二人が少年とすれ違ってから程なくして、目的の携帯ショップに到着した。一昔前は混雑して大変だったが、最近は予約システムが充実しているせいか、店内は思ったより混んでいない。狛達は飛び込みだが、そう待たされなくても済みそうだ。
ここ、ドゥコモは老舗で大手のキャリアだけあって、長く契約している人間が多いので、客の年齢層も少し高めだ。高齢者向けというと語弊があるが、年齢の高い人でも解りやすいプランなどが多いのも特徴である。また、老舗である分基地局も多く、通話の安定度で言えば国内トップである。色々な意味で、京介にはピッタリのキャリアと言えるだろう。
ちなみに狛も、このドゥコモで契約をしている。狛だけでなく、犬神家全体がそうだ。犬神家は人数が多いので、個々人でバラバラのキャリアと契約するのが面倒ということらしい。狛からすると、各分家の長老達が高齢だからではないかと疑っているようだが。
「へぇ……凄いね。こんなにたくさん種類があるのか」
店に入り、新規契約の窓口で順番を取る。京介はキョロキョロと店内を見回すと、店頭にあるディスプレイ用のスマホ達を眺めて興味深そうにしていた。自分が機械音痴なのを自覚しているので、触ってみようとは思わないようだ。デモ版なので触ってもいい…というより、触って確かめた方がいいはずなのだが、どうもおっかなびっくりで決して自分から触ろうとはしない。やや怪訝な顔をして、数あるスマホを眺める姿が面白くて、あの少年とすれ違ってから浮かない顔をしていた狛も、いつの間にか笑顔を取り戻していた。
「っふふ…京介さん、そんなに怖がらなくても平気ですよ。ほら、これとかどうですか?私のとお揃い…なんですけど」
「いや、どうも機械は苦手でね。正直、どれがいいとかも全然解らないよ。狛ちゃんのオススメなら、それで……んなっ!?」
狛が差し出した機種の値段を見て、京介は不思議な声を出して固まってしまった。ダラダラと油汗を流して、顔色もすっかり青ざめている。狛は何があったのか解らずに隣で首を傾げるばかりだ。
「こ、こんなに値段が張るもの……なのかい?…」
「え?やだなぁ、これは安い方ですよ、学生向けの機種だし」
「………そ…そうなのか…」
狛の返事に京介は絶句していた。何を隠そうこの男、根っからの金無しである。退魔士というものは、一般的な職業とは言えない為に、時に法外な料金を取る事もある職業だ。とはいえ、相手が妖怪であれ悪霊であれ、場合によっては命懸けとなる仕事なので、そう安い金額で引き受けるわけにもいかない。それがまた、胡散臭いと言われる所以でもあるのだが。
そんな業界にあって、京介は金銭的に余裕のない人達の依頼ばかりを積極的に引き受ける変人として、同業者からも奇異の目で見られる人物であった。特に彼の友人である退魔士の男などは、京介のやっている事をダンピング行為と見做して、文句を言ってくるくらいである。
しかも、少ない金額で仕事を引き受ける割に彼の着ている特別製の法衣の修繕や、その他装備品の補充などにより、入った傍から金が出ていくのだから始末に負えない。以前会った時に、貧乏暇なしと言っていたのは誇張でも何でもない事実なのであった。
余談だが、
そんな二人の様子を、向かい側にあるファミレスの席から猫田達が見守っていた。
「なーにやってんだろねぇ。顔色悪いみたいだけど」
「ふむ。唇を読んだ限りでは、値段に驚いているようだな」
「あらあら、最近のスマホって高いものねぇ」
猫田達が陣取っているのは、ちょうど店の奥まった窓際のソファー席で、いくら視界を遮るものが少ないと言っても、普通の人間であればそんな場所から道路を隔てた携帯ショップの中までは見えないはずだ。しかし、妖怪である猫田達ならばこの程度の距離など合って無いようなものである。京介達が店頭のディスプレイ部分で機種を見ているだけあって、問題なく様子を窺えるのだから流石である。ちなみに、神奈はまだ意識を失ったままで、意識のないのを良い事に海御前のショウコが膝の上に乗せて、可愛がって撫でつけている。
ショウコは元々下半身が蛇という巨体の持ち主だからか、人の姿に化けていても体格は大きめだ。人型で街を歩いていると八尺様のコスプレをしていると間違えられることもしばしばである。なので、カイリとトワが並んで座り、向かいの席にショウコが神奈を抱くようにして座っている状態であった。ちなみに猫田は、俗に言うお誕生日席で椅子を用意してもらっている。
