う…うん、平気…かな」


 とろんと蕩けそうな表情で、メルヴィンにしがみつくように立った。さすがにまだ気持ちに身体がついてきていないようだ。

 それでもどうにか一人で立てるようになると、安心してメルヴィンはアジトへと戻っていった。

 夕暮れの中、メルヴィンの姿が見えなくなるまで見送って、キュッリッキはやしきの中へ入る。


「お嬢様! お帰りなさいませ、どちらへいらしていたんですか心配しましたよ!」


 メイドのアリサが血相を変えて、すっ飛んでくるように駆け寄ってきた。


「ただいまアリサ。ちょっとイフーメの森まで行ってたの」


 心の中で、メルヴィンと一緒に、と付け加える。


「そういえば、セヴェリさんは?」


 出迎えには必ずセヴェリが応対する。そのセヴェリがまだ姿を見せず、アリサが出てきてキュッリッキは首をかしげた。セヴェリが出られないときはリトヴァが代わりをするはずなのにと。


「それより、旦那様がたが、応接室でお待ちになっておりますよ」

「ベルトルドさんたちもう帰ってきたんだ」

「はい。とにかく、このままおいでくださいまし」

「うん」


 アリサに急かされるようにして、応接室へ向かう。

 初めてベルトルド邸へ来たときに、通された部屋だった。

 まずアリサがノックをして、キュッリッキが帰ったことを告げてドアを開けた。


「さ、お嬢様」


 押し込められるように応接室へ入ると、青い天鵞絨張りのソファの上座にベルトルドが、その斜め右側にアルカネットが座っている。そして2人共にこりともせず、難しい表情を浮かべていた。


「ただいま」


 頓着しない様子のキュッリッキに対し、ベルトルドはしかめっ面でアルカネットの対面側のソファを指差す。


「座りなさい」


 有無を言わせない迫力のこもった、しかし抑えた声で言われて、キュッリッキはちょっと首をかしげたが素直に座った。


「セヴェリさん、リトヴァさん」


 ようやくドアの近くに控えるように立つ2人に気づく。


「こんな時間まで、一体どこへ行っていたのかな」


 ベルトルドは腕を組み、険しい表情をキュッリッキに向ける。


「イフーメの森まで」

「一人で行ったのかな?」


 途端、キュッリッキは顔を真っ赤にして俯いた。そして、両手で頬を抑えると、小さな声で、


「メルヴィンと……」


 そう言って、恥ずかしそうに目を閉じた。

 ベルトルドとアルカネットは眉をひくつかせ、アルカネットは感情を抑え込むようにして、膝頭をこれでもかと握り締める。


「あ、それでね、アタシ明日、エルダー街のアジトに帰るね」


 嬉しそうに言うキュッリッキの様子に、堪りかねたようにベルトルドがぷっつんとキレた。


「ダメだ! 今後ハーメンリンナの外に出ることは許さん!!」


 応接テーブルに拳を叩きつけ、怒鳴るように言った。ベルトルドの態度があまりにも普段の様子とかけ離れすぎていて、キュッリッキは面食らって目を白黒させてしまった。


「リッキーはもう、傭兵はしなくていい。ずっとこのやしきで暮らす、いいな」

「な、なんで!?」


 吃驚したキュッリッキは、ベルトルドのほうへ身を乗り出した。


「すでに皇王と社交界にお披露目を済ませた召喚士だ。定住地として正式にここ、ハーメンリンナの俺のやしきがリッキーの住まいとして登録してある。召喚〈才能〉スキルを持つ者は、大切に国で保護し、一生危険とは無縁の暮らしを約束している。もう傭兵なんてする必要はない。これからは、ここで安全に暮らしなさい」

「このおやしきにいれば安全です。そして外出をするときは、必ず供の者と一緒に出るようにするのですよ。まさか、我々の留守中にメルヴィンがきて、あなたを連れ出すなんて……巫山戯た真似をしてくれたものです」

