険しい山々に挟まれた道を、俺達は無言のまま進んでいく。左右にそびえる石壁はどこまでも高く、険しい斜面にはわずかな草と苔が張りついているだけだ。ヘルメスの靴を持ってはいるが、メイはともかく、クマサンとミコトさんの足では1.1倍速の移動にはついてこられない。そんなわけで、ヘルメスの靴を履くのは諦めた。仲間と歩調を合わせながら、ひたすら足を動かす。
狭かった道が次第に広がり、開けた空間へと出た瞬間、全員の足が止まった。
――そこに奴がいた。
悠然と座り込む巨大な怪物。四つ足の獣のような姿に、牛のような顔、そして獅子のたてがみを思わせる荒々しい毛並みを持つ。まるでこの場の支配者を自称するかのように、堂々と鎮座している姿は、他のモンスターとは一線を画している。
その姿に恐れをなしているかのように、冒険者達は壁際へ寄り集まっていた。慎重に距離を取っている様子が見て取れる。その中に、見知った顔があった。
ねーさんの率いるギルド、ヘルアンドヘブンのメンバー達だ。ざっと見たところ12人ほど。前回のフェンリル戦で一緒に戦ったメンバーも多いが、見覚えのない人も何人か混じっている。
「ショウ、来てくれたか!」
俺が声を掛けるよりも早く、ねーさんが赤髪のポニーテイルを揺らしながら、明るい声を上げて手を振ってきた。その笑顔に、少し緊張していた肩の力が抜ける。
「あの人が、ギルドマスターのフィジェットだよ」
キャラクター名が表示されているので、見ればわかることだが、一応仲間達に伝える。
ねーさんに向かって軽く手を上げて応えると、俺達はねーさん達の方へと近づいていった。
「よく来てくれた! みんなのことはインフェルノ戦の動画で知っている。一緒に戦ってくれるのは心強いよ!」
俺達が合流すると、ねーさんは俺の後ろの仲間達一人ずつの顔を順に見て、声をかけてくれた。ヘルアンドヘブンのギルドメンバーからも、「よろしく」や「俺も動画見たぞ」といった声が次々に上がる。その一言一言が、俺達を歓迎してくれていることを感じさせ、少し嬉しくなる。
「ミコトです。知り合いも何人かいるみたいですが、よろしくお願いします」
ミコトさんがペコリとお辞儀をする。
てか、ミコトさん、HNMギルドのメンバー相手でも、普通に知り合いがいるんだ……。
改めて彼女の広い人脈に驚かされる。
「メイだ。鍛冶師だからサブヒーラーくらいしか役に立てないと思うが、よろしく」
「いや、十分だよ」
ねーさんが応えると、その後ろから陽気な声が飛んできた。
「そのうちまた店に行くから、その時は安くしてくれよな~」
軽口を叩くその声には、親しみのこもった響きがあった。冷やかしというより、常連客ならではの馴染んだやり取り――そう思わせる言葉だ。
考えてみれば、彼らはトップレベルのプレイヤーだ。メイの店の常連客だったとしても不思議ではない。
ミコトさんだけでなく、メイもすごい奴だったのだと改めて思い知らされる。
「クマサンだ。職業は重戦士。よろしく」
クマサンも短く挨拶をしたが、ミコトやメイの時は微妙に空気が違った。動画は見ていても、クマサンと直接の知り合いの人物はこの中にはいないようだった。俺も初めてヘルアンドヘブンのメンバーと会った時も、歓迎されつつもこんな感じだったからよくわかる。
クマサンには悪いが、同じぼっち系だということに、ホッとしてしまう俺は性格が悪いのだろうか?
そんな中、果敢にクマサンに声を掛けに行く人物がいた。
「クマニャン、よろしくにゃ」
「ク、クマニャン!?」
突然の声に、クマサンは明らかに動揺した様子を見せた。その声の主は――ミネコさんだ。彼女は今回もメンバーの中にいてくれていた。
相変わらず距離の詰め方が独特だ。
クマサンは、俺の過去動画でミネコさんとのやりとりも見ているはずだが、それでも少々面食らったようだ。
それでも、戸惑った表情を浮かべつつも、静かに応える。
「……この前はショウが世話になったようだな。これでも俺はショウの一番古いフレンドだから、礼を言っておく」
「礼には及ばないにゃ。私もショウとはフレンドにゃん。クマニャンとも仲良くなりたいにゃん」
「……ああ、よろしくな」
なぜだかクマサンの口調はやや硬い。それに、言葉の端々に微妙なぎこちなさが滲んでいる。それに、どういうわけか、俺とフレンドであることを妙に強調していた。
確かに、俺とクマサンはお互いに最初のフレンド同士だ。けれど、今それを言う必要があるとは思えない。……クマサンなりに、何か考えがあってのことなんだろうか?
