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第347話 狼の出会い

「ここ…って、あ、皆いる。え、これ、どうなってるの?皆半透明で向こうが透けてるけど……」


 狛が隣を向くと、猫田や朧、拍や弧乃木達が鬱蒼とした森の中で立ち尽くしていた。狛の言う通り、全員その姿は半透明化していて、景色が透けて見えている。まるでSF映画や漫画に出て来る特殊なスーツでも着ているかのようだ。それでいて、森の中の温度や匂い、それに風や鳥、そして虫の鳴き声などが感じられて、余りにもリアルである。

 ただ、目の前にいる白い狼は、こちらに何の反応も示していない。


「どうやら、何者かの記憶を追体験している……ようだ。ハイクオリティなVR動画とでも言おうか…流石は神の御業という所かな」


 弧乃木の説明で、狛と拍は理解出来たが、朧と猫田はピンと来ていないようである。朧はともかく、猫田は人の社会で暮らして長いのだから、ある程度理解出来てもいいように思えるが、意外にもピンと来ていないらしい。


「あー……つまりあれか?これは映画みたいなもんだってことか?」


「そういう認識でよろしいかと。現に、この狼はこちらに全く気付いていないようですしね」


 そう言われて、猫田はようやく納得したらしい。「なるほどな」と言ってそのまま狛の足元に移動してくると、器用に狛の背中に飛び移って、スルスルと背中を登り始めた。考えてみれば普通の猫の姿でいる猫田には、この森の中は視界が悪いのだろう。何しろ獣道を除けば、辺りは草むらだらけである。猫田は狛の頭の上まで乗って、ようやく一息ついた形だ。


「猫田さんそこでいいの?抱っこしようか?」


「……いや、ここでいい。そんなことより、動き出すみてーだぞ」


「え?」


 猫田の言う通り、白い狼は何かに気付いたのか風の臭いを嗅ぎ耳を忙しなく動かした後、突如猛烈なスピードで走り出した。急いで後を追おうとしたが、その必要はないようである。狼が移動を始めると、狛達も一定の距離を保って、身体が勝手に移動していた。どうやら、この狼の記憶を俯瞰で見ているということのようである。


 狼が疾風のような速さで森の中を駆け抜け、少し開けた場所に着くと、そこには一本のとても大きな樹が立っていた。その樹の根元では見た事もない怪物が、くちゃくちゃと不気味な音を立てて、一心不乱に何かを貪っている。恐らくは妖怪の類いだろうが、何を食べているのかあまり理解したくない食事に夢中で、こちらには気付いていない。それを目の当たりにした狼は、唸りながら牙を剥いて怒りを露わにして背後から近づき、一瞬でその怪物を爪で引き裂いてみせた。凄まじい速さと手際である。


 『間に合わなんだか……まさか、私が守護するこの森に妖魅の輩が出ようとは…よほど人の世が荒れている証じゃな。すまぬ、人の子よ』


 白狼は無惨にも食い殺された人間のむくろの傍らに座ると、目を瞑って静かに鎮魂の祈りを捧げた。ちょうどその時、風に紛れて微かに何かが聞こえたような気がする。白狼はそのか細い声を頼りに、大樹の根元へ足を運ぶと、そこには小さなうろが空いていた。物音は、どうやらそこから聞こえてきたようである。


 『……赤子、か。先程の躯が、殺される前にここへ隠したのじゃな』


 白狼が覗き込んだその穴の奥には、とても上等とは言えない布に包まれた赤ん坊の姿があった。微かに聞こえていたのは赤ん坊の泣き声で、暗い洞穴の中で弱々しく泣いている。このまま放っておけば、一日とだろう。白狼は振り向き、哀れな犠牲者となったむくろに視線を投げた。そのまま少しの時間が過ぎて、白狼は観念したように溜息を吐き、改めて洞の中に首を突っ込むのだった。



 それから数年後……あの時の赤ん坊はすっかり成長し、少年らしい姿になっていた。幸か不幸か、白狼は出産したばかりだったのか、母乳が出たので赤ん坊が飢える事は無かったようである。ただ、その傍に子どもの狼がいなかったのは、自然の厳しさということなのだろう。白狼が赤ん坊を助けたのも、失った我が子を欲してのことだったのかもしれない。


