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第136話 不安の影?

 一曲目が終わり、ヴォーカルのイヴがバンドメンバーを順に紹介していく。歓声と拍手が飛び交う中、俺は紹介されるメンバーに目を向けつつも、どうしてもチラチラとメイの姿を追ってしまう。

 紹介されたメンバーがギターを奏でたり、ドラムを叩いたりとパフォーマンスを見せるたびに、メイがふっと柔らかな表情を見せる。その一瞬の仕草が、妙に胸をくすぐる。普段はクールな彼女の、そんな無防備な笑顔を見るたびに、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 それにしても、今日のメイはやけに艶っぽい。

 チューブトップから覗く首筋と鎖骨、ライトに照らされて微かに汗ばむ肌。おへそが丸見えの引き締まったお腹、そしてショートパンツとニーハイブーツの間に広がるしなやかな太ももが視線を誘う。どこを切り取っても女性らしさが際立っていて、思わず喉が鳴るほど魅力的だった。


 ――メイって、こんなにクールで、こんなにいい女だったんだな。


 ゲーム内での彼女からは想像もつかない姿に、なんとも言えない気恥ずかしさを覚えるが、それ以上に高揚感が込み上げてくる。そして、俺と同じように、この場にいるほかの男達もメイに視線を向けていると思うと、胸の内がざわついてきた。何なのだろうか、この複雑な感情は……。


「……もっと可愛い格好で来ればよかった」


 隣から小さな声が聞こえて、ハッとする。クマサンだ。メイにばかり気を取られ、すっかり彼女の存在を忘れていた。


「クマサン、何か言った?」

「……ううん。たいしたことじゃないよ。それより、メイのピアス、何の形に見える?」


 言われてメイの耳に目を向ける。オフ会の時は十字架のピアスをつけていたはずだが、今日は違う。揺れるピアスは、鋭い輝きを放っていた。


「剣かな? ……いや、刃が広すぎるな。あれは……包丁?」

「……やっぱりそうだよね」

「包丁の形をしたピアスなんて珍しいな。ライブ用のジョークアクセサリーかな?」


 冗談めかして言いながらクマサンの方を見ると、彼女はなぜか渋い顔をしていた。

 もしかして、クマサンはあのピアスを気に入っていたのだろうか? だとしたら、茶化すような言い方をしたのは失敗だったかもしれない。


 そんなことを考えているうちに、メイルシュトロームの二曲目が始まった。

 再びステージに意識を向けるが、ふとクマサンのさっきの表情が頭をよぎり、ちらっと横目で彼女の様子を窺う。


 ――よかった。


 さっきまでの曇った顔は消え、リズムに合わせて小さく身体を揺らしている。目を閉じ、音楽に没頭しているように見えた。


 ――気のせいだったか。


 そう胸を撫で下ろし、俺も改めてライブに集中する。


 時間はあっという間に過ぎていった。

 気づけば六曲が駆け抜け、メイルシュトロームのメンバーがステージを後にする。観客達は熱気を帯びた歓声を送り続け、その余韻が会場を包んでいた。だが、俺の頭に焼き付いて離れないのは――メイの奏でる、あのベースの音と、ステージの上で輝いていた彼女の姿だった。


 胸の奥に残る熱を誰かと共有したくて、俺は隣のクマサンへと顔を向ける。


「ライブ、最高だったな! 正直、こんなに楽しめるとは思わなかったよ!」

「うん、そうだね」

「メイルシュトロームって、マジですごいバンドだったな。演奏うまいし、みんな可愛いし!」

「うん、可愛いね」

「でもやっぱ、一番はメイだよな。ベース弾いてる姿、めちゃくちゃ格好良かった!」

「うん、格好いいね」

「しかも曲も全部メイが作ってるんだろ? 才能あってすごいよな!」

「うん、すごいね」


 クマサンも俺と同じように感じてくれたようで嬉しい。一人で来ていたら、こうやって誰かと気持ちを共有することなんてできなかった。一緒に来てくれたのがクマサンで良かった。


「物販もやってるみたいだし、ちょっと見てこようかな。メイのアクリルスタンドとかあったら、保存用も含めて買っちゃうかも。クマサンも行く?」

「んー、私はいいから、ショウは好きに見てきて」

「了解! じゃあ、ちょっと行ってくる!」


 俺はクマサンを残し、物販ブースへと向かった。

 残念ながらアクリルスタンドは売っていなかったが、メイルシュトロームの名前やロゴの入ったTシャツとタオルを購入。勢いで買ってしまったが、たとえ使う機会がなかったとしても、メイ達への応援だと思えば後悔はしない。

 グッズを手にして満足した俺は、クマサンの元へと戻った。


「ごめん、お待たせ」

「ううん、大丈夫」


 グッズを見るのに夢中になり、思ったより時間をかけてしまったが、クマサンは特に咎めることもなく、静かに微笑んだ。


「それじゃあ、帰ろうか」

「うん、そうだね」


 俺はクマサンと共に帰路につく。

 駅へと向かう道、そして電車の中で、俺は今日のライブ――特にメイについて、興奮気味に、いつになく饒舌に話し続けた。クマサンが「うん、うん」と相槌を打ってくれるものだから、調子に乗って、ほぼ一方的に。

 だけど、次第に興奮が落ち着き、冷静さが戻ってくると、ふと気づいた。クマサンの笑顔の奥に、微かに滲む不安の色に。


 ――クマサンは、いつからこんな表情をしていたのだろうか?


