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第380話 神々の希望

「え…、お、お父……さん?それに、お兄ちゃんも……」


「ふん、今度は誰かと思えば貴様か。つまらん連中が次々に、鬱陶しいものだ」


 狛の背後からどこからともなく現れたのは、父、シンと兄の拍である。真は優しく飄々とした雰囲気こそ変わっていないが、志多羅を見つめる瞳には強い怒りが宿っているようだった。一方、拍が少しバツの悪そうな顔をしているのは、ここに来るまでに何かあったという事だろう。拍は狛を庇うようにして立ち、真と共に志多羅と相対している。


「狛、遅れてすまなかったね。あちこち回っていたものだから…けれど、もう心配は要らないよ。お前は父さん達が護るから、それが母さんとの約束だからね」


「お父さん……!お兄ちゃんも、どうして…他の皆は……?」


「……親父に呼ばれたのさ。どこから聞きつけたのか、いつの間にか人狼の里に現れたんだ。他の一族の皆は、里を守る為に戦っている…説得は、まだ途中だったんだがな」


 拍はそう言うと、傷だらけの狛の頭を撫でた。ここまでの顛末を真に話したのだろうが、余り親子仲の良くない二人が一緒に来た事自体が、狛には少し信じ難い事であった。


「ククク…ハハハハハ!先程の手練れ共ならいざ知らず、貴様ら如きが今更のこのこと出てきた所で何をするというのだ。まさか家族の絆が力だとでも言うつもりか?笑わせてくれる。呪いに負け、子と暮らす日常を諦めた親と、掟に縛られて最愛の妹を殺そうとした兄が助けに来て、家族の絆だと?これは傑作だ!」


「何をするかは決まっているさ。…むしろ、親が子どもを守る以外にすることがあるとでも?人間の親というものは、命懸けで子を産み育て、守るものなんだよ。道具として産んでそれっきりの、君の母親とは違ってね」


「貴様……!常世神を侮辱するか!?」


 明らかな真の挑発に乗り、志多羅は怒りを露わにする。それを見た真は、思った以上の反応があった事に少し笑っている。


「君の言う通り、確かに俺は弱い男だ。君の分身に右目と妻を奪われ、幸せな暮らしをも失った。それでも、今こうして大切な家族を守る為に戦う事が出来るのだから、悔いはない。それに今夜は、頼りになる息子がもう一人いるんでね。……正確に言えば、その、だが」


 真の口から出た言葉に、狛は理解が追い付かないようだ。何よりも拍が、その言葉にビクンと反応して震えている。もう一人の息子とは、一体誰のことなのか。もしや、自分の知らない兄弟がいたのかと、狛はパニックになっていた。そんな真と拍の足元から、おずおずと姿を見せたのは、朧である。ただし、狼の姿でだ。


「お、朧君…?ど、どういうこと?なんで朧君がお父さんの息子なの?」


「待て待て、親父!俺はまだ認めていないぞ!狛とこいつが、そんな……」


「え?え?」


「まぁ、そこは将来的にってことでね。あくまで予定だよ、よ・て・い」


「狛、お前の父親は何と言うか……強いな」


「え、と…うん、ありがとう?」


「ええい…下らん話をベラベラと!雑魚が何匹集まろうが同じ事だ。もういい、貴様らなどまとめてこの手であの世に送ってやる!貴様らが再び輪廻の中で転生してくる頃には、最早この星の全てが常世神の腹の中よ!」


 激昂する志多羅を、真は余裕の表情で笑い飛ばす。そんな余裕がどこにあるのか、狛にも志多羅にも解らないようだ。


「な、何がおかしい!?貴様、気でも触れたか…!」


「フフッ…いやいや、俺は正気さ。ただ、人を雑魚だなんだと言う割に随分焦っているなと思ってね。その理由がようやく解って来たよ。君は怖いんだろう?俺達…ではなく、狛の事が。君は狛が産まれることすら阻止しようと画策しても失敗し、今こうして、常世神の前に狛が立っている…君はそれが恐ろしいんだな。あの方達に聞いていた通りだった」


