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第158話 宗吾の軌跡

 その家の中は、とても暖かい空気に満ちていた。茅葺き屋根の古い家なので、外から見た時は寒さを覚悟していたのだが、意外にもそんな事はない。今が二月だと言う事など忘れてしまいそうな温かさだ。案内されながら簡単に自己紹介を済ませ、狛達は室内に入ってきた。


「ささ、こちらへどうぞ。今、茶を淹れますよってな」


 朔の祖父、有はニコニコと笑みを浮かべながら、囲炉裏の傍に敷かれた座布団へ狛達を誘ってくれた。犬神家の本家屋敷も古かったが、中はそれなりにリフォームされていたので、さすがの狛も囲炉裏端は経験がなく新鮮に感じる。一方、猫田は懐かしそうに囲炉裏の火に当たって暖を取っていた。600年生きている猫田にしてみれば、囲炉裏の火を囲う時代の方が長かったのだから、慣れていて当然だろう。


 まず朔と有が並び、囲炉裏を挟んで反対側に猫田、狛、こんが並んで座っている。出されたお茶を一口啜っていると、有がじっと狛の顔を覗き込んでいる視線を感じた。何か作法でもあったのだろうかと、狛は焦って言葉を投げ掛ける。


「あの、私に、何か…?」


「ああ、いえ、懐かしいと思いましてなぁ」


「懐かしい?」


 どう思い返してみても、狛と有は初対面である。一体、何が懐かしいのか見当もつかず、狛は戸惑うばかりだ。


「お嬢さん…ええと、狛さんでしたか。あなたの顔はよう似ている、あの犬神宗吾という人に」


「えっ!?」


「おい、爺さん。アンタ、宗吾さんの事を知ってるのか?」


 宗吾の名前を聞き、猫田が黙っていられないと口を挟んだ。横から口出しをされても、有は特に気にしないのか、懐かしむようににこやかに笑って蓄えた髭を撫でている。


「もちろん知っとるよ。なんせ、儂が鼻たれ小僧だった頃にここで一緒に暮しておったからのう」


「えっ!?ど、どういうことですか!?」


 驚きのあまり、狛は思わず有に詰め寄っていた。猫田も動揺に驚いているが、こちらは言葉が出ないという様子である。そんな二人を見て、有は何処か楽しそうに笑っていた。


「ふむ。そう、あれは今から100年程前になるか…元々、犬神宗吾殿と結婚したのは、儂の祖母さんの妹……いわば、大叔母だったんですじゃ。名をようと言ってな、一族の中でも中々の美人じゃった。何でも若い頃に、宗吾殿に命を助けて貰った事があるらしくてな、半ば押し掛け女房のような感じで、嫁に行ってしまったんじゃ」


「へぇぇ……こんじいちゃん、知ってた?」


「いや、儂も初めて聞くわい。元々宗吾という人は、一族屈指の天才というだけで、それ以外の情報がほぼ何も残っとらんかったからな…よもや、ここで繋がってくるとは思わなんだ」


 こんも事実を知って、驚きを隠せないようだ。それでも狛達より冷静なのは、年の功という所だろう。有は一口茶を啜ってから、話を続けた。


「先程も言いましたが、儂らは人狼……人と狼の力を持った、半妖のようなものです。かつては、普通の人間達と争うこともあったが、儂らの祖先はそれに疲れてしもうた。元々、この国には儂らの天敵である吸血鬼もおりませんしな。平和に生きていくだけなら、わざわざ人とぶつかる必要などないのですじゃよ」


 そう言って、有は静かに息を吐いた。溜め息とまではいかないにしろ、軽々しく話ことでもないのかもしれない。


「儂らはいつしか、里を結界で隔離し、人界と離れて生きるようになった。しかし、あの人は、曜さんはそれを破って人間の嫁に行ってしまった。…ふふ、当時は儂の家族も腹を立てておりましたわい」


「…んん?ちょっと待ってくれ、爺さん、アンタいくつなんだ?」


「ほっほっほ!儂はこう見えて、齢110になる爺じゃよ。元々人狼族は長命の生物じゃが、その中でも儂ほどの長生きは、なかなかおらんがな」


 朗らかに笑う有は、とても100歳を超えているようには見えない。下手をすればハル爺よりも若く見えそうなほどだ。


「まぁ、さっき人狼は長命じゃと言ったが、それはこの里で暮らした時の話…曜さんは慣れぬ人里の生活の為か身体を壊してしまったのじゃ。そして最期は生まれ育ったこの里で迎えたいと、宗吾殿と一緒にやってきたんじゃよ。宗吾殿は儂らに深く頭を下げて、曜さんの願いを聞いてやって欲しいと頼まれた…そうして二人は半年から一年に満たないほどの間、この家で暮らしておったというわけじゃ」


