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第207話 敗走の後で

「うぅ……ん。はっ!?ここは…?」


 神奈が目を覚ましたのは、中津洲駅近くにある公園のベンチであった。人通りの多い場所にあるこの公園は、昼は子ども達が、夜は恋人達のデートなどに利用される、市内でも人気のスポットである。神奈もよく狛達とお喋りに利用する場所であり、目覚めてすぐに認識できるほどだ。

 しかし、何故自分がここにいるのかが解らない。なんだか酷く頭が痛むが、確か今日は狛のデートを監視…いや、はじめてのおつかい的な目で見ていたはずだ。


「あ、神奈ちゃん起きたんだね」


「っ!?」


 ゾッとする冷たさが籠った声に、神奈は一瞬飛び上がりそうなほど驚いた。振り向けばそこには、途轍もないプレッシャーを放ち、笑顔でこちらを見る狛の姿がある。?一瞬そう叫びそうになったが、驚き過ぎたのか逆に言葉が出ない。神奈は事態が飲み込めないながらも、次の瞬間には、流れるような動きで土下座をしていた。



「死神と、子ども…?」


 平謝りをしながらも、神奈はある程度の事情を聴かせてもらった。狛もそう怒ってはいないようで、プレッシャーが凄かったのは最初の内だけである。というか、神奈の場合、猫田に尻尾で殴られて気絶させられていたし、既に罰は受けた扱いなのかもしれない。

 よくよく見てみれば、他のベンチにはカイリ達や猫田が座って休んでいる。皆それぞれ下を向いたり体の様子を確かめたりしていて、どこか暗い雰囲気だ。また公園の外では、警察や消防隊が慌ただしく動いているのが見えて、狛の話に説得力を持たせていた。


「うん。それに神奈ちゃんはともかく、他の皆は救急隊の人に見せるわけにはいかなかったからね。ここに連れてきたんだ」


 この公園は、ちょうど狛達がさっきまでいた喫茶店からは目と鼻の先の距離にある。死神と少年が去った後にスマホが通じるようになったので、少年の母親と思しき女性の為に救急車を呼んだのだが、狛の言う通り、妖怪である猫田達まで診せるわけにはいかない。その為、近くにあったこの公園へ避難してきたというわけだ。


「ああ、いつつ…しかし、死神ってのは伊達じゃねーな。いくら全力じゃなかったとはいえ、あんな赤子の手をひねるようにやられるたぁ思わなかったぜ」


 猫田が背中を気にしつつ、そう呟いた。真っ先に飛び掛かっていった割に、猫田はあっさり倒されていたせいか、どこか悔し気である。怪我そのものは大した事がないとはいえ、背中を強かに打ち付けていたので、まだ少し痛むらしい。他の三人娘達も同様で、口にこそ出さないが、纏っている雰囲気に悔しさを滲ませていた。


「私は待ってって言ったのに……でも、皆怪我は大したことなくて良かったよ」


 猫田の背中をさすりながら、狛がぼやいた。あの時、確かに強烈な殺気を向けられたものの、死神の方から直接こちらへ危害を加えようとした動きは見られなかった。カイリ達への反撃はあったが、猫田が先んじて動かなければ、話し合いの余地はあったかもしれない。その前にトワが攻撃をしたのは仕方ないとしても、猫田の先走りが招いた結果と言える。


「…悪かったよ。でも、しょうがねーだろ。……ありゃ普通じゃなかった。先手を取られてたら確実にこっちがやられてたぞ」


 気まずそうに猫田が答えた時、タイミングよく京介が戻ってきた。救急車を呼んだ後、現場の目撃者として残って事情を説明していたのだが、どうやら解放されたようだ。


「京介さん、おかえりなさい。どうでした?」


「ん…あの女性の怪我は大したことなかったが、かなり衰弱が激しかったよ。どうも数日飲まず食わずだったみたいだ。病院に運ばれて行ったけど、警察の話では、近くに落ちていた女性のものと思しきバッグに遺書が入ってたそうだ。……自殺する場所を探していたのかもしれないな」


「そんな…そうだったんですか」


 京介の言葉で、沈んでいた雰囲気が一層暗くなる。つまり、あの少年は無理心中をさせられる寸前だったということだ。


「心中か、いつの世も人間のやる事は変わんねーなぁ…」


 猫田がそう呟くと、京介は何ともいえない苦い顔をして口をつぐんだ。猫田以上の長い時間を生きてきた彼は、誰よりも人の不幸や悲しみを目の当たりにしてきたに違いない。それを否定したいが否定しきれないという葛藤が、その態度に浮かんでいるようだった。

