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第344話 悪神の影

「こほん!それでは改めて……ようこそ、人の子らよ。私が伏見稲荷大社の主祭神、全国の狐と稲荷の頭領たる宇迦之御魂神ウカノミタマです。まさか旧い友の紹介がよもやあなた達だったとは…わからないものですね」


 荼枳尼天狐によるたっぷり一時間ほどのお説教が終わった後、気を取り直して宇迦之御魂神ウカノミタマそう言った。

 幼い姿と少し涙目に見える瞳が相まって、彼女はとても庇護欲を沸き立たせるが、流石にルルドゥのように抱きかかえる訳にもいかないので狛はムズムズする気持ちを抑えているようだ。一方、子ども好きな猫田は彼女から感じられる強力な神気に圧され、何やら落ち着かない様子である。見た目とのギャップに戸惑っているのかもしれない。

 そんな狛達の思いなど知る由もなく、宇迦之御魂神ウカノミタマは笑顔で狛の顔を見つめている。


 それは時間にすれば数十秒だが、あまりに見つめられすぎて、狛はたまらず声を上げた。


「あ、あの…私の顔に、何か……?それに、お友達って…」


「ああ、すみません、失礼でしたね。あなたとようやく会えたものですから…人間風に言えば感慨深いと言うのでしょうか?あまり神が個人に肩入れするものではありませんがね……それと、狐と狸という間柄か、彼とは縁がありまして。神と妖怪という違いはあれど、隠神刑部とは旧い友人…顔馴染みなのですよ」


「よ、ようやく…?」


 いまいちピンと来ない返事が来て、狛は更に困惑している。流石の狛も稲荷の親玉に知り合いはいない。犬神家は商売もやっているので、商売繁盛のお詣りくらいはしているかもしれないが、その割に傍にいる拍にはそこまで思うところはないようだ。


 どういうことなのかと狛が考えを巡らせていると、宇迦之御魂神ウカノミタマはまた笑って種明かしをしてくれた。


「ふふ、私は隠神刑部のことがなくても、あなたのことをずっと見ていたのです。あなた達がここに来ることもずっと前から知っていました。…まぁ、予定外のことはあるようですが」


 宇迦之御魂神ウカノミタマはちらりと横目で拍を見ながらそう呟く。何か思うところがあるようだが、拍自身は身に覚えがない。犬神家の当主は商売人でもある以上、彼女に嫌われるのは何としても避けなければならない事態だが、理由が解らなければ対処のしようがないのだ。拍はまさに針のむしろに落とされたような居心地の悪さに苛まれている。


 そこで話を聞いて猫田が、何かに気づいて口を挟んだ。


「未来視か…?或いは予知か。どっちにしても神の得意技だな。何で狛を見てたのか、理由はわからねーがよ」


「ええ、その通りですよ、猫田。その訳は後々お話しますが…そう言えば、あなたと話をするのは二度目でしたね。いつぞやは失礼しました」


「ああ?お前なんて知らねえ……いや待てよ、その声…もしかしてあの狐使いの」


「そうです、あの時は狐太郎が粗相をしましたね。あれは腕前こそ良いのですが、どうも粗忽な所がありまして……よく言い聞かせておきましたから、もう同じ失態はさせません」


 そう言って笑う宇迦之御魂神ウカノミタマの表情からはどこか恐ろしさすら感じられた。神使が主たる神の顔に泥を塗るなど言語道断である。


「狐太郎さんって…大寅先生の事?あ、そう言えば大寅先生って確か……」


 狛も気付いたようだが、二人が言っているのは、神子祭で猫田とカイリ達が囚われた狛たちを助けようとした際、悪さをする妖怪と勘違いされて戦う羽目になった時の事である。宇迦之御魂神ウカノミタマの言うとおり、かなりの腕前を持っていた狐太郎は、猫田達四人を相手にしても引けを取らない戦いを演じてみせた。その際、仲裁に入った声の主こそ目の前にいる宇迦之御魂神ウカノミタマだったのである。


 思い返してみれば、あの狐太郎は宇迦之御魂神ウカノミタマの神使を自称していた気がする。猫田が彼と会ったのはあれっきりだったのですっかり忘れていたが、そう言えばあの時、宇迦之御魂神ウカノミタマは猫田といずれ再会するような口振りであった。だとしたら、今日この状況も予知されたものだったのかと猫田は面白くなさそうな、複雑な顔になった。