「ねぇねぇ、ショウニャン」
クマサンとのやり取りが終わったところで、ミネコさんがこっそり俺に近づいてきて、小さな声で話しかけてきた。
「どうかしたの?」
「気のせいか、クマニャンがちょっと怖いにゃん。私、何か失礼なこと言っちゃったかにゃ?」
クマサンの寡黙な戦士キャラは、あくまでロールプレイだ。実際の彼女は優しくて気さくな性格で、ミネコさんのような人懐っこいタイプと合わないということはないはずだ。それなのに、さっきのクマサンの態度はどこかぎこちなく、違和感があった。
「ミネコさんに問題はなかったと思うけど……」
「もしかして――」
ミネコさんの声が、急に深刻なものに変わった。その表情には、俺にはわからない何かを察した様子があり、思わず息を呑む。彼女が次に発する言葉を待つ間、妙な緊張感が広がった。
「――クマニャンってネコが嫌いだったりするにゃ?」
「…………」
ミネコさんの表情から察するに、どうやら彼女は真剣なようだ。
「……少なくともクマ派だとは思うよ」
「そうにゃのか……。イヌ派だけでなく、クマ派の人にも気をつけなきゃいけなかったにゃ」
おいおい、そういう問題かよ――と言いかけたが口に出すのはこらえた。ミネコさんは至って本気らしい。結局、クマ派が原因で二人の関係に違和感を覚えたのかどうかは不明なままだし、これ以上は俺も何も言いようがない。
そんな俺達を見ていたねーさんが、俺に視線を向けて声をかけてきた。
「ショウ、来てもらったばかりで悪いが、そっちのパーティを解散してもらえるか? こっちのユニオンに誘うよ」
そうだった。挨拶も大事だが、状況は一刻を争う。「異世界同盟軍」も12、3人、「片翼の天使」は15人くらい集まっているように見える。俺達にはのんびり仲を深めている余裕なんてないんだった。
「わかりました」
俺は慌ててパーティを解散すると、すぐにパーティへの誘いが飛んできた。
【ミネコからパーティの誘いを受けました】
【パーティに参加しますか? はい/いいえ】
今回もミネコさんからの誘いで、少しホッとする。
すぐに「はい」を選ぶと、すでにユニオンが結成されていたようで、パーティメンバーだけでなく、ユニオンメンバー全員の名前がウインドウに表示された。
俺の入ったミネコさんパーティは六人編成で、メンバーはミネコさん、俺、ボウイ、シア、ブシ、そして今回初顔合わせのジーク。ジークも近距離アタッカーのようだ。彼を除けばフェンリル戦と同じ顔触れで少し安心する。
一方、タンクパーティは、ねーさんをリーダーに、クマサン、ミコトさん、メイ、シエスタ、ミストの六人。前回フェンリル戦でサブタンクを務めていたユーリィが今回不在のため、今回のサブタンクは必然的にクマサンとなる。クマサンのタンクとしての実力が認められたようで嬉しくはあるが、HNM戦でまともなタンクをするのはこれが初めてだし、ちょっと心配になる。
あと、ミコトさんが俺と同じパーティにいないことも、少々心細い。とはいえ、メイとミストは非戦闘職のサブヒーラーだ。メインヒーラーはミコトさんとシエスタの二人だけ。その二人をタンクパーティに配置するのは、戦略的には間違っていない。
残りのスカイ率いる魔導士パーティは四人編成で、メンバーは、スカイ、アンディ、ルーシィ、カオナシ。
今のところ計16人のユニオンだ。
うちのギルドの中で、俺だけが別パーティなのは寂しいが、パーティ編成を見れば、ねーさんが俺達の役割と長所を理解して組み立ててくれたことがわかる。マテンローのような適当な編制ではなく、勝つための布陣だ。
とはいえ、現状ではヒーラーがやや不足しているのは否めない。もう少し補強が欲しいところだ。
「ねーさん、あと二人誰か来るあてはあるの?」
俺の問いに、ねーさんは渋い顔をした。
「声はかけてはいるが、遠いんだよ。まだ王都にも着いてないみたいなんだ」
「そうなんだ……」
こちらのユニオンは16人。しかし、片翼の天使もすでに15人は揃えているように見える。この状況で、先に向こうにあと3人加われば、人数は逆転してしまう。異世界血盟軍だって、俺達のような1パーティ分がまとまって現れれば、それで人数が揃ってしまう。
俺達が駆け付け、現時点では人数的に有利になったものの、状況は芳しくはないようだ。
――このままじゃ再戦はかなわないかもな。
不安が胸をよぎりかけたその時、ねーさんが鋭い眼差しで前を見据えて声を上げた。
「みんな、このままキング・ダモクレスに仕掛けるよ!」
その一言で、ユニオン全体に緊張と覚悟が走る。追加のメンバーを待たず、この16人で戦うということだった。
一度戦闘が始まれば、戦闘状態が継続している限りは、途中でのパーティの追加も離脱もできない。
前回俺達は18人のフルメンバーでも惨敗している。それに満たない人数で勝てるのか――敗北の記憶が脳裏をよぎる。
しかし――
「おし! やってやるぜ!」
「待ちくたびれたよ」
「16人もいりゃ十分!」
ヘルアンドヘブンのメンバー達は誰も弱気になっていなかった。それどころか、逆境にむしろ燃えているようにさえ見える。
「強化スキルを使うにゃ。パーティのみんな、集まって」
ミネコさんの呼びかけを受け、彼女の近くに寄った。
すぐに範囲強化スキルでパーティ全員の攻撃力がアップする。
「ショウニャン、今回も頼りにしてるにゃ」
クリクリした猫のような目を向けられ、俺の胸に熱いものが湧いてくる。
「ああ、任せてくれ!」
もう弱気な心はない。
クマサン、ミコトさん、メイ、それにねーさんや、ミネコさん達。これだけの信頼できる仲間がいてくれるのだ。敗北の記憶は、今日ここで勝利して払拭してやる!
俺達が強化スキルを使いだしたのを見て、片翼の天使のメンバー達も慌てたようにスキルを使い出していた。先を越されるくらいならと、15人しか揃っていなくても仕掛けるつもりなのかもしれない。
――だが、もう遅い!
「行くよ、みんな!」
ねーさんが先頭を切って駆け出した。その姿は、北欧神話の
「おう!」
俺達もそれに続く。
片翼の天使はもう間に合わない。視線を向けると、向こうのリーダーであるルシフェルが忌々しそうな眼でこちらを睨んでいた。しかし、不思議と気にはならなかった。むしろ、こちらが一歩先を行ったことに、してやったりと胸が躍る。
そして、ねーさんの挑発がキング・ダモクレスに発動し、俺達の戦いが始まった。