目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第132話 約束と約束

 クマサンからの圧を受け、今すぐにでもこの場から逃げ出したい気持ちでいると、またメッセージが届いた。もしかして、二つ目の謎解きのヒントか?


『ショウの部屋の合鍵』


 ……ふむ。

 どうやら、クマサンのメッセージは謎解きではなかったようだ。

 クマサンの言いたいことはわかる。

 これはダモクレスの剣の代わりに、俺の部屋の合鍵を渡せということだろう。

 確かに、クマサンが俺の部屋を訪れる時、必ずしも俺が家にいるとは限らない。スイーツの買い出しや、突発的な用事で外出することもあるだろう。そんな時、彼女を一人で外で待たせるのは心苦しい。合鍵があれば、彼女も中で待っていられるというものだ。これは合理的な提案だと言えるだろう。

 ただ、どうして今このタイミングでこれを切り出してきたのかが気になった。もしかしたら、ずっと前から考えていたのかもしれない。ただ、クマサンから言い出すと、俺が気の利かない人間だと示すことになりかねない。それを避けるために、俺が気づくのを待っていた――だが、俺がその意図に気づく気配がまるでなかったので、こうして対価という形で求めてきたのかもしれない。

 そう考えれば、先ほどからの不機嫌な様子も、こういう展開に持ち込むための演技だったのかもと思えてきた。なにしろ、クマサンは決して心の狭い人じゃない。むしろ広い人だ。誰かにダモクレスの剣を貸したからって、本気で怒るような人じゃない。ほかに何か個人的な理由でもあれば別だが。


『了解です。今度部屋に来た時に渡します』


 メッセージを返して、再びクマサンの様子を窺う。

 クマサンもメッセージを開いたのだろう。先ほどまで険しい表情をしていたクマサンの顔がみるみる緩み、いつものクールな表情を保とうとしているのに、そこからこぼれ出しそうな笑顔が抑えきれない様子だ。


 ――やっぱり、さっきまでの怒った感じは演技だったんだな。


 さすが元声優だ。抑えようとしても湧き出てくる嫉妬に突き動かされる様子は、とてもリアルで、恐怖さえ感じるほどだった。改めて彼女の実力には感心するしかない。


「クマサン、あんまりショウを責めてやるなよ。悪気があってやったわけじゃ――って、え、急に機嫌治った?」


 様子を見かねてメイが間に入ってきてくれたが、途中でクマサンの変化に気づき、きょとんと目を瞬かせた。


「ああ。問題は解決した」

「よくわからないが、納得したのならそれでいいが……」


 メイの戸惑いも当然だろう。

 合鍵を渡す約束をしたことは、みんなに隠すようなことではないが、わざわざ説明するほどのことでもない。それよりも、俺達にはもう一つ問題があった。

 レベル上げのための狩りを途中で中断してキング・ダモクレス戦に駆けつけた俺達は、この後どうするかを決めなければならない。時間的には、狩りを再開する余裕はまだ十分にあった。


「えっと、それで、みんな、これからどうする? もう一度狩りの続きに戻る?」


 みんなの意向を確かめようと尋ねた。いつもの調子なら、全員一致で狩りを継続するだろうと予想していた。だが、意外な反応が返ってきた。


「あ、悪い。私はここでやめておくよ」


 メイが申し訳なさそうに言った。

 彼女は自分から終了を言い出すことが少なく、誰かが言い出すまで付き合ってくれるタイプだったので、意外に感じてしまう。


「了解。でも、メイにしては珍しいな」


 責めるつもりは毛頭ないが、素直に思ったことを口にすると、メイは少し気恥ずかしそうに肩をすくめた。


「まあ、ライブが近いからな」


 ――はて、ライブとな? アナザーワールドではあまり聞かない単語だった。街の名前、スキルの名前、敵の名前などを別の言葉に言いかえるなんていうのは、どのゲームでもよくあることだが、ライブに該当するものは思い当たらない。


「新しいイベントか何かか?」


 真面目に尋ねると、メイは吹き出した。


「ばか、違うよ。私のバンドのライブだよ」

「――――!」


 そうだった! メイはバンドでベースをやってるって言ってたっけ!


