目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第148話 迷宮の主

「さて、これからどうしたもんかねぇ」


 真はいつものあっけらかんとした態度に戻り、室内を見回した。現在、応接間にいるのは狛と拍、猫田とナツ婆に真、そして御遠場夫妻と家政婦の阿左美の8人である。その内、阿左美と御遠場の妻・かしこは意識を失っている。戦うにしろ、屋敷から脱出するにしろ御遠場夫妻と阿左美は守ってやる必要があるだろう。


 狛は外が見えている窓を開けようとしてみたが、まるで凍ってしまったかのように開かない。窓ガラスを力一杯叩いてみたが、割れる所かヒビや傷一つ付かなかった。ここから逃げ出すのは難しそうである。


「ダメかぁ…」


「解っちゃいたが、仕方ねーな。やっぱりここは大元を断つしかねぇだろう」


 猫田の言葉に、拍とナツ婆が頷いている。そうしてしばらく考えて、真がおもむろに口を開いた。


「よし、じゃあこうしよう。拍とナツ婆はここで御遠場夫妻と阿左美さんを守ってやってくれ。狛と猫ちゃんは俺と一緒においで、打って出るから」


「な…!?親父、出るなら俺が!」


「拍は待機だ。…ナツ婆、それでいいね?」


「ああ、任せろ」


「な、ナツ婆まで!?」


 まさかナツ婆が真の提案を受け入れると思っていなかったのか、拍は驚きを隠せないようである。いつもは冷静な拍だが、どうにも父親である真の前では冷静ではいられないようだ。狛は拍と真の間でオロオロしているが、もう一度真に呼ばれて、おっかなびっくりでついていくことになった。


「ほら、狛、早く来なさい。猫ちゃんも」


「あ、うん。ごめんね、お兄ちゃん。私、行ってくるから」


「そんなことより誰が猫ちゃんだ、俺は猫田だ!気持ち悪い呼び方すんな」


「くっ!待て、まだ話は…!」


 拍は言葉とは裏腹に、応接間の扉を開けて出て行く狛達を追いかけようとはしなかった。この場をナツ婆一人に任せるのはマズいと、頭では解っているらしい。こうして、狛達は二手に別れて行動することになったのだった。



「ふ~んふふ~ん♪妖怪ちゃんはどこにいるかな~?」


「…………」


 応接間を出てから数分後、狛達は屋敷の中を彷徨うように歩いていた。いくつ廊下の角を曲がったか、もう覚えていない。それなりに大きな屋敷ではあるが、外から見た屋敷の大きさと、実際に歩いている距離はどう考えても合っていない。どうやら、屋敷の中は迷路のように変化させられているようだ。

 狛は猫田と並んで真の後を着いて行っているが、見るからに不安そうである。今人狼化していたら、尻尾と耳は垂れてしまっているはずだ。


 一方、鼻歌混じりに先を行く真は、狛の不安など全く気にしていないようだった。マイペース過ぎる真の言動に、猫田も若干呆れ気味である。


「っとぉ、ここも行き止まりか~。本格的に迷路だねぇ、こりゃ」


「ねぇ、お父さん」


「ん?」


「どうして私を連れてきたの?お兄ちゃんの方が良かったんじゃ…」


 疑問を投げかける狛の頭を撫でて、真は笑った。それはとても優しく、爽やかな笑顔だ。その表情からは真が狛を大切に思っている事が、妖怪である猫田にも伝わってくる。だからこそ猫田は思う。何故こんな顔の出来る男が、狛達を置いて家を出て行ったのかと。


「いいんだよ。今日ここまでの間で、拍の事は大体解ったからね。今度は狛がどれくらい成長したか見たかったんだから」


「…え?それが理由だったの?」


「そうだよ?まぁ、そもそも拍は攻めに出るより守りに入る方が向いているからね、性格的にも、技術的にも。狛と猫田クンは逆だろう?」


「それは、そうかもしれない…けど」


 狛は弱気になっているが、実際に真のその見立ては正しい。狛と違って犬神を四体従えている拍だが、彼の修めている技術は攻撃よりも防御や制圧が中心だ。先程、阿左美に使ってみせた捕縛術や、カメリア国王を狙ったテロの際、空港で使用した強力な結界などがいい例だろう。それは本来、他者を傷つけるよりも人を守る事を優先したいという拍の心の表れであり、それを父親である真はよく解っているようだった。


「それにしても、妖怪本体が姿を見せずに、迷路で惑わせようとは…この妖怪は人間の事をよく理解しているね。よほど人間に近い存在なのか、或いはその性質を熟知しているのかどっちだろうか。ねぇ、猫田クン、君の知り合いにこういう事が可能なモノはいるかい?」