「何を言ってるの2人とも……」


 ベルトルドについで、アルカネットからも畳み掛けられるように言われて、キュッリッキは頭が混乱してしまった。


「メルヴィンはアタシに会いに来てくれてたんだよ。これまでずっと会いに来てくれていたのに、セヴェリさんとリトヴァさんに口止めするなんて、酷すぎるんだから!」

「そうだ、命令を守らずリッキーが飛び出していくのを止めなかったそうじゃないか。全く、使用人風情があるじの命令を無視するとは、いい度胸だ」


 心底怒っているのだろう、ベルトルドの声は普段優しく話しかけてくる声とは違っていた。そのことに、初めてベルトルドにゾッと恐怖を感じた。

 しかし、その恐怖に竦んでいる場合ではない。


「ふ…2人は悪くないんだよ……、勝手に外に出たのはアタシのせいなんだもん! それにメルヴィンがきた、とは言ってないからね」

「名前を告げずとも、ニュアンスで判るように教えたのだろう。同罪だ」

「なんで、そんなこと言うの……」


 先程まで幸せでいっぱいに満たされていた心が、急激にしぼんで萎れていってしまった。

 ベルトルドやアルカネットだけではなく、このやしきの使用人たちは皆キュッリッキに優しい。セヴェリやリトヴァも、それは献身的に面倒を見てくれるし、上流階級育ちではないキュッリッキに、色々なことを教えてくれた。仕事の枠を超えるほどの愛情を示してくれるのだ。

 メルヴィンと結ばれる架け橋をしてくれた2人に、キュッリッキは心から感謝しているというのに。その2人の好意を、ベルトルドとアルカネットは責めている。それがとても悲しい。


「セヴェリさんとリトヴァさんは悪くないし、メルヴィンもアタシに会いに来てくれただけで、やしきを抜け出たのはアタシの勝手なんだよ」


 むっすりと頬を膨らませ、キュッリッキはワンピースの裾を握り締めた。


「ベルトルドさんにもアルカネットさんにも関係ないんだから。アタシはアタシの生きたいように生きるし、傭兵だってやめないもん」


 ベルトルドもアルカネットも、厳しい表情を和らげない。


「今からエルダー街へ帰る」


 むくれたままスッと立ち上がり、ドアのほうへ身体を向けようとすると、何かに掴まれたように動かない。


「駄目だ」


 ベルトルドの超能力サイによって身体の動きを拘束されていると気づき、キュッリッキは険しくベルトルドを睨みつけた。


「放してよ!!」

「いい子だから、聞き分けなさい」

「いやっ! メルヴィンのところへ帰るのっ」

「リッキー!」

「ベルトルドさんのバカっ! 大っ嫌い!!」


 キュッリッキはついに泣きながら怒鳴った。その瞬間、キュッリッキの心が流れ込んできて、ベルトルドは渋い顔で内心舌打ちした。

 メルヴィンと結ばれ、共にエルダー街のアジトへ帰りたい気持ちを抑え、ベルトルドとアルカネットにアジトへ帰ることを話す。沢山世話になっているし、黙って帰ることはできなかった。

 2人はキュッリッキにとってはだいじな人たちで、メルヴィンとのことは喜んで欲しい。今とてもとても幸せなのだということを知って欲しかった。なぜなら、2人はキュッリッキの不幸な生い立ちを知っている。こんな幸せは初めて味わうのだと、判っているから。

 一緒に喜んで欲しかったから。

 塑像のようにその場に立ちすくして泣きじゃくるキュッリッキを、セヴェリとリトヴァは痛ましく見つめた。

 応接室に入ってきた時のキュッリッキの、幸せに満ちた表情を見て、心から嬉しくなった。やっと想いが通じ合ったのだと。しかし目にいれても痛くないほどキュッリッキを溺愛している2人が、どのような仕打ちをしでかすか。あらかじめ想像はついていたが、案の定この有様である。