「あ……あの方達、だと?」


「そうだ。俺達だけが突然無策でここへ来たと思ったかい?生憎と、俺達は呼ばれたんだよ。この国と、そこに住まう人々の未来を憂う……日本の神々に、ね」


 真はニヤリと笑って天を仰ぐ。すると、やや間が空いた後、シャン、シャンと鈴の音が鳴り始めた。それは巫女が神を呼び讃える時に鳴らす神楽鈴の鈴音そのものだ。規則正しい鈴の音は段々と大きくなって、やがて、すぐ耳元で鳴っているように聞こえてきた。次の瞬間、狛達の周りに光を纏ったいくつもの姿が現れた。誰もが見た事もない時代がかった着物を着ているが、顔立ちは見覚えのある者達ばかりだ。その中には、神域で別れた宇迦之御魂神ウカノミタマの姿もあった。


 ボロボロになった狛を除いて、真も拍も朧でさえも、彼らに首を垂れて跪いている。その中で最も恰幅のいい大柄な男性がゆっくりと口を開く。


「人の子らよ、呼びかけに応じ馳せ参じてくれたようだの。実に大儀であった。……して、そちが狛か?」


「え……あ、はい」


「かような痛々しい姿になるまで遅うなってすまなんだ。儂らは神として、その力を振るうには制約があるのでな。ようやく、準備が整った所じゃ」


「じゅ、準備?」


「き、貴様らは……宇迦之御魂神ウカノミタマだけでなく大国主命オオクニヌシノミコト大物主オオモノヌシ…ほ、他にも名だたる国津神共が人界に集うなど、そんなバカな!?」


「何が異なことか。此度の騒動は、元はと言えば儂ら日本の神々が、お主や常世神をのさばらせたのが発端であろう。責を負うのは本来、儂らでなければならぬ。しかも、お主は我らが主神たる天照大御神アマテラスオオミカミの御姿…太陽まで穢しおった。もはやその罪、決して許せるものではないと知れ!」


 大国主命の叱責は、神気による圧を持っており、言霊となって志多羅を激しく打ち据えた。神々の世界は非常に厳格な階級社会である。特に日本の神々は、八百万の神々と呼ばれるだけあってその数が非常に多い為、上位神の持つ力とその言葉は絶対だ。志多羅は神々の力を利用する為にかつて上洛し、八幡神の末席に加えられた経緯を持つが、常世神復活の為に千年以上もの時間を費やす事になったのは、表立って上位神に歯向かう事が出来なかったからでもある。実のところ、自らが計画した常世神復活の日まで、神の座を失うわけにはいかなかったのだ。


「八百万の神々を纏めし、国津神の主宰神として命ずる!志多羅神よ、お主を今この時より八幡神の並びから解き、抹消する!これよりお主は神を名乗ること能わず!これは神勅である!」


 大国主命がそう宣言した瞬間、志多羅は神格を失い、力そのものをも失った。志多羅はルルドゥのように、己の力のみによって神格を獲得した神ではない。彼は元々疫神として、一部の人々の心を掴んで集めた力しか持ち得ていない存在だ。彼を神たらしめていたのは、大国主命を始めとした国津神の上位神達が、それを認めていたからに過ぎないのである。


 己が力を急速に奪われていくことに、志多羅は呻き声を上げた。しかし、既に常世神は現世に舞い戻り、多くの人々の命と魂を吸った後だ。その意味では志多羅の役割は終わっていて、神であることに固執する必要はない。志多羅はたじろぎながらも、不敵な笑みを崩さなかった。


「ぐっ……!?ふふふ、フハハハッ!今更俺の力を奪った所でもう遅い!既に今、貴様らの目の前に常世神は存在しているのだ!どの道、貴様ら国津神がどれだけ集まろうとも戦う事など出来まい、何せ貴様らの力は戦いに使う事など定められていないのだからな…!」


 負け惜しみに聞こえるようだが、それは純然たる事実である。日本の神に限った話ではないが、神と言う存在はどれほどの力があっても、己の定めた神話から外れて力を行使することが出来ない。それは例え全知全能の神であっても、敵対者を完全に滅ぼす事が出来ない理由の一つだ。 以前、神域で宇迦之御魂神ウカノミタマが語ったように、人の信仰心を力の源とする神々にとって、神話こそ人が神を信じる礎である。それはどんな神であっても変わらない、ある意味で神の弱点とも言える制約であった。