「そんなことがあったんだ…」


 狛は有の話を聞いて、宗吾と曜という二人の関係を想った。二人はきっと心から愛し合う夫婦だったのだろう。最近になってようやく恋心というものを理解し始めた狛にとってそれはとても羨ましいような、それでいてどこか切ない感じがした。


「とまぁ、儂が宗吾殿の事を知っているのはそういう訳なんじゃが、どうもあなた方がここへ来たのは違う事情がありそうじゃな?良かったら聞かせてもらえますかの?」


「あ、えっと、実は……」


 有に問われ、狛は改めて事情を説明する。宗吾の事、猫田の事、そして、槐の事……粗方の事情を説明し終えると、黙って聞いていた有は髭を撫でながら唸るように声を上げていた。


「ふーむ…なるほど、そう言う事でしたか。確かにそれは一大事じゃな」


「有さん、今日儂らが伺ったのは、ほんの少しの間だけでもこちらに匿ってもらえないかというお願いの為なのです。どうでしょう?聞き届けて頂けませんか」


 狛の説明を受け、こんが頼みを切り出す。正直な所、これが上手くいくとはこんも、狛も思っていない。ただ、一縷の望みを賭けてというのが本音である。そしてたっぷり時間をかけて悩んだ後、有は静かに言葉を綴った。


「残念ながら、ご期待には副えませんな。申し訳ない」


「……そうですか、失礼ですが、理由を窺っても?」


「お話した通り、儂らは長い事、人との繋がりを断って暮らしてきました。宗吾殿のことも、曜さんという儂らの身内がいたからこそ受け入れる事が出来た。しかし、既にあの頃を知っているのは儂くらいのもの…いくら宗吾殿の身内と言っても今から人を受け入れると言うのは、とても里の者が納得しないでしょう。それに、こう言ってはなんですが、争いの火種になるような事を持ち込まれるのは困るのです。里長として、危険を承知で受け入れると言う訳には参りません、申し訳ない」


 有の言葉は、心底から申し訳ないという気持ちと、自らが率いる民を守ろうという強い意思を持って断っているのがはっきりと解る口調であった。狛やこん、そして猫田も、その気持ちはよく解る。それ以上、無理に頼み込む気には到底なれそうもない。


「解りました。こちらこそ、無理を言って申し訳ない。ただ、儂らは紋次から正当な対価を払ってあの病院を借り受けておるのです。せめて、それは理解して頂ければ…」


「それはもちろんです。紋次殿は儂にとって、数少ない人の友人でした。彼が納得の上で貸し出しているというのであれば、儂らが口を挟むことではありませぬ。孫にはよく言って聞かせますので、どうかお許しください」


 そう言って、こんと有は互いに頭を下げ合った。お互いからすれば、これがちょうどよい手打ちと言えるだろう。狛は、今まで謎に包まれていた宗吾の事を少しでも知れただけでも、収穫と思えた。


「それでは、儂らはこれでお暇します。行こうか、狛、猫田殿」


「待った。……外でなんか妙な気配がするぞ。何だ?」


「え?」


 猫田は急に険しい表情を見せ、耳を盛んに動かして外の様子を気にし始めている。ちょうどその時、若い男が息を切らせて有の家の扉を開けた。


「お、長っ!大変だ、て、天狗が…遠馬とおまの天狗連中が、群れを成して襲ってきた!」


「なにぃ!?そんなバカな、里は結界で隠してあるのだぞ。奴らに見つけられるはずが……おい、朔、お前ちゃんと結界を戻してきたんじゃろうな?」


「んあ?……っ!?わ、悪い爺ちゃん、張り直すの忘れたかも…」


「こっ!?こんの大馬鹿者があああああああっ!!」


 特大の雷が朔の頭に落ち、朔は頭を抱えて蹲ってしまった。怒りを露わにする有を前に狛達は言葉を失っている。若い男は慌てて二人の間に割って入った。


「お、長、そんなことよりも、子ども達が狙われているんだ!天狗共、俺達を根絶やしにするつもりだ!」


「なんじゃと…!?連中、何故急にそこまで……」


「っ!?」


「あ、おいっ!狛、待て!」


 子ども達が狙われていると聞いた途端、狛は駆け出し、家を飛び出していった。恐るべき敵との戦いが待ち受けているとも知らずに……

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