 自分たちが口を挟めば、事態がこじれるのは想像がつくので、2人は堪えるように口をつぐんでいた。


「やれやれ全く、オトナ気ないったらありゃしないわ、あーたたち」


 そこへ突然オネエ口調の声が、ドアを大胆に開けて入ってきた。


「小娘を大人2人がかりで、何イジメてンのよ」

「人聞きの悪い言い方をするな…」


 バツの悪そうな顔でベルトルドがぼやく。


「何をしに来たんですかリュリュ?」


 心外そうな表情かおでアルカネットに言われ、リュリュは肩をすくめた。


「仕事ほっぽり出してきたあーたたちが、エラソーに言ってくれてんじゃないわよ」


 リュリュはツカツカとキュッリッキの傍らに行って、そして涙に濡れる顔を覗き込んだ。


「せっかくの美少女ぶりが台無しよ。そんな泣きっ面でアジトへ帰ったら、みんな心配するでしょ」


 しゃくり上げながらリュリュを見上げ、キュッリッキは僅かに首をかしげた。


「今日はもう遅いし、メルヴィンには明日迎えに来るよう約束したんでしょ」


 小さくウィンクされて、キュッリッキは小さく頷いた。

 リュリュも超能力サイ使いだということを、うっすら思い出す。


「今からそんな顔でアジトへ帰っても、あっちも明日の予定で待っているんだろうしネ。ちゃんと食べて、お風呂に入って、寝て、笑顔たっぷりの抜群のコンディションで帰りなさい」

「う、うん」

「こら、リュー」

「おだまり。小娘にフラレた腹いせに、2人がかりで八つ当たりすんじゃないよっ!」


 思わずグッとなるベルトルドとアルカネットに、リュリュは目を細め、冷ややかな一瞥をくれる。


「みっともないったらありゃしない。こんなに小娘泣かせて、あーたたち幾つの大人なのよ! 好きなコにイジワルする領域をはるかに越えまくってるわよ。恥を知りなさいナ!」


 逆に説教を食らう羽目になり、ベルトルドもアルカネットも困ったように固まった。

 キュッリッキが泣き出しても、気にもならないほど嫉妬で我を忘れ、怒り心頭だったのだ。


「あ…」


 ふいにキュッリッキは尻餅をつくようにソファに座り込んだ。ベルトルドの力が解けたのだ。

 リュリュが口を閉ざすと、室内に沈黙が漂う。

 テーブルに視線を貼り付けていたベルトルドが、やがて深々としたため息をついて立ち上がった。そして、キュッリッキの傍らに座る。


「…無理な仕事へは行くんじゃないぞ」


 どこか子供のように拗ねた顔をするベルトルドを涙で濡れた顔で見上げ、キュッリッキは頷く。それを横目でチラリと見て、ベルトルドはキュッリッキをぎゅっと抱きしめた。


「もう二度と、危険なめには合わせたくない。リッキーが心身共に傷つくことも嫌だ。こうして俺の手元に置いて、ずっと守ってやりたい。俺はリッキーが誰よりも大好きで愛している。それだけは判ってほしい」

「うん……」


 ベルトルドの腕の中でじっとしながら、キュッリッキは小さく返事をした。




 ベルトルドたちから解放されたキュッリッキは、リトヴァに付き添われて自室に戻った。


「夕食は一緒にとろう」


 応接室を出るときに、そうベルトルドから言われた。いつもの、優しい声で。

 明日エルダー街のライオン傭兵団のアジトへ帰ることを許してもらった。アルカネットはまだ何か言いたげな顔をしていたが、複雑な表情を浮かべたまま黙っていた。


「お夕食の際のドレスは、これにいたしましょうか」


 衣装部屋からリトヴァが選んできたドレスに着替える。そして鏡台の前に座って、髪を整えてもらった。


「ごめんね、リトヴァさん。アタシのせいで怒られちゃって…」

「まあまあ、何をおっしゃいますの。わたくし共はなにも気にしてはおりませんよ。お嬢様の恋路を邪魔するようなことを、旦那様方がなさっていただけです。馬に蹴られて当然ですわ。その馬の役は、リュリュ様がなさいましたけれど」


