「ともかく、俺様が来たからには心配いらねぇよ。あんな邪神如き、真理に到達した俺様の手にかかりゃあ楽勝だぜ。…黎明!バラバラにしてやんな!」
「了解いたしました、主様」
猿渡が命令をしたのは、最初に二人の傍を駆け抜けていった女性である。身の丈に似つかわしくない巨大な斧槍を軽々と構え、凄まじいパワーとスピードで常世神を滅多切りにしていた。特に速さは人狼と化した狛と同等か、それ以上の速さだ。見た目はチャイナドレス風の装いをした、若く美しいお団子頭の女性だが、ただの人間ではなさそうだ。
「凄い…!」
「当り前さ、何と言っても俺様自慢の相棒だからな」
猿渡は胸を張って黎明と呼ぶ女性を褒め称えた。仙人である猿渡の相棒を務めるのだから、実力は折り紙付きだと言うのは解る。実際にあの猛攻を見る限り、狛が感嘆の声を上げるのも当然だろう。だが、常世神も黙ってやられるつもりはないようだ。
「ピィィィィィィィッ!」
「わっ…み、耳が!?」
甲高い笛の音のような高音で、常世神は絶叫する。先程の咆哮とはまた違って、鼓膜を直接突き刺すような鋭い痛みを覚える鳴き声だ。狛は猫田の背から降りていたが、もう一度猫田の背に隠れたくなるほど耳が痛む。すると、その中でも笑みを崩さない猿渡が、何枚もの霊符を懐から素早く取り出して小さな刃を突き刺し、四人を覆うようにして地面に立てた。
「業魔退散、天正封滅、地走来法……悪音呪禁也!」
猿渡が呪文唱えると、周囲に半透明の幕のような結界が展開され、常世神の鳴き声が一切聞こえなくなっていた。霊符を使った符術は元々、道教に端を発する霊的技術だ。狛達退魔士や、陰陽師が使うのは海を渡って伝来したそれを一部発展させ応用したものである。その中には霊符を扱いやすく一般化する為に技術を簡素化したことで、効果が弱まったものも少なくない。
だが、仙人であり、その前には道教の道士であった猿渡が使ってみせたのは、まさにその源流と言うべき強力な術である。恐らくは道士としての極意でもあるのだろう、とても狛には真似できそうもない結界だった。
「へへっ!所詮、邪神の最後っ屁なんざ恐れるほどのもんじゃねぇや。猫や犬っ娘共は身体能力に頼りすぎなんだよ、
人差し指でこめかみを指しながら、猿渡は更に笑う。自分の未熟さを指摘された狛は恥ずかしそうに首を竦めているが、猫田は猫のまま、なんとも渋い顔をしていた。しかし、これでも猿渡は狛が相手ということもあって優しい対応をしている方である。かつての仲間、宗吾にはこんなものでは済まない態度で衝突することもしばしばだったのだが、猫田はそれを思い出してきたようだ。
(コイツ、そういやこういう奴だったよな。……腕はいいのに自惚れが強ぇっていうか…懐かしいが、ちょっとうぜぇな)
思い出補正もあるのか、普段は割と
京介はその横で苦笑いをしつつ、常世神と黎明の戦いに注意を向けていた。自信家の猿渡は甘く見ているようだが、常世神が噂通りの相手ならそう簡単に決着がつくとは思えない。きっとまだ、何かをしでかしてくるだろうと警戒しているようだ。
そして、その予想はすぐに当たった。度重なる黎明の攻撃を防ごうとする常世神は身悶えをし、口から何かを吐き出したのだ。
「……なんだ?」
べちゃりと地面に落ちたそれは、やけにネバネバとした水気のある何かに包まれていて、パッと見ただけでは何なのか解らない。しかし、モゾモゾと動き出すと、その悍ましい姿がすぐに明らかとなった。粘液のある膜を破って出てきたのは、皮膚が無く筋肉剥き出しの人間だったのだ。ただし、体格こそ一般的な成人のようだが、彼らは人の形をしているだけで性別的特徴は見当たらない。各地を襲っているのっぺらぼうの怪物に近い存在のようである。
