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第119話 古の女王

「しかし、古墳を作るほどの権力者が、この地にいたとは聞いたことがありませんが?」


「それは…」


「待って、何かいる…!」


 歩きながら、黒萩こはぎの質問に京介が答えようとしたその時、何かの気配に狛が気付いて即座に声を上げた。人が二人並んで歩くのがやっとという狭い通路の中で、全員の視線が一か所に集中する。その先には、白い巫女装束に似た服装の女の姿がゆらゆらと浮かび上がっていた。

 虚ろな目をした女の顔には血の気がなく、全体的に青白い肌の色をしていて、それが生者でないことは明らかだった。それ以前に、身体全体が薄っすらと透き通っているのだが。

 警戒する四人の前で、陽炎のように揺らめく女の口元が動き出す。


――妾の寝所に入り込む不届き者ども…何故なにゆえこの地を侵し、立ち入らんとするか…


 それは声ではなく、脳に直接響くテレパシーのような言葉だった。音ではないので聞こえるというとまた少し違うのだが、頭に浮かぶその女の声は心が落ち着くようでいて、身体の内側を撫でられるような、ゾワゾワとした不快感も同時に感じられる。

 ここがかなり深い地下だからなのか、今の今まで外よりは寒さを感じなかったのだが、女の霊が現れてからは急に寒々とした冷気が周囲に立ち込め始めていた。


亜那都姫アナツヒメ…!」


 京介がその名を口にすると、女の霊はそれまで虚ろだった目をカッと見開き、敵意と憎しみを宿らせて京介を睨みつけた。バチバチとあちこちからラップ音がして、四人を拒絶する気配が強くなっていく。


――かそけき生命をみだりに散らす愚か者めが…悠久の眠りを妨げし罪を悔いるがよい…!


 女の霊はそう言い残し、蝋燭の煙のように、フッと音も無く立ち消えた。だが、依然として身を切るような寒さと悪寒は消えていない。むしろ、瘴気の気配がより強く濃くなったようでさえある。どこからか視線を感じるのは、目をつけられた…ということだろう。


「今のは…おい、京介、何がどうなってるんだ?ちゃんと話せ」


「解ってる。歩きながら話すよ、進もう」


 ランタンの明かりを頼りにして、四人はひとまず先へ進むことにした。一行の姿を階段の上から確認している実理の表情は、不気味に歪んでいる。



「今から60年程前、ある学者が自身の研究についてまとめた論文を学会に提出したんだ。それによると、古代日本にはいくつかの地方を治めた豪族や王族がいたという。邪馬台国の名は聞いた事があるだろう?」


「ああ、なんだっけ、ヒメコだかなんだかってのが治めてたっていう…」


「…だよ、猫田さん」


「そう、邪馬台国の女王・卑弥呼は有名だね。その邪馬台国と並んで、卑弥呼同様にシャーマンのような巫女が女王となり、日本の一部の地方を治めていた一族がいたと、その論文には記されていたんだ。それが」


「先程のアナツヒメ…ですか?」


 まるで、修学旅行のワンシーンのように話をしながら、四人は慎重に進んでいた。足元の石畳は所々苔むしていて時折滑りそうになるが、ある程度暗さに目が慣れてくると足をとられる回数は減った。それにしても、ずいぶんと長い通路だ。一体どこまで続いているのか、少し不安になる距離である。


 京介は引率の教師のような雰囲気で、黒萩こはぎの答えに笑顔を返した。


「その通り。アナツヒメ…正式には忌月亜那都姫イミヅキノアナツヒメと論文にはあったが。その亜那都姫は、シャーマンとしての能力は非常に高かった反面、性格は残忍極まりなく、敵対する者や自身についてこられないものにはかなり厳しかったようだ。自身の力を高める為に、生贄を用いた儀式にも精通していたとか。また、その高い霊力で時には妖怪をも従えて、女王卑弥呼を擁する邪馬台国と日本の覇権を争った…らしい」


 京介の話が進むにつれ、周囲に満ちる緊張感が増していくように感じられる。敵意のボルテージが段々と上がっていくようでもあった。


「妖怪を、従える…」


 黒萩こはぎはそう呟くと、顎に手を当て何かを考える素振りを見せた。そして、横目で狛をちらりと見ている。


 黒萩こはぎの仕える直属の上司であり、婚約者でもあるえんじゅは妖怪達との和睦・親善を訴え案じている男だ。和睦と言えば聞こえはいいが、実際には、人類の数少ない天敵とも言える妖怪達を力で制圧して使役し、その力で敵対する者を全て排除することで平和な国を作ろうということらしい。その意味では、亜那都姫のやっていた事は、槐の理想にかなり近い。