 ライブの熱狂に浮かされていた俺は、まったく気づいていなかった。

 少なくとも、ライブに来る前はこんな様子じゃなかったはずだ。


 ――じゃあ、ライブ中か? それとも、終わった後か?


 考えても、クマサンの不安の理由は思い当たらない。ライブ中は、確かに彼女も楽しんでいたはずだ。

 そうこうしているうちに、電車は俺達の地元の駅へと到着した。

 改札を出ると、クマサンはいつも通りの調子で歩き出す。けれど、俺の目には、彼女の仕草の端々に滲む違和感がはっきりと映っていた。

 笑顔の奥に、確かにある不安。

 普通の人なら気づかないかもしれない。けれど、アナザーワールドを含めれば、長い付き合いの俺にはわかる。


「クマサン、家まで送るよ」


 夜も遅いし、何よりこの様子のまま一人で帰らすのは気が引ける。

 だけど――


「んー。悪いし、いいよ。それに、ちょっと一人で歩きたい気分だし」


 予想外の答えに言葉を失う。

 こんなふうに断られるのは、初めてだ。

 おかしい。

 おかしすぎる!

 一体、クマサンに何があったんだ!?

 ライブでは、あんなに格好いいメイを見たっていうのに……。


 頭の中で考えを巡らせ、ようやく一つの可能性に思い至る。


 ――そうか、メイが眩しすぎたのかもしれない。


 俺も同じだが、クマサンもまた、声優という夢を追いながら途中で道を見失い、今はほぼニート状態。そんな俺達の前で、夢の向かって突き進むメイの姿は、まるで別世界のように輝いていた。メイと俺達との違い、きっとそれを痛いほど感じてしまったのだろう。


 俺達もメイに負けないように頑張ろう――なんて、簡単には言えない。頑張るだけではどうにもならないことは、俺もすでに経験している。

 今はそっとしておくしかないだろう。

 そう思ったところで、一つ大事なことを思い出す。

 このタイミングが適切かはわからない。だけど、今日、クマサンに渡そうと思っていたものがあった。

 俺はそっとポケットに手を突っ込み、その感触を確かめた。


「ショウ、それじゃあ、またね」


 クマサンが一人で歩き出そうとしたので、慌てて声をかける。


「待って、クマサン!」


 彼女が足を止め、不思議そうに振り返る。


「ん、どうしたの?」

「これ!」


 俺はポケットの中から小さな物を取り出し、クマサンの目の前に差し出した。

 手のひらに乗るそれは、小さなクマのキーホルダーがついた鍵。


「前に約束してた俺の部屋の鍵。スペアキー作るのに時間がかかってごめん」


 クマサンと約束した後も、生配信のために彼女は俺の部屋に来ていたが、スペアキーが一本しかなく、渡せずにいた。昨日ようやくもう一本スペアキーが用意できたので、今日こそ渡そうと持ってきていたのだ。

 クマサンは驚いた顔で、俺の手の中の鍵を見つめている。


「……覚えてたんだね」

「当たり前だろ」


 俺の方こそ、クマサンが催促してこなかったから忘れているのかと思っていた。でも、そういうわけもなさそうだ。


「……ありがとう」


 クマサンは鍵を受け取ると、それを目の前に掲げてじっと見つめた。


「クマサン用ってことで、クマのキーホルダーも用意したんだ。結構可愛いだろ? クマサンほどじゃないけどさ」

「――――!?」

「えーっと、配信の時以外でも来てくれていいから。俺がいない時でも中に入って、ゲームしてくれても全然構わないし」


 クマサンはVR以外のゲーム機をあまり持っていなくて、俺のゲーム機コレクションを見たとき、目を輝かせていたのを覚えている。ゲームをして少しでも気晴らしになればいいのだが。


「……ショウの部屋の鍵って、ほかに誰か持ってる?」

「ん? 俺とクマサンだけだけど?」

「……そっか」


 なんだろう。随分と嬉しそうに見える。

 ゲームが出来ることがそんなに嬉しいのか? それなら、鍵を渡した甲斐があるってもんだけど。


「それじゃあ、クマサン、気をつけて帰ってね」

「あ、ごめん、ショウ。やっぱり部屋まで送ってもらってもいい?」


 ――――?

 どういう心境の変化だろうか?

 さっきはすげなく断られたというのに?

 もっとも、一人で帰らすのは心配だったので、俺としてはむしろありがたい申し出だ。


「わかった。じゃあ、クマサンの部屋まで一緒に帰ろう」

「うん!」


 並んで歩き出すクマサンの顔からは、先ほどまで滲んでいた不安の影が、いつの間にか消えていた。

 理由はわからない。でも、ただ嬉しそうに話すクマサンを見ていると、俺までなんだか気分が軽くなる。

 電車の中とは違い、今度はクマサンが一方的に喋りかけてきた。


 ――やっぱり、俺はこの笑顔が好きだ。


 何が彼女の心を変えたのかはわからない。だけど、隣を歩くクマサンが楽しそうにしているのなら、それでいい。

 そう思いながら、俺は彼女の言葉に耳を傾け続けた。



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