 赤ん坊はその空色の瞳からくうと名付けられ、日々、山と森を駆けて元気に遊ぶ子どもになっていた。だが、空が変わっていたのは、その身体能力の高さである。同じ歳の子どもと比べても明らかに発育が良く、力も強くて身体は頑丈だった。白狼を母と慕い、動物達と山で駆けっこをするその姿は、いつしか人々の目に触れる所となり、それは天狗か物の怪の子だと恐れられていたようである。


 事態が大きく動いたのは、空が九つになった頃の事だ。


 この頃になると、空はだいぶ成長してきたように見える。まだ十に満たない子どもなので、多少筋肉はついても身体は大人には程遠く、夜は白狼に寄り添って離れない甘えん坊な所も変わっていない。ただ、その顔つきはどこかで見た事があるような気がしていた。そんなある日のことだ。


 二人がねぐらにしている洞窟の中で食事を終えた頃、不意に白狼が空の目を見据えて口を開いた。


『空、私は明日から少し遠出をしてくる。一月ひとつきほど戻れぬが……お前を連れて行くわけにはいかぬのでな、しっかり留守番しておれ』


『母者、どこへ行く?オレは一緒に行っちゃいけないのか?』


『……ああ、駄目じゃ。この集まりに人は連れて行けぬ、そういう決まり事じゃからな』


『むうぅ…!オレは人じゃない、狼じゃ!母者と一緒じゃ!一緒に行きたい!』


『そう言う問題ではないのじゃ……出雲に集まれるのは神のみ…お前がいくら狼と自称しても許されぬ。諦めよ』


『カミ?カミとはなんじゃ?母者は狼だと言うとったではないか!オレは母者の子じゃ、ならオレもそのカミなんじゃないのか!?』


 食い下がる空を睨みつけ、白狼は強烈なプレッシャーを放つ。その迫力に気圧された空は、恐怖のあまり気を失いそうになったのだが、ギリギリのところで踏み止まっていた。白狼は内心、それに驚いているが、そこで甘い顔をすることはない。


『…自惚れるな、お前如きが神にはなれぬ。本来、精進に精進を重ね、気の遠くなるほどの修行を積み重ねて、ようやく神となる為のきっかけを掴み取れるのだ。己の力量も解らぬ未熟な小僧に、神を名乗る資格など無いわ!』


『ううぅ……!』


 強く叱責された空は、悔しさのあまり洞窟の奥に作った寝床へ逃げ込むと、そのまま泣きじゃくり眠りに就いてしまった。白狼はやれやれと大きく溜め息を吐いて洞窟の入口に移動し、空を見上げる。


『全く、仕方のないやつじゃ。お前が狼ならば、とうの昔に独り立ちしておるだろうに。……じゃが、あやつももう九つ、そろそろ一人でいる事も覚えねばならぬ…許せ、空』


 白狼はそう呟き、そこで丸くなって眠り始めた。夜空に浮かぶ月は綺麗な三日月をしていて、優しい月明かりが白狼の毛皮に反射して美しく煌めいている。その夜が、白狼と空が一緒に過ごす最後の夜になるとは、二人は露ほどにも思っていなかったのだ。



 翌日の早朝、日の出と共に空が目を覚ますと、既にどこにも白狼の姿はなかった。どうやら夜更けの内に出かけてしまったらしい。本当に自分を置いて出て行ってしまったのだと、空は悲しんだが、泣いてばかりもいられない。何しろ一か月間、空は一人で生活しなければならないのだ。水場は解っているし、洞窟からそう離れていないので心配いらないが、問題は食糧である。


『ウサギでも探すか……母者、早く帰ってこないかな』


 森の動物たちは仲間であり、貴重な栄養でもある。獲物の獲り方は白狼から習っているが、完全に一人で狩りをするのは初めての事だ。空は近くに生えている木の実を毟って口にしつつ、適当な獲物を探すことにしたのだった。

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