一曲目が終わり、ヴォーカルのイヴがバンドメンバーを順に紹介していく。歓声と拍手が飛び交う中、俺は紹介されるメンバーに目を向けつつも、どうしてもチラチラとメイの姿を追ってしまう。
紹介されたメンバーがギターを奏でたり、ドラムを叩いたりとパフォーマンスを見せるたびに、メイがふっと柔らかな表情を見せる。その一瞬の仕草が、妙に胸をくすぐる。普段はクールな彼女の、そんな無防備な笑顔を見るたびに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
それにしても、今日のメイはやけに艶っぽい。
チューブトップから覗く首筋と鎖骨、ライトに照らされて微かに汗ばむ肌。おへそが丸見えの引き締まったお腹、そしてショートパンツとニーハイブーツの間に広がるしなやかな太ももが視線を誘う。どこを切り取っても女性らしさが際立っていて、思わず喉が鳴るほど魅力的だった。
――メイって、こんなにクールで、こんなにいい女だったんだな。
ゲーム内での彼女からは想像もつかない姿に、なんとも言えない気恥ずかしさを覚えるが、それ以上に高揚感が込み上げてくる。そして、俺と同じように、この場にいるほかの男達もメイに視線を向けていると思うと、胸の内がざわついてきた。何なのだろうか、この複雑な感情は……。
「……もっと可愛い格好で来ればよかった」
隣から小さな声が聞こえて、ハッとする。クマサンだ。メイにばかり気を取られ、すっかり彼女の存在を忘れていた。
「クマサン、何か言った?」
「……ううん。たいしたことじゃないよ。それより、メイのピアス、何の形に見える?」
言われてメイの耳に目を向ける。オフ会の時は十字架のピアスをつけていたはずだが、今日は違う。揺れるピアスは、鋭い輝きを放っていた。
「剣かな? ……いや、刃が広すぎるな。あれは……包丁?」
「……やっぱりそうだよね」
「包丁の形をしたピアスなんて珍しいな。ライブ用のジョークアクセサリーかな?」
冗談めかして言いながらクマサンの方を見ると、彼女はなぜか渋い顔をしていた。
もしかして、クマサンはあのピアスを気に入っていたのだろうか? だとしたら、茶化すような言い方をしたのは失敗だったかもしれない。
そんなことを考えているうちに、メイルシュトロームの二曲目が始まった。
再びステージに意識を向けるが、ふとクマサンのさっきの表情が頭をよぎり、ちらっと横目で彼女の様子を窺う。
――よかった。
さっきまでの曇った顔は消え、リズムに合わせて小さく身体を揺らしている。目を閉じ、音楽に没頭しているように見えた。
――気のせいだったか。
そう胸を撫で下ろし、俺も改めてライブに集中する。
時間はあっという間に過ぎていった。
気づけば六曲が駆け抜け、メイルシュトロームのメンバーがステージを後にする。観客達は熱気を帯びた歓声を送り続け、その余韻が会場を包んでいた。だが、俺の頭に焼き付いて離れないのは――メイの奏でる、あのベースの音と、ステージの上で輝いていた彼女の姿だった。
胸の奥に残る熱を誰かと共有したくて、俺は隣のクマサンへと顔を向ける。
「ライブ、最高だったな! 正直、こんなに楽しめるとは思わなかったよ!」
「うん、そうだね」
「メイルシュトロームって、マジですごいバンドだったな。演奏うまいし、みんな可愛いし!」
「うん、可愛いね」
「でもやっぱ、一番はメイだよな。ベース弾いてる姿、めちゃくちゃ格好良かった!」
「うん、格好いいね」
「しかも曲も全部メイが作ってるんだろ? 才能あってすごいよな!」
「うん、すごいね」
クマサンも俺と同じように感じてくれたようで嬉しい。一人で来ていたら、こうやって誰かと気持ちを共有することなんてできなかった。一緒に来てくれたのがクマサンで良かった。
「物販もやってるみたいだし、ちょっと見てこようかな。メイのアクリルスタンドとかあったら、保存用も含めて買っちゃうかも。クマサンも行く?」
「んー、私はいいから、ショウは好きに見てきて」
「了解! じゃあ、ちょっと行ってくる!」
俺はクマサンを残し、物販ブースへと向かった。
残念ながらアクリルスタンドは売っていなかったが、メイルシュトロームの名前やロゴの入ったTシャツとタオルを購入。勢いで買ってしまったが、たとえ使う機会がなかったとしても、メイ達への応援だと思えば後悔はしない。
グッズを手にして満足した俺は、クマサンの元へと戻った。
「ごめん、お待たせ」
「ううん、大丈夫」
グッズを見るのに夢中になり、思ったより時間をかけてしまったが、クマサンは特に咎めることもなく、静かに微笑んだ。
「それじゃあ、帰ろうか」
「うん、そうだね」
俺はクマサンと共に帰路につく。
駅へと向かう道、そして電車の中で、俺は今日のライブ――特にメイについて、興奮気味に、いつになく饒舌に話し続けた。クマサンが「うん、うん」と相槌を打ってくれるものだから、調子に乗って、ほぼ一方的に。
だけど、次第に興奮が落ち着き、冷静さが戻ってくると、ふと気づいた。クマサンの笑顔の奥に、微かに滲む不安の色に。
――クマサンは、いつからこんな表情をしていたのだろうか?