「魔物か、今更雑魚なんざ呼び出した所で……む?」
「おい、何かヤバそうだぞ…!」
「おぎゃあああああああっ!」
その怪物は、赤ん坊の産声のような声を上げると、一気に黎明へ向かって走り出した。しかもその速さは、黎明の動きに匹敵する…いや、それ以上のスピードだった。あまりに予想外の動きであった為に、黎明だけでなく狛達も含めて一瞬反応が遅れた。その間に剥き出しの怪物は黎明に抱き着き、大爆発を起こしたのだ。
「なんだと!?黎明っ!ぐ、ぐぐっ…」
「猿渡さん!?ど、どうしたんですか?!」
仙人である猿渡と桃源郷に咲く花の精霊である黎明には、契約に基づいた
それによって、二人はある程度の自我を残しつつ、使役する猿渡の霊力を使って肉体を強化したり、傷を癒したりすることが出来た。そしてその契約は、彼女達が一体の精霊へと生まれ変わっても受け継がれていた。つまり、黎明が大きなダメージを受けると、自動的に猿渡の霊力を消費して再生する仕組みである。猿渡が苦しみだしたのは、黎明が受けたダメージの分、霊力を一気に消費しているからであった。
「自爆か…!まずいな、まだ来るぞ!」
「あ、あのスピードで突っ込んできて自爆するだと!?冗談じゃねーぞっ!」
京介と猫田はすぐに身構え、新たに吐き出された剥き出しの怪物へ警戒心を露わにし始めた。黎明を粉々に吹き飛ばしたあの破壊力は相当なもので、例え猫田であっても無事では済まないだろう。となれば、近寄られる前に倒す以外には対抗策がない。
次々に生み出されていく怪物の中心に飛び込み、猫田は魂炎玉から熱線を撃ち出して応戦し、京介は近づかれる前に接近して斬り伏せていく。しかし、予想以上に新たに生まれる怪物の数が多く、二人だけでは対処しきれない状況だ。幸いこの怪物達は今までのタイプとは違って不死身ではないが、自爆する怪物達が産まれる速度は異常だ。倒せば倒す程、次に産まれるスピードは加速度的に早くなっていく。黎明はまだ再生しきれていないので、猫田と京介だけが頼りである。
「二人共、頑張って…!」
猿渡に肩を貸しつつ、狛は猫田と京介を応援することしかできない自分に胸を痛めていた。今夜が新月でなければと、何度思ったか解らない。夜空を見上げた所で月は見えないが、縋る様に視線を向けてしまうのは仕方のないことだろう。そんな混迷を深める事態の最中、最悪の救援が今度は常世神の側に訪れたのだ。
「いつまでも我が母に群がる小虫共がっ!消え失せろ!」
「えっ!?」
「この声……志多羅かっ!」
狛が声のする方向、即ち頭上を見上げると、漆黒の夜空に浮かぶ人影が見えた。それは強力な神気と殺気を撒き散らしながら、猫田と京介に向けて鋭い雷撃を撃ち放つ。二人は奇跡の反射でその雷を躱したが、それによって今まで処理していた怪物への流れに乱れが生じた。未だ生み出され続けている怪物達は産声を上げながら二人に押し寄せた。
「猫田さん、京介さんっ!」
「ちっ…!人の、心配してる…場合かよ、犬娘……これは俺の失態だ。お前、だけでも…」
生きろ、と言ったはずの猿渡の言葉は爆音にかき消され、誰の耳にも届かなかった。あっという間に増えた何十体もの怪物が一斉に爆発し、猫田と京介だけでなく、狛達の元にもその爆発の衝撃が襲ってきた。猿渡は狛を庇ったが、それでも二人は吹き飛ばされてしまう。
そんな爆発の後、常世神はゆっくりと起き上がると何かを呼ぶように甲高い声を上げ、空に残っていた自らの半身を地に突き刺して白い糸を吐き出し始めた。それはちょうど神子神社で、いや、日本中で、人を取り込んだ怪物達が毒々しい華へと変化し始めたタイミングである。
爆発の余波が静まった頃、その場に立っている者は誰もいなかった。