 リトヴァの笑顔につられて、キュッリッキもクスッと笑った。


「これで、晴れてメルヴィン様と、恋人同士ですわね」

「恋人…同士」


 イフーメの森での、メルヴィンとキスしたことを思い出し、キュッリッキは真っ赤になった。

 そう、恋人になったのだ。

 再び喜びが奥底から湧き上がってきて、キュッリッキの顔に幸せで明るい笑顔が広がっていった。



* * *



「絶妙なタイミングで現れやがって、忌々しいやつ」

「あらん、本当に偶然だったのよ。あーたの女々しい八つ当たりの声と、傷ついた小娘の泣き声が聞こえてきて、思わずドアを蹴破るところだったんだからっ」


 すまし顔で紅茶をすすりながら、リュリュは鼻で笑う。


「ベルトルド様、本当にリッキーさんをエルダー街へ帰すおつもりですか?」


 納得いかないと表情に書き込んで、アルカネットが身を乗り出す。


「仕方ないだろう、あんなに全力で泣かれて、大っ嫌いなんて言われたんだ」


 愛する少女に「大っ嫌い!!」と怒鳴られたことは、ベルトルドの心に大きな衝撃と傷を与えていた。


「自業自得よ。我慢なさい」

「ぬぅ…」

「式典の放送で世界中に顔が知れ渡りました。イルマタル帝国のカステヘルミ皇女が乗り込んでくるのは予想外ではありましたが、ああしてリッキーさん目当てで侵入してくる輩も多いでしょう。ハーメンリンナの外へ出すのは危険です」

「ダエヴァの特殊チームに、24時間の護衛任務を命じておく」

「しかし」

「無理強いして、今後口も聞いてくれなくなったら、困るのは俺だ」

「ですが……」

「どうせ麻疹のようなものだ。今は燃え上がって盲目的になっているが、落ち着いてくればすぐに気づくさ。俺に比べれば、メルヴィンなど取るに足らない男だと」

「あなたではなく、私に比べれば、ですよ」

「あーたたちのその恥ずかしいまでの自信は、どこから噴火してくンのよ……」

「ほっとけ」

「余計なお世話です」


 双方に睨まれて、リュリュは「おー怖い」とわざとらしくのけぞってみせた。


「俺だって断腸の思いだが、リッキーは一旦、エルダー街へ帰す」

「………」


 アルカネットは、やはり納得がいかない表情で黙り込んだ。


「アルカネット」


 それきり返事もしないアルカネットに、ベルトルドはため息をついた。


「それよりリュー、ホントに何しに来たんだ?」

「さっきも言ったでしょ、あーたたち仕事をほっぽり出して帰ってきてるって。今日はシ・アティウスが旧ソレル王国から帰ってきてるから、報告がてら打ち合わせするってことになってたでしょ」

「あー……」


 忘れてた、と口パクで言って、ベルトルドは頭を掻いた。


「全くどーしようもないわね、小娘のことになると」


 キュッリッキが皇王との対面を済ませた翌日から、皇王の指示で陰ながら護衛がすでにキュッリッキには付けられている。それを一括管理する責任はベルトルドが担当なので、護衛官たちからの報告を逐一受けていた。それでメルヴィンと一緒に出かけたのを知って、アルカネットと共に仕事を放り出して帰ってきたのである。


