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第346話 真相を求めて

「…………ぅ…………」


 ゆっくりと顔を上げた大口真神おおぐちのまがみは、声を上げるのも辛そうな状態であった。一体いつからここで眠っていたのだろう?いくら神であっても、一度ひとたび弱ってしまえば本来の力を取り戻すのは難しい。むしろ、神だからこそ、と言えるのかもしれない。

 神の力は信仰心によって左右されるものだが、特に上位の神になればなるほど、その影響は顕著になる。ルルドゥのようにまだ若く、元々信仰者のいない下級の神は持って生まれた力のみである為、大した事は出来ない分自由に動けるのだが、大口真神や宇迦之御魂神ウカノミタマのような上位の神々はそうもいかない。彼らは強力な力を有するが為に、自身の神話を持ち、それに沿った形でしか、十分な力を発揮できないという制約があるのだ。


「大口真神……無理をしてはいけない。狛を守る役目ならば、俺が果たす…!どうか、俺に任せてくれ」


 朧が駆け寄ってそう伝えると、大口真神は静かに目を伏せ、朧の顔に鼻を突き合わせた。それを見て、何か伝えたいことがあるのだと気付いた狛は、先に猫田を降ろして大口真神の前足に触れた。


「大口真神さん…私、狛です、犬神狛。あなたに会ったら聞きたい事がたくさんあったんです、だから、会えてとても嬉しい。でも、あなたはどうして私を守ろうとしてくれるの?私は、あなたの事を何も知らない。…ううん、知っているのかも知れないけど、何も解らないの。ただ、とても、とても懐かしい気持ちがするだけ……これって一体、何なのかな?あなたは、私達に何を伝えたいの?」


 狛が優しく訴えかけると、大口真神は狛に顔を近づけて、大きな舌でベロりと狛の顔を舐めた。その姿は、母犬が子犬の顔を舐めて愛情を示しているかのような優しい行為だ。そして、そうされた瞬間、狛の中に見た事もない映像が次々に浮かんで、消えた。それは以前、イツの記憶を垣間見た時に似た、魂の記憶のようだった。

 それを見ていた宇迦之御魂神ウカノミタマは、一瞬だけ悲しそうな表情を見せると、大口真神の隣に立った。彼女達の体格差は凄まじいものがあるとはいえ、とても仲の良い間柄のように見える。そうして、宇迦之御魂神ウカノミタマが何事かを唱えて再び大口真神が目を閉じると、宇迦之御魂神ウカノミタマは狛達に向かって語り始めた。


「彼女に無理はさせられない故、再び眠ってもらいました。詳しい話はやはり、私からしましょう。……彼女が今、こうして弱っているのは、ある強力な存在を抑え込んでいるからです。それが何なのかは追々お話しますが…彼女をそのくびきから解き放つ為に、あなた達の力が必要なのです。力を貸して頂けますか?」


「解らねーな…宇迦之御魂神お前や、ほどの神の力がありゃ、どんな妖怪だって相手にならねぇはずだ。それこそ神野や山本さんもとの爺さん達だって、真正面からまともにやり合えば、ただじゃすまねぇ。そんなあんたらが俺達に力を借りてぇだなんて……一体何が相手なんだよ?」


「ふふ、私達をそこまで買ってくれるのは光栄ですが、私達はそこまで万能ではありませんよ、猫田。私達のような神が十全に力を振るうには、それなりに条件が必要なのです。何より、私達は戦神ではありませんからね。私は建御雷タケミカヅチ猿田彦サルタヒコのような、武芸や戦う力に秀でた神ではないのです。…もっとも、仮に彼らであっても、を相手に勝利するのは難しいからこそ、私達は懊悩おうのうしているのですが……」


 それぞれの神が持つ、逸話や神話…日本の神で言えば、と言い換えてもいい。それらは神が力の源となる人の信仰心を集める為に作り上げたものであり、それを基に、人は神を信託して願いや思いを寄せるのである。よって、当然その集められた力は、限られたものにしか使えない。例えば宇迦之御魂神ウカノミタマであれば、『家内安全』『五穀豊穣』『商売繁盛』などだろうか。稲荷の神だけあって、それは人が生きていく上で重要なものばかりだが、その力を戦いに使い切る事は不可能だ。それは人の思いを裏切る行為である。そうなれば、人は神を信じる事を止めてしまうかもしれない。全ての神がそれだけは避けたいと感じるからこそ、制約が大きいとも言える。


