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第379話 祈りの行く先

「急急如律令!消えろや、化け物共が!」


 そう叫んでのっぺらぼうの怪物を打ち倒しているのは、大寅狐太郎だ。彼の背後には運良く難を逃れた多くの市民が集まっており、結界を張る同僚の神使達と共に、伏見稲荷大社の境内に集まって戦いを続けている。しかし、善戦しているのは彼らのような戦力のある場所だけで、住宅街などの戦う力を持たない無抵抗の人々が暮らす地域はとっくに陥落し、あちこちで赤い人の華が咲き乱れていた。


 こうした状況は、狛達のいる中津洲市内だけに止まらず、日本全国各地で起きていた。ここ、伏見稲荷に避難してきた人々は、一心不乱に宇迦之御魂神ウカノミタマに祈りを捧げて救いの時を待っている。無抵抗の市民達とて決して守られているだけではなく、神に祈ることで信仰心と言う名の力を神に与えているのだ。それが古来より連綿と続く、人と神の関係性である。


宇迦之御魂神ウカノミタマ様のお告げによったら、こら常世神やらいう邪神から産まれた化け物や。儂らの宇迦之御魂神ウカノミタマ様を差し置いて、邪神如きに好きにさせてたまるかいな…!皆、気張って祈れ!必ず宇迦之御魂神ウカノミタマ様が儂らを救うて下さる!その時が来るまでは、儂ら、稲荷の神使が皆を守ったるさかいな!負けるんとちがうぞ!」


 そう言って狐太郎が鼓舞すると、祈りを捧げる人達はより一層の信心を込めて本殿に向けて手を合わせた。


(ここはこれでええ、何とかもつやろ。後は……あの子達は無事やろうか?きっとあの子達も戦うてるはずや。気張ってや、狛ちゃん達…!)


 宇迦之御魂神ウカノミタマの命令で、一時受け持っただけの生徒達だが、彼らに悪い思い出はない。むしろ、自分の中に真っ当な教師のような意識がこんなにあるとは思ってもみなかったほど、神子学園の生徒達の事が気掛かりである。空を見上げる狐太郎の願いは、一つの信心となって、空の果てに流れていった。








 天に向かって白くそびえたつその巨大な塊は、まるで街を見下ろす塔のような存在感を持っていた。その周辺には妖気や霊気、または神気とも違う、奇妙な力が満ち満ちている。


 白い塊……常世神が作り出した繭の袂には一人の男が立っていて、生色に染まった顔を綻ばせながら両手を広げ、喝采を上げていた。


「おお、母よ…!偉大なる永久とこしえをもたらす我らが常世神よ!今こそあなたの望みが、満願が成就するその時が来たのです!この国の多くの人間達の命と魂を吸い上げ、取り込み、その力によって願いを叶え給え!あなたの願いこそが人の望み、救いなのです。人の身にはそぐわぬ永遠も、下らぬ富や名声も、あなたの中でならば思いのまま…人を導く神など要らぬ!あなたさえいれば、全てが幸福の微睡みに浸れるのですから。あなたが新たな力を得て目覚めた暁には、未だ抵抗を続ける哀れで愚かな人間共を食らい尽くし、この星に生きる全ての人間を救いに向かいましょうぞ!」


 その男、志多羅は神を自称しながらも、人間を大切にしようなどとは微塵も思っていない。彼にとって人間は、母の望みを叶える為の単なる養分だ。人の信仰心を得て、それを力とする普通の神々とは異なり、人が死のうが生きようが基本的にどうでもいいのである。あくまで母たる常世神が力を得られれば、それでいい。それは自分自身でさえ同じである。こうして堂々と他の神に対して反旗を翻しているのも、自身が人から信仰されなくなり、消え果てた所で、それに微塵も後悔などないから出来るのだ。


「……う、うぅ、ん……あ、わた、し…生きて、る?い、痛っ…!」


 そんな志多羅の声によって、狛は目を覚ました。先程までいた場所からは十数メートルほど吹き飛ばれたようで、全身のあちこちが痛みを主張している。恐らく、意識を失っていた時間は数分から十分にも満たない時間だろう。猿渡が咄嗟に庇ってくれたのと、結界を張っていてくれたお陰か、爆発によって巻き上げられた土砂で生き埋めにならずに済んだようだが、あれだけの爆発と衝撃に巻き込まれたのだから無事で済んだとは言い難い。あちこちから出血し、左腕は折れて垂れ下がった状態だ。


「み、みんな、どこ…?猫田さん、京介さん、黎明さん……猿渡さんも…」


 起き上がって周囲を見渡すも、荒野のようになった周辺に彼らの姿はどこにも見えない。特に猫田達三人は爆発の中心に居たので、まともにあれを食らったことになる。少し離れた場所にいた狛ですら、これほどのダメージを受けているのだ。最悪の想像が狛の脳裏を過ぎり、その瞳からは、大粒の涙が零れていった。