「今から戻るのもなんだし、シ・アティウスにはこっちへ来てもらうように言ってあるわ。もうそろそろくるんじゃない」

「お前らの晩飯までは用意してないだろうし、適当に何か食えるものを用意させるから、俺たちが食べ終わるまで待ってろ」

「そうさせてもらうわ」


 ベルを鳴らして使用人を呼ぶと、そのことを指示する。


「さて、俺たちも着替えてくるか」

「お着替え、手伝ってあげるわよん?」


 唇を舐めずりながら言われ、ベルトルドはゾゾッとそそけだった。


「お前は俺の部屋に、絶対くんなっ!!」

「あーら、あーたのお尻の処女をもらった身としては、ついつい世話を焼きたくなるものなのよ」


 あの時のことを思い出し、ベルトルドは顔を真っ青にした。


「このド変態!!」


 モナルダ大陸での代理知事への引き継ぎを全部リュリュに押し付け、速攻とんずらを決め込んだベルトルドにぶちキレたリュリュは、すさまじい行動にでた。

 ハーメンリンナに戻ってくるやいなや、会議室へ乗り込み、目を丸くしているベルトルドのズボンと下着をずりおろして、全力で抵抗を抑え込みブチ込んだのである。

 その場に居合わせた行政官たちは、あまりの凄まじい光景に魂を抜かれる勢いだった。もはや会議どころではない。

 本来こうしたゴシップは、噂にして垂れ流すのが得意な行政官たちも、こればかりは触らぬ神になんたらで、墓まで持っていく覚悟で黙っていた。


「数日トイレが辛かったんだぞ!」

「毎日ヤってれば慣れるわよ」

「二度とヤらんわ!!」

「着替えにいきましょうか」

「やーん」


 アルカネットに首根っこを掴まれたベルトルドは、問答無用でずるずると引きずられて応接室を出て行った。

 それと入れ替わるように、シ・アティウスが応接室に入ってきた。


「あら、早かったわね」

「静かな怒りの剣幕のアルカネットにしょっ引かれてましたね。また、何かやらかしたんですか? ベルトルド様は」


「また」の部分を強調して言う。


「小娘が明日、エルダー街へ帰っちゃうから、面白くないのよアルカネットは」

「ほほう。では、無事立ち直ったんですね、キュッリッキ嬢は」

「ええ。メルヴィンとキスまでしたようよ」

「それは良かった」


 優しい笑顔でシ・アティウスが頷くと、リュリュはちょっと不思議そうにシ・アティウスを見た。普段能面のように表情を出すことが滅多にない男が、優しい笑顔になるなど殆ど見たことがないからだ。


「さて、っと。書斎へ行きましょうか。――ここでは話しづらい内容ナンデショ、例の報告」

「ええ」


 無表情に戻ったシ・アティウスが頷く。


「ベルたちこれからご飯だから、くるまで一杯引っ掛けてましょ」

「そうですね」



* * *



 夕食は見事に通夜のような静けさの中で淡々と進み、「おやすみなさい」という短い挨拶だけがかわされて終わった。

 ベルトルドもアルカネットも、次はいつになるか判らないキュッリッキとの夕食の時間だったというのに、メルヴィンへの嫉妬が積もりすぎて、会話がサッパリ思いつかなかったのだ。

 ガッカリ感を貼り付けた顔で、ベルトルドとアルカネットはトボトボと書斎へ向かった。


「ご飯終わったのん?」


 ウイスキーのグラスを傾けながら、リュリュが椅子にくつろいで座って出迎える。


「おう…」

「ええ…」

「世界でも終わりそうな顔してるわね、あーたたち」


 ベルトルドとアルカネットは、揃って重いため息をついた。


「では、眠くなる前に報告を済ませてしまいましょうか」


 ワイングラスをテーブルに置いて、シ・アティウスが椅子を立ち上がった。


「エルアーラ遺跡内の掃除と点検は無事完了です。ダエヴァを内外で警備につけさせ、侵入者は今のところありません」


 戦争の後始末の、もっとも陰に隠れているのはエルアーラ遺跡だった。さすがにベルトルドもそこまで手がまわらないため、シ・アティウスに権限を委ねて任せている。


「動力部も問題ありません。装置の運び込みが完了できれば、すぐにでも起動できるでしょう」

「ふむ」

「そして、ナルバ山の遺跡ですが、厄介な結界の解除方法が判りました」

「ほほお」

「あら」

「それはどういった方法で?」


 話を黙って聞いていた3人から興味深そうな反応を得て、シ・アティウスは口の端をほんの少し歪めた。


「その結界を解除するために、是非用意して欲しいものがあります」

「それは?」

「召喚士です」



* * *



 自室に戻って風呂に入りながら、キュッリッキは明日が待ち遠しくて胸を高鳴らせていた。

 エルダー街のアジトへ帰れば、毎日メルヴィンとひとつ屋根の下なのだ。会いたいときにすぐの距離で会える。昼でも夜でも毎日会えるのだ。それが嬉しくて仕方がない。

 柔らかなスポンジで身体を洗っていると、ふと自分の胸に目が向く。

 アイオン族の女性は、総じて胸の膨らみが小さい。多少個人差はあるものの、色香に欠けるサイズだ。


「もうちょっと、おっぱい大きくならないかなあ……」


 今までもぺったんこな胸のサイズに凹んでいたが、メルヴィンと恋人同士になった今、余計大きな胸に憧れる。

 メルヴィンとデートをするとき、胸の大きさをいかした大胆な服を着てオシャレをしてみたい。メルヴィンにつりあうように、もっと大人で女性的な雰囲気がにじみ出るような色香をまとってみたい。