 真の言う通り、人は飲まず食わずでは数日と生きられないものである。それを迷って歩かせれば、わざわざ手を下さなくとも容易に始末できるというわけだ。それだけ人間という生物に詳しい妖怪が相手だと言いたいらしい。

 暗にくりぃちゃあの仲間を疑うような発言であったが、猫田はあえてその挑発に乗るつもりはなかった。


「俺らの仲間に、わざわざ人間を襲う奴なんていやしねーよ。…ああ、悪党が相手なら知らねーけどな」


「ふむ、そうか。それなら大丈夫そうだねぇ。となると、やっぱり古くから人の傍で、人をよ~く観察してきた妖怪ってところかな?」


 白々しく語る真は、初めからくりぃちゃあの面々を疑っているわけではない。本命が年経た妖怪だと知りつつ、猫田の反応を見ているだけだ。まだ若い狛は、一瞬むっとして抗議の声を上げようとしたが、猫田がそれを制止していた。その二人のやり取りも、真は観察しているのだ。


 そのまましばらく道なりに廊下をうろついた三人だったが、やはり出口に繋がる道は見つからない。それどころか、来た道を戻っても、さっきまでいた応接間にすら戻れなくなっている。既に兵糧攻めの罠に陥ってしまったのかと、誰よりもよく食べる狛は内心で焦っていた。


「くそ、このままじゃジリ貧だぞ。どうすんだ!?」


「まぁまぁ、焦っちゃダメだよ二人共。こういう時こそ冷静に見極めないとね~」


 苛立つ猫田と対照的に、真は飄々と周囲の様子を窺っている。しかし、目の前に広がっているのは、どこまでも続く一本道の廊下でしかなく、狛も猫田もそれを見破るきっかけすら掴めそうになかった。


「見極めるって何をだよ?幻覚なのかなんなのか解らねーが、こいつは相当強力な術だぞ。どうやってこれを破るってんだ?」


「確かに、このまやかしを破るのは難しいかもね。けど、こっちから破れないなら、相手から来てもらえばいいんだよ。その為にはまず、相手の正体を知らないとねぇ」


「正体…?もしかして、お父さんこの妖怪の事が解ったの?」


 狛がそう言うと、真は悪戯っ子のような底意地の悪い笑みを浮かべた。そして、そのままさらに二度ほど廊下を曲がった所で、廊下の少し先が行き止まりになってそこに両開きのドアが現れた。


「あ!あんな所にドアが…どうして急に?」


「おやおや、意外と早かったね~。やっぱり近い所で見ていたんだろうな。さて狛、猫田クン、戦いになるだろうから準備しときなさい。行くよ」


 真はそう言うと、スタスタと足早に歩いてそのドアの前に行ってしまった。敵が時間をかけてこちらを弱らせてくるつもりだと思っていた二人は、急な展開に驚きを隠せない。しかし、驚いてばかりもいられないので、慌ててその後を追った。


 二人が追い付いたのを確認し、真はドアに手をかける。鍵がかかっているということもなく、少し軋むような音を立てて重そうにドアが開くと、そこは見渡す限りの荒野であった。茶色くくすんだ土と小石が広がっていて、視界の右側には崖があって弱い風が吹いている。それを見て狛は言葉を失っていた。


「ふむ。お誂え向きに戦いやすい空間を用意してきたか、。ふふふ、これは思ったより単純なヤツかもね」


「なんだ?お前、なんかしたのか?いつの間に…」


 真の口振りから、彼は敵をあぶりだすような何かをしていたらしい。ずっと一緒にいたはずの猫田と狛は、それに全く気付けなかった。すると、真は人差し指を立てて唇に当てウィンクする。どうやら静かにしろと言いたいようだ。


 それに従って二人が口を閉じると、やがて崖の上の方向から、ずしんずしんと重量のある何かが近づいてくる音が聞こえてきた。猫田は猫耳を色んな方向に動かして、音を鮮明に聞き取ろうとしている。狛も部分的な変化が出来ればそうしたいところだが、それが出来ないのがもどかしかった。


 足音が止み、崖の上には何者かが立っている。ちょうど日の光で影になっていて、下からではシルエットしか解らない。


「あれは…!?」


 猫田が叫ぶのと、謎の影が飛び上がったのはほぼ同時だった。そして、三人の前に着地したのは、身の丈5メートル以上はあろうかという、二本の脚で立つ巨大な蛙の妖怪であった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?