「今度は新曲もやるから、練習時間を取りたいんだ。そういうわけで、しばらくはログイン時間が減ると思う」


 メイは申し訳なさそうに言うが、気にする必要はない。


「バンドにとってライブは、ゲームでいえばHNM戦みたいなもんだろ? 気にせず練習を頑張ってくれ! 俺も応援するよ!」

「あははは、ありがとな。まぁ、言っとくけど、大層なものじゃないぞ。地元の小さなライブハウスでやるライブだからさ」


 メイの地元ということは、隣の都道府県だ。俺のような音楽とは無縁の人間にとって、そんなところにライブハウスがあるという事実だけでも驚きだった。


「ちなみに、いつやるんだ?」

「来月の2日だよ」


 来月の2日――となると、練習期間はあまり長くない。普段から練習はしているだろうが、さらに気合を入れたくなるのも無理はないだろう。


「それはしっかりと練習しないとな」

「ああ。でも、三組の対バンで二時間のライブだから、私達の出番はあんまり多くないけどな」


 「対バン」という言葉に、以前勘違いしてたことを思い出してしまう。バンド同士が音楽で真剣勝負し、観客が勝者を決める――そんなドラマティックな光景を想像していたが、実際には「共演」程度の意味で、対決なんてものではない。それでも、ほかのバンド目当ての観客を自分達のファンに引き込むチャンスであることを思えば、間接的な「対決」ではあるのかもしれない。対バンの語源も「バンド同士の対決」だと言われているし。


「メイがどんな顔して演奏するのかちょっと興味があるよ」


 ゲームのメイと違って、リアルのメイはなかなか格好良い女性だった。彼女がベースを持って演奏している姿はなかなかにイカしてるように思え、興味が湧いてくる。


「……見に来るか?」


 どこか照れたような顔のメイ。

 その言葉で、見たいのなら見に行けばいいだけだと俺も気づく。隣の都道府県なら移動時間も交通費もそれほど問題にはならない。


「そうだな、行ってみたい」

「――――!? いや、ただでってわけには行かない。チケット代はもらうぞ?」


 自分から誘っておいて、なぜかメイが慌てていた。

 ハナからただで見せてもらおうとは思っていない。ただで見ようなんて、真面目に活動している人に対する侮辱だ。金を出してでも、メイの演奏を見たいし、聴きたいというのは、俺の素直な気持ちだった。


「そんなの当たり前だろ。チケットはどうやって買うんだ? ネットで買えるの?」

「いや……来てくれるのなら置きチケしておくけど……」

「置きチケ?」

「こっちでチケットを用意しておくってこと。当日受付で名前を言えば前売りの価格で入れるんだよ」


 なるほど、そんなシステムがあるのか。ライブハウス初心者の俺には新鮮な話だった。


「わかった。えっと、チケットはいくらになる?」

「当日なら2000円だけど、前売りだから1700円用意しておいてくれ」

「了解」


 思ったより高くなくて安心する。昔、一度だけ知り合いに誘われて行ったコンサートではもっと高額だったから、これくらいなら気軽に行けそうだ――なんて考えていると、隣で妙な空気が漂い始めた。


「ショウが行くなら俺も行く」

「私も行きたいです!」


 クマサンとミコトさんがほぼ同時に声を上げた。その勢いに、俺は少したじろいでしまう。

 二人の妙に焦った様子から察すると、俺だけ抜け駆けしてメイのライブに行こうとしていると思われたのかもしれない。後で二人にも声を掛けるつもりだったんだけどなぁ。お客さんが増えるのはメイにとってもいいことだろうし――と思ったが、なぜかメイは困ったような顔をミコトさんに向けていた。


「嬉しいことを言ってくれるが、開演は19時なんだ。ミコトは未成年だから、帰りの時間を考えると厳しいんじゃないか?」

「そんなぁ……」


 ミコトさんが目を潤ませて抗議するような声を上げる。普段は明るい彼女が落ち込んだような表情を見せるのは珍しい。その様子を見て、メイは困ったように俺に視線を送ってきた。

 俺とクマサンにとってメイの地元は隣の都道府県だが、ミコトさんにとっては隣の隣の都道府県になる。19時開演で2時間のライブなら、終了は21時だ。確かに、メイの言う通り、保護者同伴ならともかく、ミコトさんを一人で帰らせるには色々と心配だ。


「メイの言う通りだよ。親御さんも心配するだろうし、俺も心配になる」

「ううっ……ショウさんまで……」


 ミコトさんは恨めしそうな眼を向けてくるが、こればかりはしょうがない。俺がミコトさんを家まで送り届けるにも、そんなことをしたら俺の帰りの電車がなくなってしまう。


「ミコト、また機会もあるさ」


 クマサンは慰めるようにミコトさんの肩に手を置いた。その仕草自体は優しいはずなんだが、どうにもクマサンが少し嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか?


「メイ、俺は問題ないな?」

「ああ、そうだね。クマサンの分も置きチケしておくよ」


 ミコトさんは残念だが、彼女の分も俺とクマサンでメイを応援してこようと思う。


「それじゃあ、クマサン、当日は一緒に行こうか」

「ああ!」


 頷くクマサンは、とても嬉しそうだった。

 きっとライブが好きなんだろうなぁ。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?