「いかにも……儂らは神話にそぐわぬ戦いに力を使う事は出来ぬ。だからこそ、この時を待っていたのだ。…狛よ、我らが神の一柱、大口真神の子として生きた神人しんじんの子孫よ。お主に儂らの全てを託す。この国に住まう全ての命と魂を、守ってやってくれ」


「え?わ、私が?でも、今の私には……」


「案ずることはない、その為に、儂らは人の信心が集まるのを待っておったのじゃ。何よりも、これはこの国の人と神の存亡を賭けた戦い。……あの神も、協力は惜しまぬと言うてくれた」


「あの、神…様?」


 大国主命がそう呟くと、再び辺りに鈴音が鳴り響く。すると、それまでじっと黙っていたこの場にいる国津神達が、全員で天を仰いで謡い始めた。それは祝詞であり、この国で月を支配する神……天照大御神に次ぐ三貴子みはしらのうずのみこ月読尊ツクヨミノミコトを讃える呼び声だ。本来、人が畏敬を持ち唱えて神を呼ぶそれを、言霊の力を持つ神々が唱えるのである。

 そして、遂に奇跡が訪れた。


 ――掛巻かけまくも かしこき 月弓尊つきゆみのみこと

 ――上絃じょうげんの 大虚おほぞらを 主給つかさどりたも

 ――月夜見尊つきよみのみことは 

 ――圓滿えんまんの 中天ちゅうてんを 照給てらしたも


 ――月讀尊つきよみのみこと

 ――下絃げげんの 虚空そらを 知食しろしめ

 ――三神三天さんじんさんてんを 知食しろしめせ

 ――申す事まをすことよしを 聞食きこしめし


 ――祈願きがん 圓滿えんまん 感應かんおう 成就じょうじゅ 

 ――無上むじょう 靈寶れいほう 神道しんどう 加持かじ 


 「ああ、月が……満月が…!」


 祝詞が唱えられると、狛の遥か頭上に煌々と明るく夜空を照らす満月がその姿を現した。大国主命達の祝詞によって、月の化身である天津神、月読尊ツクヨミノミコトまでもが力を貸してくれたのである。満月の光が狛に優しく降り注ぎ、それまで完全に失われていた狛の霊力が、みる間に復活していくようだ。


「ば、バカな…!そんなバカな!?天体を操るなど、神の禁を破る行為ではないか!貴様らそこまでして……!」


「愚か者はお主の方だ、志多羅よ。これは人々が、常世神という脅威から救いを求める声として我らにこいねがった奇跡の発露に他ならぬ。どれだけ人の信心を集めようとも、儂ら神は戦えぬが、奇跡を起こして人を救う事に何の禁があろうか。それすらも解らぬとは……」


 大国主命が嘆かわしいとでも言いたげに頭を振って溜息を吐いてみせると、志多羅は反論する言葉もなく後退る。それもそのはず、志多羅の視線の先には、満月でその力を取り戻した狛が人狼化して立っているのだ。いつかレディと戦った時のように、満月の人狼は超絶の再生能力を持った不死身の存在である。瞬く間に全身の傷は癒えて、骨折した左腕さえも完璧に治癒していた。

 それだけではない、跪いたままの拍が狛の手を取り、覚悟を決めた瞳で宣言した。


「狛……お前に、俺が持つ四体の犬神全てを譲渡する。これは、俺の中にいる一二三四ヒイフウミイヨウ達が望んだ事だ。そして今この時より、お前が開祖より伝わる全ての犬神を所有する、犬神家の当主となるのだ…!」


「……うん、解った。イツもアスラも、私の中でそれを望んでるみたい。お兄ちゃん、辛い事をさせてごめんなさい。…私、頑張る!精一杯、頑張るよ!」


 その言葉通りに、拍の影から一二三四ヒイフウミイヨウ達が飛び出して、狛の影の中に入っていった。そして狛は、正真正銘の開祖以来…いや、開祖や宗吾をも超え、初めて六つの犬神をその身に宿した、その当主となったのである。



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