「…………ぅ…………」
ゆっくりと顔を上げた
神の力は信仰心によって左右されるものだが、特に上位の神になればなるほど、その影響は顕著になる。ルルドゥのようにまだ若く、元々信仰者のいない下級の神は持って生まれた力のみである為、大した事は出来ない分自由に動けるのだが、大口真神や
「大口真神……無理をしてはいけない。狛を守る役目ならば、俺が果たす…!どうか、俺に任せてくれ」
朧が駆け寄ってそう伝えると、大口真神は静かに目を伏せ、朧の顔に鼻を突き合わせた。それを見て、何か伝えたいことがあるのだと気付いた狛は、先に猫田を降ろして大口真神の前足に触れた。
「大口真神さん…私、狛です、犬神狛。あなたに会ったら聞きたい事がたくさんあったんです、だから、会えてとても嬉しい。でも、あなたはどうして私を守ろうとしてくれるの?私は、あなたの事を何も知らない。…ううん、知っているのかも知れないけど、何も解らないの。ただ、とても、とても懐かしい気持ちがするだけ……これって一体、何なのかな?あなたは、私達に何を伝えたいの?」
狛が優しく訴えかけると、大口真神は狛に顔を近づけて、大きな舌でベロりと狛の顔を舐めた。その姿は、母犬が子犬の顔を舐めて愛情を示しているかのような優しい行為だ。そして、そうされた瞬間、狛の中に見た事もない映像が次々に浮かんで、消えた。それは以前、イツの記憶を垣間見た時に似た、魂の記憶のようだった。
それを見ていた
「彼女に無理はさせられない故、再び眠ってもらいました。詳しい話はやはり、私からしましょう。……彼女が今、こうして弱っているのは、ある強力な存在を抑え込んでいるからです。それが何なのかは追々お話しますが…彼女をその
「解らねーな…
「ふふ、私達をそこまで買ってくれるのは光栄ですが、私達はそこまで万能ではありませんよ、猫田。私達のような神が十全に力を振るうには、それなりに条件が必要なのです。何より、私達は戦神ではありませんからね。私は
それぞれの神が持つ、逸話や神話…日本の神で言えば、
その時、狛の頭の中に思い浮かぶものがあった。まるで自分が体験したかのようなリアルさだが、間違いなく自分ではない。何故なら、そのイメージの中の狛は
「神……
「なに…?」
「……何か見えましたか?狛。そうです、彼女が抑え込んでいる相手とは紛れもなく神と言えるでしょう。ただし、邪神と言っても差し支えの無い存在ではあるのですが…」
「それで……その、神、とは…?」
「……助力を乞う身でありながら、こんな事を言うのは勝手だと重々承知しているのですが…あまり、あの神の名は口にしたくないのです。あれは既に忘れ去られた存在でも、その真名を繰り返し囁けば、再び力を与えてしまう事になりかねませんから。…ですので、あなた達にはこれから、少しの間だけ記憶を覗く旅に出てもらいます。彼女の、大口真神の記憶を辿れば、自ずとその全貌が見えてくるでしょう」
「記憶を?い、いいんですか?」
「はい、これは元々大口真神に頼まれていた事です。狛、あなたがここへ来た時に、自分の記憶を見せて欲しいと。そしてあなたに、選んでほしいのだと…彼女はそう言っていました」
「…選ぶって、一体、何を…」
「これからあなたが進む道を、です。きっと辛い事もあるでしょうが、せめてあなたには、自分の意志で選択して欲しかったのでしょう。それが例え、彼女自身の命を削ることになったとしても……どうか願わくば、あなたの選択が我が友を救う道へと繋がっていきますように。……それでは、いきますよ、目を閉じなさい」
神の記憶を覗くとは、只事ではない。何よりも恐ろしいのは、そこまでの事をしなければならない相手が待ち受けているという紛れもない事実だ。この場にいる全員が、神妙な面持ちで、目を瞑り何かが起こるのを待った。
すると、次の瞬間、ぐらりと大きく身体が揺れる感覚が襲ってきた。目を瞑っているというのに、視界が眩暈のように視界が揺れて身体全体が何かに揺さぶられているような気持の悪さだった。しかも、それが収まる前に、どこか高い場所から一気に落ちていくような浮遊感までもが感じられる。狛は思わず叫んでしまいそうになったが、誰も声を上げていないと気付き、寸での所で踏み止まった。
(な、何!?何が起きてるの!うぅっ、気持ち悪い…っ!)
闇の中をどこまでも落ちていく感覚は永遠のようにも、一瞬のようにも感じられ、やがてそれが落ち着いた時、狛達は揃ってどこか深い森の中に佇んでいた。視線の先には人と同じ位の大きさをした真っ白い狼が木々の間から遠くを見つめているようだ。木漏れ日の差し込む森には風や鳥の鳴き声、虫の声が響き渡っている。誰かの息を呑む音が森の中に溶けてゆき、ここに遥かな追憶の旅が始まったのだった。