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第133話 ライブ前夜のシアと、当日のクマサン

 俺しかいないマイルームに、明るく弾むような女性の声が響いた。


『昨日はギルドのみんなで「リチャード」を倒したんですよ! ショウさんのダモクレスの剣のおかげで、すごく早く倒せました!』


 音声チャットなので相手の姿は見えない。でも、その声だけで、嬉しそうなシアの顔が浮かんでくる。

 リチャードというのは、オークの集落の奥に棲む、オークの王のことだ。HNMの一つに数えられている。オークに料理スキルは通用しないため、今後も俺がリチャードと戦うことはないだろう。でも、こうやってシアがリチャード討伐話を楽しげに語ってくれると、俺も疑似体験しているような気分になり、とても興奮する。


「シアさんの役に立ってるのなら、俺も嬉しいよ」

『はい! 本当に助かりました!』


 彼女の裏のない感謝の言葉に、思わず笑みがこぼれる。

 例のキング・ダモクレス戦以降、シアはログイン時間が合わなかった日を除いて、ほぼ毎日こうしてチャットで話をしてくれている。

 あんまり気を遣われるのもいやなので、何度か「もう報告はいいよ」と言ったものの、シアは変わらず毎日チャット申請してくる。本当に律儀な人だ。


『そういえば、この前、コンビニで美味しいスイーツ見つけたんですよ!』


 もっとも、こんな具合に、最近では剣についての報告ではなく、雑談がメインになっていた。

 お互い、個人情報に関わるような話はしていないので、リアルのシアについては名前も性別も年齢も知らないし、俺も自分のことを伝えてはいない。それでも、いろいろ話していくうちに、リアルの彼女は、俺より若い女の子だろうということはわかってきた。

 MMORPGの女キャラなんて、中身はたいてい男だと思っていただけに、最近の女性プレイヤーとの遭遇率の高さには驚きだ。


「どんなスイーツだったの? 参考にしたいから教えてよ」

『はい、もちろんです! ショウさんもスイーツがお好きみたいで嬉しいです。えっとですね、この前のは――』


 シアは楽しげに商品名や味の特徴を語ってくれる。それを聞きながら、俺はこのゲームのシステムの中にあるメモ機能を開いて、商品名を書き留めた。甘いものは好きだが、普段は決まったものばかり買う俺には、こうして誰かから教えてもらうのはありがたい。

 もっとも、これは俺自身が食べるためではなく、クマサンが部屋に来た時のためだ。ハズレのスイーツを出すより、やはり喜んでもらえるものを出したい。なにしろ、美味しいものを食べてる時のリアルのクマサンは、とても可愛いんだから。


『……ショウさん、聞いてます?』

「あ、ごめん、ごめん。ちゃんと聞いてるよ。メモに商品名を記録してたんだ」


 本当はクマサンの顔を想像していたなんて、さすがに言えない。それに、メモに書き込んでいたのも嘘ではない。なんとか取り繕う俺に、シアの声は明るさを取り戻す。


『そうなんですね。今度試してみてください!』

「うん、また買ってみるよ」

『はい、ぜひそうしてください!』


 その場の空気がほぐれたのを感じた時、シアは少し躊躇うような間を挟んで切り出してきた。


「……あ、そうだ。一度ショウさんに聞いておこうと思ってたんですけど、クマーヤの動画ってショウさん達が上げているんですよね? あれって機会があったら宣伝とかしても大丈夫ですか?』


 不意の言葉に、一瞬だけ息が詰まる。クマーヤの動画については、他のプレイヤーからも時折質問されるが、これまで曖昧に流してきた。だが、アップしているゲーム動画から考えて、俺達が無関係だと主張するにはさすがに無理がある。まったく知らない人ならともかく、シアになら正直に認めても問題はないだろう。

 そもそも、動画への関与を隠そうとしていたのは、クマーヤ=熊野彩だとバレるのを恐れてのことだった。だが、動画のコメント欄などを見れば、そんな憶測がたまに囁かれる程度にとどまっており、大ごとになる気配はまったくない。

 思えば、声優業界には似た声を持つ人くらい多くいる。俺だって、早見沙織さんと能登麻美子の声を聞き間違えたことは何度もあるし、かないみかさんとこおろぎさとみさんに至っては、作品によって名前を変えているだけで同一人物だと思い込んでいたほどだ。声優業界だけでもそうなのだから、Vチューバーのような一般人も含めて考えれば、似た声の人なんていくらでもいる。俺は心配しすぎていたのかもしれない。