 しかしこればかりは、どうにもならなかった。


「あと1、2年もしたら、もっともっと色っぽくなるかなあ、アタシ」


 そう呟いたとき、初めて自分の顔に興味を持った。

 シャワーで泡を洗い落とし、鏡の前に立って覗き込む。


「美人の基準ってどうなのかな、自分じゃ綺麗なのかブスなのか、ちっとも判んない」


 これまで顔に少しも関心を持たなかった。何故ならそんなことは生きていくことに、なにも関係なかったからだ。でも今は違う。


「毎日もっとお化粧もして、綺麗にしてなきゃだめだよね。服も子供っぽいのは止めようかな……ファニーやマリオンに相談しなくっちゃ」


 メルヴィンは11歳も年上で、隣に立つなら見合うように装わなくては。メルヴィンに恥をかかせるわけにはいかない。


「そうよ、アタシ、恋人になったんだから!」


 鏡の前で握り拳を作って気合を入れるが、恋人、と口に出すと全身がカッと熱くなって腰が砕けそうになる。


「早く、メルヴィンに会いたいな」


 愛おしい人の名を呟いて、キュッリッキはさらに頬を染めた。




 風呂から上がって部屋に戻ると、そこにアルカネットが居てキュッリッキはびっくりした。


「ア、アルカネットさん」

「お風呂に入っていたんですね」

「もお、勝手に入っちゃダメって言ったでしょ!」

「すみません…」


 元気のない様子で、アルカネットは苦笑した。


「何か用なの?」


 バスローブの襟をかきあわせ、キュッリッキは訝しげに問う。

 数日前までは、素直にそばに駆け寄って甘えられたのに、今は警戒してしまう。

 アルカネットは自分からキュッリッキの前までくると、手にしていた箱を差し出した。


「これを持って行きなさい」


 アルカネットの顔を見上げて、そして素直に箱を受け取る。


「開けてもいい?」

「はい」


 箱を腕に抱えるようにして、蓋を開ける。中にはさらに白い箱が入っていた。

 首をかしげながらさらに蓋を開けると、キュッリッキは目を見張って「うわあ」と声を上げた。


「お化粧品がいっぱい!」

「これから必要になっていくでしょう。いつか渡そうと用意していました」

「ありがとう」


 目を輝かせるキュッリッキを見て、アルカネットは穏やかに微笑んだ。


「お化粧のやり方は、マリオンにでも習うといいでしょう。そして、お化粧をしたら、必ず落としてから寝るのですよ。肌があれてしまいますから。リッキーさんの肌はまだこんなに綺麗ですから、薄く化粧をするくらいで大丈夫です」


「うん」


 そしてたまらず、アルカネットはキュッリッキを抱きしめた。


「いつでも帰ってきていいのですよ。ここはあなたの家でもあるのですから。待っていますからね」

「はい」

「体調には気をつけるんですよ。あれだけの大怪我をしたのです、完治したといっても、何がきっかけで体調を崩すか判りませんから。あなたの身体に負担がかからないよう、カーティスにはよく言っておきます。絶対に、無理はしないでください」

「うん」


 まるで今生の別れのようだとキュッリッキは思った。

 さっきは2人の態度に思わずカッとなったが、こんなにも心配してくれる。いつだって過剰なくらい、アルカネットは体調を気遣ってくれているのだ。それはとても嬉しかった。


「また遊びに来るね」


 アルカネットはキュッリッキから離れると、にっこりと笑った。


「はい。楽しみに待っています」

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