 そんな猫田の顔を眺めて宇迦之御魂神ウカノミタマがニコニコしていると、荼枳尼天狐が咳払いをする。早く本題に入れと言わんばかりのプレッシャーだ。またお説教をされると思ったのか、宇迦之御魂神ウカノミタマは慌てて居住まいを正し、真面目な顔になって口を開いた。


「さ、さて、そろそろ話を始めるとしましょう。……その前に、猫田、その呪符を出しなさい」


 そう言うと宇迦之御魂神ウカノミタマは凛とした顔つきになって猫田に手を差し出した。しかし、当の猫田は思い当たることがないのか、怪訝な表情で首をひねってばかりである。


「呪符って、そんなもの持っちゃいねーぞ…?なんかの間違いじゃねーのか?」


「いいえ、持っていますよ。それ、そこに」


 宇迦之御魂神ウカノミタマが指差したのは、猫田のバングルに引っ掛けられていたお守りである。猫田はそれをお守りだと認識しているので、呪符と言われても繋がらなかったのだ。訝しむ猫田だったが、今は普通の猫モードなので自分では外せない。なので狛がそれを取ってやり、宇迦之御魂神ウカノミタマに手渡した。ちなみにバングルは、猫田が普通の猫になっている時は首輪代わりになっている。

 宇迦之御魂神ウカノミタマはそれを受け取ると、目を閉じてそこから何かを感じ取っているようだ。


「それが呪符だって?それはアイツが餞別にくれたお守りのはずだが……」


「アイツ、とは?」


「アイツは…あれ?待てよ。名前が出て来ねぇ……っていうか顔も思い出せねぇぞ…?そもそも、?」


 荼枳尼天狐だきにてんこに問われて、猫田は初めて百地のことを思い出せなくなっている事に気がついた。何故か今の今まで彼の存在すら忘れていて、名前はもちろん、顔も性別すらも朧気である。一体、自分に何が起こっているのかと、流石の猫田も混乱しているようだった。その内に、宇迦之御魂神ウカノミタマはゆっくりと目を開け、重苦しい表情をして、手の中のお守りを睨んでいる。


「…覚えていないのは当然でしょう。これをあなたに与えたのは、曲がりなりにもれっきとした神の一柱ですから。そう言った事に長けているのです、あの疫病神という者は……」


「や、疫病神だって!?」


「ええ、人間にも馴染み深い神でしょう。悪神の類いとはいえ、神は神ですからね。貧乏神と言ってもいいのですが、あれは家人に悟られることなく家へと入り込み、その家と人に不幸をもたらす者。恐らくそう言った特性から、認識を阻害する術を持っているのです。例えそれが妖怪相手であっても、その力は通用するようですね」


 そんなバカなと呟いて、猫田は絶句してしまった。しかし、言われてみれば思い当たるフシは確かにある。ここまで言われてようやく思い出してきたあの男……百地泡沫ももちウタは、迎え入れたはずの土敷でさえ、どういう存在なのかあやふやなようだった。よく考えればおかしい事なのだが、封じられていたのだとしたら、納得の行く話だ。


 そうして確かめるような仕草を見せた後、宇迦之御魂神ウカノミタマが小さく呪文を唱えるとお守りは発火して立ちどころに燃え尽きた。そのまま彼女が口にしたのは、狛達にも信じられない真実である。


「…この呪符があったから、あなた達に不幸が降りかかったのです。狛の兄……名を拍と言いましたね、どうですか?狛を憎む気持ちはまだありますか?」


「は?あ、いや……いや…まさか……っ!?」


 拍は頭を押さえて、狼狽している。自身の心境の変化に耐えきれず、パニックになりかけているようだ。そんな拍の様子に、猫田は胸の内で唸りながら納得していた。あれだけ狛を溺愛していた拍が豹変した事は、猫田にとっても信じられないものであったのだ。それが本当に疫病神こと…泡沫ウタの呪符によるものなら、その元凶が取り除かれた今、狛と拍の関係はきっと元通りになるだろう。それは猫田にとって、何よりも嬉しいことである。

 そして、気付いた事がある。新しい支隊によるくりぃちゃぁへの襲撃……それもまた、泡沫ウタが呼び込んだ不幸だったのではないか?もしそうだとしたら、決して許せることではない。徐々にではあるが、猫田の胸には泡沫ウタに対する怒りの炎が渦巻き始めていた。

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