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第381話 覚醒と変異

 今、狛の身の内に、六体の犬神が集まった。狛に宿る犬神達は喜びに打ち震え、狛の中で歓喜の雄叫びを上げている。


 これまでの長い犬神家の歴史の中で、本来開祖が従えていた五体の犬神が一人の元に集ったのは、開祖であるくうと狛達の高祖父である宗吾だけである。犬神達にはそれぞれ個性があり、自分達が宿るのに適した人間を彼らが独自に選んでいた訳だが、彼らの本音はやはり一人の人間の中に集まることが最も嬉しいらしい。

 しかも狛は、彼らが最初に主と決め『愛犬の犬神化』という能力で自分達を犬神としたくうと同じ魂を持っている……犬神達にしてみれば、一度は死別したくうが輪廻の中で生まれ変わって再会できたのだ。

 その上、アスラという新たな群れの仲間…犬神としての家族まで増えているのだから、その喜びは至上の物だろう。


 狛は、歓喜に湧く一二三四五ヒイフウミイヨウイツとアスラを改めて落ち着かせ、心を一つに同調させて狗神走狗の術を発動させた……つまり、人狼化だ。

 宗吾が人狼となった時は、狛のように半人の姿ではなく正真正銘の巨大な狼の姿へと変身していたが、狛の場合は違うようだ。溢れる霊力が形となり、大口真神に似た大きな狼が狛の背から顔をのぞかせている。


 そんな狛の全身から爆発するかのような霊力が噴き出すと、拍や真だけでなくここに集まった国津神達でさえ圧倒され、息を吞んでいた。呪術で魂を縛り、強制的に作られたとは違い、狛やくうが生み出すは元より心を通わせ、力を貸してくれる存在だ。その違いがここまで強いとは流石の神々も予想はしていなかったようである。


 狛と犬神達の力を間近で感じた拍は、どうして犬神達が狛の元に集まりたがったのか、その理由も解った気がした。


「これは……これが、狛の力か。これだけの力を見せられれば、狛は当主に相応しいと一族の誰もが思うだろう。……反対など出来るはずもないな」


「そんな顔をしなくても、拍、お前も立派な当主の器だったよ。…胸を張っていい、お前も俺と母さんの、自慢の息子さ」


 拍の頭をぐっと抱き寄せ、真は笑う。拍は一瞬煩わしそうに顔をしかめたが、父とのスキンシップは不思議とそこまで悪い気もしないようで、強く逆らったりはしない。そんな息子の反応に真は自嘲するように呟いた。


「しかし、さっきは狛を守ると偉そうに言ってみたものの、今の狛には俺の力など必要ないだろうね。いやはや、我が子の成長は嬉しくもあるが、こうもあっさり力を抜かれてしまうと、父親としては立つ瀬がない。少々、複雑だよ」


 どこかやりきれない顔をして、自虐風に苦笑する真だが、決して狛の成長を疎んでいるわけではない。父の威厳としてはもちろん思う所もあるが、一番気にしているのは、立派に成長した姿を妻に見せられなかったことであるようだ。それでもきっと、優しい母であった天ならば、草葉の陰から狛を見守ってくれているだろう、そう願っている。


 狛は、そんな二人に向かって微笑む。その笑顔は、満月のように美しく、静かだが瑞々しい生命力に満ち溢れて見えた。


「……お父さん、お兄ちゃん、ありがとう。私、頑張って来るね!」


「ゥオオオオオオオオンッ!!」


 狛の言葉に続けて、その背中で狼が叫ぶ。それは戦いの合図だった。狛は一息に跳躍して常世神の繭へ飛んでいき、渾身の力を込めて、その繭を殴りつけた。その衝撃は凄まじく、轟音と共に激しくぶつかった霊力が飛び散り、まるで雷光のように天を切り裂いて走っている。