 そうしてほんの僅かに会話が止まった後、京介は改めて口を開く。


「狛ちゃん、君はあの死神の言葉を受け取ったと言ってたね。……どう思った?」


 京介は狛の目をしっかりと見つめて、尋ねた。どうやら京介も、あの死神と敵対することをよく思っていないらしい。京介の意図がどうあれ、死神の力は相当なものだ。総力戦ならば勝ち目はあるが、それではこの場にいる全員がただでは済まない。最悪の場合、誰かが命を落としてもおかしくないだろう。あれは高位の天使か、下手をすれば大天使級の力を持っている可能性もある。戦わずにすむなら、その方がいいということだろう。


「ごめんなさい、解りません。…何か伝えたい事があったような感覚はありましたけど、一瞬だったし……」


 狛は正直に気持ちを打ち明けた。トワの攻撃が無かったとしても、あのまま死神と意思の疎通がとれたか確証はない。そもそもあの死神は邪魔をするなと言っただけだ、それはつまり、少年の命を奪うことを邪魔するなと言っていた可能性も十分にある。とはいえ、狛だけが死神からのメッセージを受け取っているのも事実だ。そこに何か理由があるのでは?と京介は考えていた。


「その…少年と死神というのは何処に行ったんだ?」


 重苦しい空気の中、気絶していて何も見ていなかった神奈が誰にともなく聞いた。その答えは誰も知らないことだが、それが解らなければ何も始まらないのも事実だ。少し間を置いて、カイリがそれに応えた。


「それは解らないんだ。私達を圧倒した後、急にどこかへ飛び去ってしまったからな。まるで、何かに追われているようだったが……」


「そうですか。それは、難しいな…」


「そういや、あんな強ぇヤツが何から逃げるつもりだったんだろうな?すげぇ気配が近づいてきたのは解ったけど、影も形も見えなかったぜ」


 ふと、猫田がささやかな疑問を口にした。確かに、あれだけの力を持つ死神が一方的に逃げを打つというのは妙な話である。この場の全員と互角以上に渡り合えるかもしれない存在が、戦いもせずに逃げていくからにはよほどの相手でなければおかしいだろう。だが、それほどの相手が早々現世にいるとも思えない。あの死神と同等以上の力を持つもの…誰も想像すらつかない中、京介が思い立ったように動き出した。


「ええと……確かこう、あ、違った。…あれ?なんだこの画面は。んん…今度は真っ暗に…?なんでだ?」


「きょ、京介さん?どうかしたんですか?」


 京介が買ったばかりのスマホを取り出して、ああでもないこうでもないと百面相をしているので、狛が慌てて助け舟を出した。ショップでちゃんと教えたはずなのだが、まだ操作に慣れていないらしい。京介は心底困り顔をして狛にスマホを手渡した。


「…ごめん。電話番号を入力したいんだけど、どうやればいいのか解らないんだ。知り合いに、ちょっと聞きたい事があってね」


「ああ、それなら、まずホーム画面のここをタップして……」


 やり取りだけみれば、お爺ちゃんと孫の会話である。現実問題として、二人の歳の差は先祖と子孫くらいの差があるのだが。丁寧に狛から操作方法を教わった京介は、タイピング初心者のような手つきで恐々とスマホを操作している。やがて数分かけて電話番号を入力し終えた京介はどこかへ通話を始めた。幸い数コールで相手は出たが、酷く不機嫌そうで警戒心を露わにした声がスピーカーから聞こえてきた。


「……もしもし?」


「ああ、晶か?俺だよ、京介だ」


「…なんだ、京介、お前か。この番号は一体なんだ?どこのどいつが掛けてきたのかと思ったぞ」


「悪いな、今日契約したんだ、覚えておいてくれ。ちょっと聞きたい事があるんだが」


「契約?あれほど携帯電話を持てと言っても聞く耳を持たなかったお前がか?どういう風の吹き回しだか知らんが……おい、ちょっと待て電話中だ、止めろ…!っ…!」


 京介が晶と呼ぶ電話の相手は誰かと一緒にいるらしく、少し息の上がった調子で喋っている。狛はピンと来ていないようだが、神奈や三人娘達は、電話の向こうで何が起こっているのか何となく察したようだ。神奈は顔を真っ赤にして俯き、カイリとトワは嫌な顔をしてそっぽを向いていた。嬉しそうなのはショウコだけである。


「あー…悪い、取り込み中だったか?」


「な、なんでもない!それより用件はなんだ?さっさと言え!」


「…死神について聞きたいんだ。死神が逃げ回るような相手に、心当たりはあるか?」


 そう尋ねた京介の言葉を聞き、晶は静かに黙っていた。スピーカーの向こうで小さく奇妙な水音がしていることには、誰も触れようとはしなかった。

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