 それに、声優業界では実力のある新しい声優がどんどん出てきている。一度その世界から離れてしまった熊野彩は、世間ではもう過去の人になっているのかもしれない。

 そう考えると、俺達がクマーヤに関わっていることを認めて、シアに宣伝してもらえるのは、俺達にとってプラスにはなっても、マイナスにはならないだろう。まぁ、インフルエンサーでもない女の子に、周りの人に勧めてもらったところでどの程度の影響力があるのかはわからないけどね。


「実は、俺達がやってるんだ。でも、公には言ってないから一応内緒にしておいて」

『はい、もちろんです!』

「それと、動画を広めてもらえるのなら正直助かるよ。生配信もやってるから、可能で範囲で宣伝お願いね」

『了解です! 役に立てるよう頑張ってみますね』


 クマーヤの動画は、決して多くはないが、スパチャだけでなく、動画再生数による収益も出てきている。彼女とその周りの友達の分だけでも再生数が伸びればありがたい。


「まぁ、無理のない範囲でいいからね」

『はい、わかってます。……ところで、ショウさん、時間はまだ大丈夫ですか? 私はもう少しお話したいんですけど――』


 時間を確認すると、思ったより時間が経っていた。いつもならまだまだ大丈夫で、これから狩りに行ってもいいくらいだ。だけど、今夜だけはそうもいかない。


「ごめん、明日出掛ける予定があるから、そろそろ落ちようと思う」

「そうなんですか……ちょっと残念です」


 寂しげな声に一瞬心が揺れたが、明日は大事な予定があるのだ。

 それは、メイのライブ。開演は19時だから早起きする必要はないけど、俺は普段からゲーム三昧で睡眠不足気味だ。ライブ中に睡魔を感じてしまったら、せっかくのライブがもったいないし、メイにも失礼だ。今夜ばかりはしっかり眠って体調を整えようと心に決めていた。


「アナザーワールドがある限り、またいつでも話せるよ」

『そうですね……。それじゃあ、続きはまた明日ということで』


 別に明日じゃなくてもいいんだけど――そう思いながらも、それを口にするのは無粋というものだ。


「うん、それじゃあ、おやすみ」

『はい、おやすみなさい』


 音声チャットを終了し、マイルームが静けさを取り戻す。ほのかに残る会話の余韻が心地よく、目を閉じてしばらくシアの声を頭の中で反芻した後、メニューを開いた。


 ――さてと、ログアウトするか。


 俺は気持ちを切り替えてログアウトを選んだ。

 明日はクマサンと一緒にメイのライブだ。

 ライブハウスなんて初めてで不安に思う部分もあるけど、それを上回る高揚感が胸を満たしていた。




 翌日、俺は駅の前でクマサンを待っている。

 ライブに着ていく適切な服というのがわからず、あれこれ考えた末に、結局無難な選択をすることになった。地味なシャツにスラックス、ジャケットを羽織って、誰の目にも留まらないような格好だ。


 ――まぁ、下手に目立つよりはいいだろう。


 そんなふうに自分を納得させながら、駅に向かって歩く人の流れに視線を向けていると――


「あ、クマサンだ」


 まだ距離があるのに、人の波の中でも、すぐに気づいてしまう。

 黒いバミューダパンツにグレーのパーカー、足元は白とグレーのスニーカー、顔には黒ぶち伊達眼鏡。動きやすそうだが地味な格好のはずなのに、なぜか彼女だけが目に留まる。

 俺が視線を向けているのに気づいたのか、彼女は軽く手を振りながらこっちに向かって歩いてくる。

 自分に気づいてもらえたのが嬉しくて、恥ずかしいと思いながら手を振り返した。


「お待たせ。いつも私の方が遅くてごめんね」

「いや、たまたまだよ」

「それじゃあ、行こっか」

「……ああ」


 歩き出した彼女に並んで駅の中へと向かう。

 なぜだろう、妙に照れてしまう。

 二人で出掛けるのは別に初めてではない。彼女を家まで送るときは、いつも二人だ。この前は、二人で買い物に行って、ゲーセンにも行った。だから、二人だからといって照れる要素も、緊張する要素もないはずなのに……。


 ――ああ、そうか。


 今は、「送る」という理由も、「荷物持ち」という理由もない。

 二人でライブへ行く――文字だけ見れば、まるでデートみたいじゃないか。無意識でそれに気づき、照れてしまっているようだ。

 クマサンにそんな意識はないだろうに……なんとも自意識過剰で恥ずかしい。



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