「ああ、京介の奴、今も金がねーのか。そういうとこも変わんねぇな。むぐむぐ…」
神奈の抑え役から解放された猫田は、すっかりご満悦な様子でジャンボパフェを頬張っていた。甘い物が好きな猫田だが、桔梗の屋敷では猫の姿でいるせいかあまりお菓子などを出して貰えないので、ここぞとばかりに味わっているようだ。くりぃちゃあで食べさせてもらえばいいように思うが、くりぃちゃあでの賄いは、基本的に普通の食事のみだ。特にこういうパフェのような手の込んだデザートは頼まなければ出してくれない。そしてそれを頼むと十中八九、ハマに揶揄われるので、悔しくて頼めないのである。
「なんだ、甲斐性なしなの?いくら顔と腕っぷしがよくてもそれじゃあねぇ…やっぱ狛ちゃんには相応しくないんじゃない?」
「あら、でも狛ちゃんのお家はお金持ちでしょう?優秀な血を取り入れる為なら、一人くらい
「まぁ、生前の私からすると、あまり家が大きくなりすぎるのも考え物だがな……」
カイリはそう言って、ふと自分がまだ人間だった頃の事を思い出し、遠くを見るように寂しげな顔をみせる。彼女は元々、平家の貴人の妻として生きた人間である。『平家にあらずんば人にあらず』…そんな言葉が残されるほど、当時の平家は隆盛を極めていた。その結果が、天下を二分する源氏との大決戦である。壇ノ浦で最愛の夫を亡くした思い出が甦れば、思う所もあるのだろう。家が大きくなっていくのはいいが、極端に規模が大きくなれば軋轢も生まれやすい。事実、狼の如き血の結束を見せる犬神家でさえ、今回の槐のようなイレギュラーが生まれ、痛ましい事態に発展したのだ。その意味では、カイリの言う事にも説得力があると言えるだろう。
そんなこんなで、小一時間ほど談笑しながら様子を窺っていると、京介と狛が揃ってショップから出てくるのが見えた。京介の顔色が洒落にならない事になっているので、相当無理をしたに違いない。狛も気遣ってはいるが、内心では京介と連絡が取れることが嬉しくて堪らないのか、隠していても解るほど、時折ニヤケ顔になっている。猫田達は、気取られないよう、また距離を取ってついて行くことにした。
「京介さん、大丈夫ですか?なんか顔色が…」
「ああ、うん。大丈夫だよ、ハハハ…」
乾いた笑いしかでない所を見ると、これは次の依頼料が入るまで絶食に近い生活になりそうだが、狛は京介がそこまでの窮状になるとは思っていないようである。そうですかと引き下がった後は、京介に見えないよう顔を逸らして満面の笑みを浮かべていた。
しかし、目的の店を出て駅に向かって歩いている所で、狛は気付いた、このままデートが終わってしまうのでは?と。京介にしてみれば、スマホの契約に親切な狛が着いてきてくれただけなので、早々に帰っても問題ないのだが、ここで終わっては狛もあまりに立つ瀬がない。もう少しだけでも一緒にいたいと思うのは、我儘ではないだろう。どうにかならないかとあれこれ考えを巡らせる、そんな時だった。
「あれは、さっきの」
「え?あ、あの子は…」
京介が気付いたのは、さきほどすれ違った死神の憑いた少年である。隣を歩く母親は憔悴しきっていて、見るからに辛そうだ。フラフラと少年の手を引いて歩く母親が信号待ちで立ち止まった時、それは起こった。
「あ!」
「…ちっ!」
突然、信号機を支えていた鉄柱がボキリと折れた。偶然としか言えないほど何の前触れもなく、しかし、狙い澄ましたかのように母子に向かって倒れてくる。何も手出しすべきではないと言っていた京介だったが、その現場を見てしまえば見過ごすわけにはいかない。咄嗟に駆けだして二人を助けようとした。だが、それはうまくいかなかった。
「何っ!?」
倒れてきた鉄柱がまるで何かが母子を守ったかのように、真っ二つに切り裂かれたのだ。おかげで母子は怪我もなく、無事である。切れた鉄柱の断片が京介の方へ飛んできて、京介の頬をかすめ、小さな切り傷を作っていた。
「ウソ…」
「今のは……偶然、か?」
立ち尽くす京介の視線の先では、幽鬼のように鉄柱の傍で佇む母親と少年の姿があった。傍らに立つ死神は、何も言わずにただ、じっと少年を見据えている。