「死神が逃げる相手?そんなもの、神をおいて他にあるまい。奴らは絶対に神には逆らえない、神の忠臣と言えば聞こえはいいが、あれは神という存在に付随するシステムのようなものだからな。そうでなければ……ああ、同じ死神相手なら話は別か」
「同じ、死神…?」
沈黙の後、晶はそうあっさりと言い放ったが、それが一体何を意味するものなのか、誰もが解らず押し黙ってしまった。やや間を置いて、晶は京介の言葉を繰り返す。
「そうだ、死神は死神同士の戦いを良しとしない。奴らは元より戦う為の存在ではないからな。神と名付けられていても、奴らの神は一人だけだ、他に神などいない。死神は言うなれば、天使の同類に過ぎん。もちろん、並の天使などよりは遥かに強力な力を与えられているが、それは任務の遂行に必要だからだ。魂を刈り取る邪魔者を排除する…それだけの為の力だ。死神同士が争う事を許さないのはそれが理由さ」
「ちょっと待ってくれ。死神というのは複数いるものなのか?」
「当たり前だろう?この地上にどれだけの人間がいると思っている。人間や天使共と同じ数とまでは言わんが、数体同時に存在する事など、珍しくもなんともないさ。現世で死神同士が出会うことなど、ほとんどありえんだろうがな。…で?これは一体どういうことなん…おい、電話中だから止めろと…うっ…!と、とにかく!今日の事はロハでいいから後で事情を聞かせてもらうぞ!いいな!?」
晶はそう言うと、急いで電話を切ってしまった。どうにもいかがわしい匂いのするやり取りではあったが、死神については興味深い内容だったと言える。彼らの仕える神が降臨したのでないとするなら、あの時感じた強い気配は、もう一体、別の死神であった可能性が出てきたのだ。
「死神同士は喧嘩しねぇ、か。…なら、どっちかを味方につけりゃなんとかなるってことか?」
「そう上手くいくかな?話が通じるかどうかも怪しい相手だったのにさ」
トワの言い分は尤もだ。晶も、死神は
(どうしたらいいんだろう?別にあの死神と戦いたいわけじゃないし、最初に京介さんが言ってたように、あの男の子の寿命が決まっているなら、手を出すべきじゃないのかもしれない。でも、放っておけない気もするし…)
皆が頭を悩ませる中、狛は迷っていた。そもそも、あの死神が無差別に暴れ回っているわけでもないのだから、本来であれば狛達がこれ以上関わり合いになる必要はない。そういう意味では初めから結論は出ている。だが、何故か割り切って解散とはいかない何かが、狛の胸の中で
「どちらにしても、問題は少年に憑いた死神の行方だな。どこへ逃げていったのかも解らないのでは手の打ちようがない」
「そんなに会いたいなら、会わせてやろうか?」
「え?」
不意に男の声がして全員が声の方向を向くと、少し離れた場所から、人の好さそうな老人が狛達の方をみて笑顔で立っていた。ニコニコと笑うその顔は、敵意をまるで感じさせない。どこにでもいるであろう普通の老人に見える。しかし、誰にも気配さえ感じさせなかったその振る舞いといい、今しがた放った言葉といい、只者ではないことは明らかだ。
そして、その老人の事を一番不審に思っているのは、猫田である。突然現れて話に入ってきたこともそうだが、その存在に全く気付けなかった事があり得ない、そう思っているようだ。
(どういうことだ?今の今まで、そこには誰もいなかったはずだ。音も気配も無く、どうやって近づいて来やがった?…それになにより、他の連中は騙せても、俺や狛の
猫田はそこまで思い至って、即座に警戒態勢を取った。人目のある公園だが、場合によっては異界化してでも
もちろん、狛や京介、それに神奈もその老人を警戒していないわけではない。ただ、どこからどう見ても普通の老人であることから、猫田達ほど強い疑いの眼は剥けていないようである。特に狛は、猫田と同様、老人が何の匂いもさせていないことに、胸の中で首を傾げていた。