「よ、止せっ!止めろ、常世神様を……我が母を傷つけるなぁっ!」


 空中でなおも追撃を試みる狛に向かって志多羅は叫んでいるが、狛は脇目も振らず止まる様子はない。更なる一撃から、また一撃と、次々に常世神の繭へ拳を叩き込んでいった。



 その音は、かなり離れていた神子神社にも届いていた。常世神本体に感応した赤い華の影響から解き放たれた神奈達は、それを目の当たりにして見入っている。


「スゴ…アレってコマチがやってるの?」


「この霊気は間違いない、戦っているのは狛だ。……なんてパワーなんだ、こんなに離れているのに腹の奥が震えている…」


 至近距離で花火を見ると、その音と衝撃が身体の奥まで響くものだが、狛の戦う力の余波はまさにそれと酷似していた。神奈はただただその力に圧倒され、目を離せない。メイリーには霊力を感じ取ることなど出来ないが、稲光のような輝きと衝突音がこの距離で感じられるだけでも、その凄さを体感出来ているらしい。

 そんな二人の横で、レディもまたその光景に魅入られていた。槐の地下施設、降魔宮で全霊をかけて狛と戦い、敗北を喫した後は抜け殻のようになっていて、そのほとんどを眠りに費やしていたのだが、不思議と今の狛の力を見ても悔恨の情は見られない。レディをずっと見守っていた八雲は、どこかホッとした様子で彼女の横顔を見つめている。


「確かに凄まじいな、あれが槐を討ち破った犬神の娘か……ふ、あんなものを相手にしては、勝てるはずもないというものだ。気を落とすなよ、レディ」


「……Shut upうるさいわね.別に、そんな事を気にしてる訳じゃないわ。私は全力で戦って負けたんだもの……でも、不思議ね、悔しいはずなのに」


 そう呟くレディの顔はとても晴れやかで、嘘をついたり虚勢を張っているようには見えない。それだけ成長したということなのかと、親のような気持になって八雲は小さく笑っていた。

 そんな彼女達の背後で、赤い華が不気味に揺れていることに、この時にはまだ誰も気付いていなかった。




「こ、このままでは常世神が……こうなれば、手段は選んでいられん…!」


 それまで指を咥えて見ているだけだった志多羅は、狛の猛攻が更に激しさを増していく事に焦りを覚えていた。常世神の変態が終わっていない今、狛が繭を破壊するような事があれば、せっかく現世に復活した常世神が霧散してしまうかもしれない、それは絶対に避けたい所だ。

 とはいえ、神格を失った志多羅には、狛を止めるだけの力はない。彼に出来る事は、もうたった一つしか残されていない。


「そうだ、この時の為に俺は…!」


 誰もが狛の攻撃に目を奪われる中、覚悟を決めた志多羅が、そっと。すると、乾いた砂に溢した水滴のように、志多羅の身体は繭の中に取り込まれていく。


「はあああああっ!」


 ちょうどそれは、今までで最も重い狛の拳が常世神の繭に炸裂した時だった。そして、ビシィッという甲高い音を立てて、繭に亀裂が走る。その場にいた全員が勝利を確信したが、しかし、戦いはまだ終わっていない。


「や、やったか!?」


「待て、志多羅は……ヤツは、どこに?…あっ!」


 真が見たのは、僅かに残った志多羅の身体が完全に繭の中へと取り込まれていく姿だった。神ではなくなり、力の大半を失ったとはいえ、志多羅は常世神が現世に産み落とした分身であり、我が子同然の存在だ。それを常世神が取り込めばどんな結果をもたらすかは未知数である。猛烈に不吉な予感がして、真は狛に向かって大声で叫んだ。


「狛っ!まだ終わっていない!気をつけろ!」


「お父さん?……っ、来る!」


 繭の目の前にいた狛は、そのひび割れた隙間から覗く鋭い視線を感じ取っていた。これまでの比ではない恐ろしい程の気配が、繭の中からハッキリと感じられる。そして、ほとんど間を置かず繭に走った亀裂はその範囲を伸ばし、純白だった繭は枯草のような色合いになり、やがて大きな破壊音を立てて崩れ落ち始めた。


「……いかん、皆下がれっ!逃げよ!」


 異変を察した大国主命が叫ぶと、宇迦之御魂神ウカノミタマが指先で素早く印を切り、狛を除いた全員の姿が消えた。そうして蒼白く輝く満月と狛の霊力に照らされ、最悪の神がその姿を現したのだった。

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