ライブの熱狂に浮かされていた俺は、まったく気づいていなかった。
少なくとも、ライブに来る前はこんな様子じゃなかったはずだ。
――じゃあ、ライブ中か? それとも、終わった後か?
考えても、クマサンの不安の理由は思い当たらない。ライブ中は、確かに彼女も楽しんでいたはずだ。
そうこうしているうちに、電車は俺達の地元の駅へと到着した。
改札を出ると、クマサンはいつも通りの調子で歩き出す。けれど、俺の目には、彼女の仕草の端々に滲む違和感がはっきりと映っていた。
笑顔の奥に、確かにある不安。
普通の人なら気づかないかもしれない。けれど、アナザーワールドを含めれば、長い付き合いの俺にはわかる。
「クマサン、家まで送るよ」
夜も遅いし、何よりこの様子のまま一人で帰らすのは気が引ける。
だけど――
「んー。悪いし、いいよ。それに、ちょっと一人で歩きたい気分だし」
予想外の答えに言葉を失う。
こんなふうに断られるのは、初めてだ。
おかしい。
おかしすぎる!
一体、クマサンに何があったんだ!?
ライブでは、あんなに格好いいメイを見たっていうのに……。
頭の中で考えを巡らせ、ようやく一つの可能性に思い至る。
――そうか、メイが眩しすぎたのかもしれない。
俺も同じだが、クマサンもまた、声優という夢を追いながら途中で道を見失い、今はほぼニート状態。そんな俺達の前で、夢の向かって突き進むメイの姿は、まるで別世界のように輝いていた。メイと俺達との違い、きっとそれを痛いほど感じてしまったのだろう。
俺達もメイに負けないように頑張ろう――なんて、簡単には言えない。頑張るだけではどうにもならないことは、俺もすでに経験している。
今はそっとしておくしかないだろう。
そう思ったところで、一つ大事なことを思い出す。
このタイミングが適切かはわからない。だけど、今日、クマサンに渡そうと思っていたものがあった。
俺はそっとポケットに手を突っ込み、その感触を確かめた。
「ショウ、それじゃあ、またね」
クマサンが一人で歩き出そうとしたので、慌てて声をかける。
「待って、クマサン!」
彼女が足を止め、不思議そうに振り返る。
「ん、どうしたの?」
「これ!」
俺はポケットの中から小さな物を取り出し、クマサンの目の前に差し出した。
手のひらに乗るそれは、小さなクマのキーホルダーがついた鍵。
「前に約束してた俺の部屋の鍵。スペアキー作るのに時間がかかってごめん」
クマサンと約束した後も、生配信のために彼女は俺の部屋に来ていたが、スペアキーが一本しかなく、渡せずにいた。昨日ようやくもう一本スペアキーが用意できたので、今日こそ渡そうと持ってきていたのだ。
クマサンは驚いた顔で、俺の手の中の鍵を見つめている。
「……覚えてたんだね」
「当たり前だろ」
俺の方こそ、クマサンが催促してこなかったから忘れているのかと思っていた。でも、そういうわけもなさそうだ。
「……ありがとう」
クマサンは鍵を受け取ると、それを目の前に掲げてじっと見つめた。
「クマサン用ってことで、クマのキーホルダーも用意したんだ。結構可愛いだろ? クマサンほどじゃないけどさ」
「――――!?」
「えーっと、配信の時以外でも来てくれていいから。俺がいない時でも中に入って、ゲームしてくれても全然構わないし」
クマサンはVR以外のゲーム機をあまり持っていなくて、俺のゲーム機コレクションを見たとき、目を輝かせていたのを覚えている。ゲームをして少しでも気晴らしになればいいのだが。
「……ショウの部屋の鍵って、ほかに誰か持ってる?」
「ん? 俺とクマサンだけだけど?」
「……そっか」
なんだろう。随分と嬉しそうに見える。
ゲームが出来ることがそんなに嬉しいのか? それなら、鍵を渡した甲斐があるってもんだけど。
「それじゃあ、クマサン、気をつけて帰ってね」
「あ、ごめん、ショウ。やっぱり部屋まで送ってもらってもいい?」
――――?
どういう心境の変化だろうか?
さっきはすげなく断られたというのに?
もっとも、一人で帰らすのは心配だったので、俺としてはむしろありがたい申し出だ。
「わかった。じゃあ、クマサンの部屋まで一緒に帰ろう」
「うん!」
並んで歩き出すクマサンの顔からは、先ほどまで滲んでいた不安の影が、いつの間にか消えていた。
理由はわからない。でも、ただ嬉しそうに話すクマサンを見ていると、俺までなんだか気分が軽くなる。
電車の中とは違い、今度はクマサンが一方的に喋りかけてきた。
――やっぱり、俺はこの笑顔が好きだ。
何が彼女の心を変えたのかはわからない。だけど、隣を歩くクマサンが楽しそうにしているのなら、それでいい。
そう思いながら、俺は彼女の言葉に耳を傾け続けた。