 その時、狛の頭の中に思い浮かぶものがあった。まるで自分が体験したかのようなリアルさだが、間違いなく自分ではない。何故なら、そのイメージの中の狛はだったからだ。それが先程、大口真神に舐められて伝わってきた映像とリンクして、狛の中で鮮明な形となっていく……その内容は巨大な狼が、途轍もない力を持った怪物と戦いながら、傷ついている姿であった。その中で、狛と重なっている男性が、懸命に何かを叫びながら狼の方を応援しているようだった。何を言っているのかはハッキリと解らないが、断片的に理解出来るのは、それが神と神のぶつかり合いだということだ。


「神……宇迦之御魂神ウカノミタマさん達が戦っている相手は、神様…なの?」


「なに…?」


「……何か見えましたか?狛。そうです、彼女が抑え込んでいる相手とは紛れもなく神と言えるでしょう。ただし、邪神と言っても差し支えの無い存在ではあるのですが…」


 宇迦之御魂神ウカノミタマはそれだけ言うと、溜め息を吐いて黙ってしまった。明らかにその先を話したくないと躊躇っているのが、誰の目にも明らかだ。しかし、その先を聞かない事にはいくら狛達でも協力するとは言えないだろう。ましてや、神々の争いに首を突っ込む事となれば、それは神と妖の戦い以上に繊細で厄介なことになる。そんな中で口を開いたのは、じれったそうにしている猫田ではなく、混乱と緊張で口をカラカラにした拍であった。


「それで……その、神、とは…?」


「……助力を乞う身でありながら、こんな事を言うのは勝手だと重々承知しているのですが…あまり、あの神の名は口にしたくないのです。あれは既に忘れ去られた存在でも、その真名を繰り返し囁けば、再び力を与えてしまう事になりかねませんから。…ですので、あなた達にはこれから、少しの間だけ記憶を覗く旅に出てもらいます。彼女の、大口真神の記憶を辿れば、自ずとその全貌が見えてくるでしょう」


「記憶を?い、いいんですか?」


「はい、これは元々大口真神に頼まれていた事です。狛、あなたがここへ来た時に、自分の記憶を見せて欲しいと。そしてあなたに、選んでほしいのだと…彼女はそう言っていました」


「…選ぶって、一体、何を…」


「これからあなたが進む道を、です。きっと辛い事もあるでしょうが、せめてあなたには、自分の意志で選択して欲しかったのでしょう。それが例え、彼女自身の命を削ることになったとしても……どうか願わくば、あなたの選択が我が友を救う道へと繋がっていきますように。……それでは、いきますよ、目を閉じなさい」


 神の記憶を覗くとは、只事ではない。何よりも恐ろしいのは、そこまでの事をしなければならない相手が待ち受けているという紛れもない事実だ。この場にいる全員が、神妙な面持ちで、目を瞑り何かが起こるのを待った。

 すると、次の瞬間、ぐらりと大きく身体が揺れる感覚が襲ってきた。目を瞑っているというのに、視界が眩暈のように視界が揺れて身体全体が何かに揺さぶられているような気持の悪さだった。しかも、それが収まる前に、どこか高い場所から一気に落ちていくような浮遊感までもが感じられる。狛は思わず叫んでしまいそうになったが、誰も声を上げていないと気付き、寸での所で踏み止まった。


(な、何!?何が起きてるの!うぅっ、気持ち悪い…っ!)


 闇の中をどこまでも落ちていく感覚は永遠のようにも、一瞬のようにも感じられ、やがてそれが落ち着いた時、狛達は揃ってどこか深い森の中に佇んでいた。視線の先には人と同じ位の大きさをした真っ白い狼が木々の間から遠くを見つめているようだ。木漏れ日の差し込む森には風や鳥の鳴き声、虫の声が響き渡っている。誰かの息を呑む音が森の中に溶けてゆき、ここに遥かな追憶の旅が始まったのだった。

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