 そして、期せずして今現在その理想から最も近い所にいるのが狛である。狛は妖怪達を力で抑えつけて従えているわけではないが、猫田を始めとしたくりぃちゃあの面々だけでなく、付喪神の九十九つづらに慕われ、大日如来と邂逅を果たすなどおよそ犬神家の退魔士としての範疇を超えた結果を残している。加えて、ここに来るまでの移動中に聞いた妖怪の元締め、神野悪五郎も、猫田が狛の為に要請すれば狛に加担するだろう。

 今後の狛の考え方や、身の振り方次第では、犬神家の未来は大きく変わる…そう黒萩こはぎは考えていた。


 そんな黒萩こはぎの考えは誰にも知られることなく、更に話は続く。


「どこまでが真実かは不明だが、亜那都姫達の力は凄まじく、一時は邪馬台国を追い込むほどの勢いがあったそうだ。この古墳も、妖怪の力を借りて作られたものだろう。土木工事用の技術も機械もなく、工学の知識もない当時に、人力でこれだけの地下に穴を掘って作業が出来たとは、到底考えられないしな」


 京介は壁になっている石をなぞり、その壁面を確認している。言われてみれば、これだけの石を切り出して整形するには、通常では途方もない技術と時間が必要だろう。狛もそれに倣って壁を触ってみると、確かに経年による劣化はあるものの、驚くほどに滑らかに削られた部分などがある。人の業というよりは、超常的な力によるものと言われても納得できそうだ。


「結局は、内部からの裏切りによって亜那都姫は討たれ、その後、国は消滅したそうだが…その過激で突拍子もない内容に、当時の学会は紛糾してその学者は相当なバッシングを受けたんだそうだ。そうして、研究の舞台から追放されたと聞いている」


「解らねー話じゃないが、それがどうだっつーんだ?そもそもお前、その話はどこから聞いたんだよ」


 猫田の問いかけに、京介は進む足を止め、振り返った。京介は猫田を見ている、というよりも、今まで歩いてきた道を確認しているような視線が気になったが、狛は静かに京介の反応を待った。


「その後、その論文は異端と妄想の産物として偽の異史となり、ほとんどが処分された。残っていたのは学者の手元にあったもののみ…それが、数年前に盗まれたのさ」


「なに…?」


「盗難から数か月後、化野氏は所有する土地の開発を名目として調査を始めた。そして、あの遺跡が発見された…これが偶然だと思うか?」


 その疑問に、猫田と狛は息を飲んだ。黒萩こはぎは表情こそ変えていないが、一筋の汗を垂らしている。


「ちょ、ちょっと待て。じゃあ、お前はあの化野っておっさんが、そのロンブンを盗ませて土地を調べさせたと、そう言いたいのか?何のために?」


「その理由を知っているのは、盗んだ本人じゃないかな。…なぁ、実理さん」


「!?」


 京介が言葉を投げ、視線を向けた狛達の背後から、まるで闇が染み出すように一人の男が現れた。それは化野の傍にいた白髪の老紳士、実理という男であった。

 実理はパチパチと拍手をして、不気味な笑みを浮かべている。


「素晴らしい、いつからお気づきに?」


「初めからさ。あの論文を書いた学者…八十紙教授から、貴方の特徴を聞いていたからね。そもそも、八十紙教授に亜那都姫の事を教え、資料や情報を提供したのも貴方だろう。俺も色々と調べたが、その目的までは解らなかったよ」


 京介の答えを聞き、実理はくっくっと喉を鳴らして笑いを堪えている。そうしている間にも、実理から邪悪な気配が滲み出ていて、既に猫田は毛を逆立たせて警戒態勢に入っている。同じように狛も黒萩こはぎも、実理と言う男を睨んでいた。


「そこまで調べがついているとは、驚きました。中々優秀な人間のようだ。そこまで解っているなら、首を突っ込まなければ死なずに済んだものを…」


「てめぇ…!」


 猫田は今にも飛び掛からんとしているが、何故か動こうとしなかった。他に何かを警戒して動けない、そんな雰囲気だ。それを知ってか知らずか、実理は悠々と話を続けている。


「ここはね、亜那都姫様の眠る墓所であり、封印なのですよ。あの忌々しい邪馬台国の女王卑弥呼めは、命を落とした亜那都姫に封印をし、地中深くに落とし込めた。残念ながら、ここに立ち入り、亜那都姫様復活の生贄となれるのは霊力の高い人間のみ。私のような妖怪では無理だったのです」


「なに!?」


 実理の言葉で全員に緊張が走る。と同時に、実理が指を弾いて鳴らすと、足元の床が一気に崩れ始め、狛達四人は更なる地下へと落とされていった。


「きゃあああああ!」


「こ、っの野郎!覚えてやがれ!!」


「フッフッフ、ごきげんよう、皆さん。どうか質の高い生贄になってください。の為に」


 実理の声は、落ちていく狛達の耳には届かない。その間にも闇に蠢く者共の息遣いは数を増し、恐るべき陰謀が目を覚まそうとしていた。

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