「泣いてる場合じゃ…ない、よね……」


 涙を流しはしたが、狛の頭は冷静だった。まだ夜が訪れていくらも経っていない間に、ショックな事が起きすぎて感覚が麻痺してしまったのかもしれない。狛はゆっくりと立ち上がり、激痛に耐えながらも常世神の白い繭へ向かって歩き始めた。


「……ん?犬神の娘か。運のいいことだ、あの爆発に巻き込まれて生きていたとはな。しかし、最後まで立っていたのはやはり貴様だった、か。忌々しいが託宣で視た本当に障害となるものが貴様だというのは正しかったわけだ」


「あ、あなたは…志多羅、神……!」


 繭の下で待ち受けていた志多羅を前にして、狛は強い視線で相対する。もはや戦う力など何一つ残っていないと、誰よりも狛自身がよく理解しているが、気持ちの上で負けるわけにはいかなかった。狛を庇って、ここに残してくれた皆の為にもだ。


「まぁ、障害とは名ばかりの有様であるようだがな。立ったとはいえ、既に貴様は半死半生…その上、今夜は新月だ。新月こそ、貴様ら人狼が最も力を失う夜であろう。貴様だけでなく、霊的な守りも弱くなる絶好のタイミングだ。この時を待って、本当に良かった。最高の夜だぞ、今夜はな」


 勝ち誇る志多羅の言葉に、狛は何も言い返せない。今ここで何を言おうとも、劣勢は覆せないだろう。それでも、心を折られることだけは絶対にしないとそう決めている。そんな狛の様子に、志多羅は笑いを堪えきれない様子だ。


「クッククク…殊勝なことだ。まだ望みを捨てきれぬとみえる。貴様の魂も、我が母の贄となるのは目前だというのにな。……そうだ、貴様に面白いものを見せてやろう」


 そう言って志多羅が懐から取り出したのは、大口真神を封じた小さな珠であった。その中で眠らされた大口真神は、その力の大半を奪われてしまっている。既に大口真神の命は風前の灯火であるようにみえた。そして、志多羅はその珠を握り締め、粉々に打ち砕いた。すると志多羅の前に大口真神の身体が現れる。浅い呼吸をして、今にも死んでしまいそうな状態に見えた。


「大口真神さん…くっ!」


「こやつの命と魂は、我が母の贄だ。とはいえ、大口真神は人ではないのでな。望みを叶えて魂を引き出すわけにもいかぬ……だから、こうするのだ!」


 志多羅は大口真神の身体を持ち上げ、常世神の白い繭へ投げつけた。抵抗する力すら残っていない大口真神は、その繭に叩きつけられるとそのままズブズブと、まるで底なし沼にはまっていくように、取り込まれていく。


「あ、ああ…そんな……!」


「ハハハハッ!千年以上もの長きにわたり我が母を苦しめてきた邪魔者も、これでお終いよ!あとは母の体内で、ゆっくりと消滅していくだろう。他の人間共の魂と同じようにな」


「ど、どういうこと…なの?」


「我が母である常世神は、人の望みを叶える為に、その命と魂を取り込み糧とする。それらは母と一体となって、その身の内で願いを成就させるのだ。いわば、母の体内は完璧なる世界そのもの。その世界を維持する為に、命と魂は消費される。そうして取り込まれた命と魂は、完璧な世界の微睡みの中で溶かされ、完全に母と一つになるのだ!それこそ、輪廻の輪に戻る事も出来ぬよう、完全に消滅することになるがな」


「そんな…それじゃ、願いを叶えるなんて……!」


「ふん、我が母と一つになれば、その母が存在する以上、永遠が欲しいという願いは叶ったも同然だろう?例え魂の容が消滅したとて、永遠は永遠だ。富や名声など、夢の中で手にすればよい」


 その傲慢な物言いに、狛は言葉を失った。それではただの一つも、願いなど叶っていないのと同じである。初めから受け入れる事など出来ない相手だが、今改めて、彼らを認める訳にはいかないと、そう思えた。だが、そうした狛の思いを感じたのか、志多羅はなおその心を折ろうと画策する。


「フフ、いくら睨みつけた所で、貴様に勝ち目など無いぞ。見るがいい、貴様の大事な、大事な仲間も、最早我が母の身の内だ!」


「え……?あ!ああ……う、嘘…」


 志多羅が指差した先、白い繭の一角には見知った顔が三つ並んで浮かび上がっていた。爆発の中心にいたはずの京介に猫田、そして黎明もまた、既に繭の中に取り込まれてしまっていたのだ。その瞬間、狛の心に、深い悲しみと絶望の楔が打ち込まれていくのが解る。もう何も打つ手はないと、思い知らされてしまったようだ。

 狛の顔が深い絶望に染め上げられたのを見て、志多羅は満足気な様子で大袈裟に笑った。それらは全て、狛の心を完全に折る為の仕草である。志多羅はこの状況に合ってもまだ、狛を警戒する意識を絶やしていないのだ。


 思わず膝をつきそうになる狛と、そんな狛を嘲笑う志多羅。そんな二人の間に静かな声が響いた。


 「……それ以上、俺の娘をいじめないでやってくれないか?君との因縁を果たすのは、俺の役割だからね」


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