「…ええと、お爺さん。どういう意味ですか?」
「そのままの意味じゃよ。小耳に挟んだが、死神に会いたいのじゃろう?老い先短い儂の傍にいれば、すぐに会える」
普通の人間が聞けば、それは頭のおかしい老人の戯言であると誰もが思うだろう。老人は、そんな事は全く気にせず、なおも言葉を続けた。
「じゃが、その前に一つ聞かせてくれんか?何故、死神に会いたいと申すのか。場合によっては、出会えば非常に危険な事になるやもしれん、それでも会いたいか?会ってなんとする?訳を聞かせてくれ」
「それは……」
その質問は、まさに狛が先程抱いていた疑問に通じるものであった。今まで狛は、退魔士としての依頼や義務感であったり、または友達や家族を助けたいという感情だったりと、その時々の状況や感情に任せて動いてきたフシがある。もちろん、全てがそうだとは言わないが、ほとんどがそうだろう。だが、今回はそのどれもが当てはまらない、あの少年は赤の他人で、正しさで言えば助けない方がいい可能性すらある。
どうにもモヤモヤが先行して、必死になれない理由はそこだ。今回に限って言えば、狛が何かをしなくてはならない理由がないのだ。仮に誰かの助けを呼ぶ声があったなら、きっと狛は我が身が傷つくことも厭わないはずだ。しかし、それが揺らいでいるのである。
(私はあの
狛は何が正しいのかを、一歩立ち止まって考えている、だからこそ動けないのだ。それはある意味で成長とも言えるのだが、初めて感じるその迷いそのものにも戸惑いがあった。そして、考えあぐねる中で、振り絞るように口を開いた。
「わ、私…間違っているかもしれないけど。あの子…あの男の子を助けたい。いくら寿命だからって言っても、あんな小さな子が死んじゃうかもしれないって知ったのに見過ごしたくない。もしかしたら、あの死神が伝えたいこともそれに関係してるかもしれないし…」
そんな狛の我儘にも似た答えによって、水を打ったような静けさが辺りを包んだ。ある一面的な正しさと、個人の信念がぶつかり合う事は、誰にでも、どこにでもある。いつの間にか、狛はその正しさに縛られ迷ってしまっていたのだ。
その迷いはとても大切だ、人は常に迷いながら、それでも何かを選び進んで成長していく生き物なのだから。
そんな狛の言葉を聞いた京介は、自分の言葉が狛の心を縛り付けてしまった事に初めて気付いた。狛は素直な娘だ、余りにも素直過ぎて、京介が手を出すべきではないと言った事に縛られてしまったのだ。今の言葉で京介は自身の迂闊な言動を悔いていた。
「狛ちゃん、ごめん。君を迷わせてしまったね、君があの子を助けたいと思う気持ちは、決して悪いことじゃないよ。気にしなくていい、子どもが犠牲になるなんて、本来は間違っているんだから」
狛の肩に手を置いて京介が謝ると、狛はフッと心が軽くなったような気がした。そして、自分でも気づかない内にポロりと一粒の涙がこぼれていく。
「間違っておるか……そうか、間違いであるのかのう」
狛の涙と京介の言葉を聞き、老人は天を仰いでその言葉を反芻してみせた。すると、ほとんど間を置かずして、空から何かが飛び降りてくる。
「あっ!?」
それは、死神と共に在るあの少年であった。歳の頃はまだ5つにも満たないであろう子どもだというのに、ダダン!と激しい音を立てて地に降り立っても、何ら気にする様子はない。その傍らにはやはり、死神が並び立っている。
「ど、どうして!?」
「儂といれば会えると言うたであろう。…さて、
(間違いねぇ…この死神は、このジジイがここに呼んだんだ。まさか、コイツは…!?)
猫田が驚愕し、老人を見据える最中、もう一つの気配がここに近づいてきている。謎の老人と死神の憑いた少年、そして、もう一つの気配…京介と狛のデートから始まった騒動は、いよいよ決着の時を迎えようとしていた。