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第9章 運営イベント

第168話 運営イベント

 オンラインMMORPGの世界では、「運営イベント」というものがしばしば催される。

 その頻度はゲームによってまちまちで、熱心な運営であれば月に一度という高頻度で行うこともあるが、三ヵ月に一度、半年に一度、あるいは年に一度といったペースのタイトルも少なくない。最初こそ意気込んで定期的にイベントを開催していた運営が、次第に音沙汰なしになる――そんな話もよく耳にする。

 俺達が遊んでいる『アナザーワールド・オンライン』では、およそ半年に一度のペースで運営イベントが行われている。


 ミコトさんの誕生日を祝った数日後、次の運営イベントの日程が発表された。

 開催日は10日後。イベント名は「チャリオット」――古代の戦車を意味する単語だ。もっとも、世界観的に、戦車といっても現代の鋼鉄の塊ではなく、馬に引かせる軽量な戦闘用馬車のことを指しているのだろう。

 タイトルだけでは、内容は一切わからない。だが、それがこのゲーム運営のいつも通りだ。詳細はイベント開始まで明かされず、プレイヤー全員が同じスタートラインから挑むことになる。事前に下調べをして準備を整える――そんなことはこのゲームの運営イベントでは不可能なことだった。どんなイベントであっても、すぐにネットに最適な攻略法が掲載される昨今、誰もが未知の領域に飛び込むワクワクを味わえる。それがこの運営イベントの醍醐味でもあった。


 ――ただ、今回に限っては、少し様子が違っていた。

 運営イベントの告知文の下部に、小さくこう書かれていた。


【参加人数:2~4人(4人推奨)】


 これまでの運営イベントは、すべてソロでも参加可能だった。それゆえ、俺も毎回欠かさず挑んできたし、それなりに楽しんできた。だが今回は、明確に「複数人での参加」が求められている。

 つまり、パーティを組まなければ、そもそも参加資格が得られないということだ。

 ……これは、正直に言って、かなりの危機だった。


 もちろん、今の俺には、一緒に戦ってくれる仲間がいないわけではない。ギルドメンバーのクマサン、ミコトさん、メイの三人。いずれも頼れる存在だ。

 だからこそ、今日の四人での狩りの最中、誰かから「運営イベント、一緒に出よう」という話が出てくるのではないかと、密かに期待していた。だが――その期待は虚しく終わった。

 狩りを終えた俺達は、今は三つ星食堂の個室でくつろいでいる。四人用の木製テーブルを囲み、ゲームの話に花を咲かせているのに、誰一人としてイベントの話を口にしない。


 もしかすると、すでにフレンドとイベント参加の約束をしているのかもしれない――そんな考えが、胸をかすめる。

 ミコトさんは顔が広い。知り合いも多いし、あの人柄なら誘われていてもおかしくない。メイに関しては……そもそも運営イベントに興味がない、という可能性も十分にある。クマサンは……俺と似たタイプだから、フレンドが少ないって意味では同志だな。


――でも、誰からも何も言ってこないとなると、やっぱり……俺から切り出すしかないのか。


 勇気が必要だった。断れるのが怖い――というのもあるが、微妙な空気になるのも嫌だった。ギルドとしての関係が気まずくなったら……そう考えるだけで、胃が重くなる。

 それでも、黙っていても始まらない。

 だから、俺は意を決して、話題を切り出すことにした。


「……ところで、みんなってさ。今までの運営イベントって、参加してた?」


 なるべく肩の力を抜いた声を心がけたつもりだったが、自分の鼓動が耳の奥でドクンドクンと響いている。軽い質問のようでいて、返ってくる言葉一つで、この先が決まってしまうような気がしていた。


「最初のイベントというと、あの謎解きイベントですね?」


 ミコトさんが、思い出すように静かに口を開いた。


「あのクソイベントか……。あれは時間の無駄だったな」


 メイが眉間にしわを寄せて、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。その口調にははっきりとした嫌悪が滲んでいた。


「俺は最初の謎も解けなかったよ」


 クマサンが肩をすくめ、照れたように苦笑いする。場の空気が少し和らいだ気がした。

 ミコトさんの言う通り、最初の運営イベントは謎解きだった。開始と同時に提示されたのは暗号文。童謡のようなその一節を読み解けば、次の目的地がわかる――そんなルールだった。しかし、難解すぎる暗号の前に多くのプレイヤーが立ち尽くした。

 暗号を解いては次の場所へ、また暗号、そして次へ……。最終目的地へ最初にたどり着いた者に、称号と豪華な報酬が与えられるという趣旨だったが、正直イベントとしては失敗だったと言っていい。

 運営が張り切り過ぎたのか、それともプレイヤーのIQを過信しすぎたのか――とにかく、ほとんどのプレイヤーが最初の謎さえ解けずにリタイアし、イベントは尻すぼみに終わった。

 俺もその一人だった。暗号が解けず、人が多くいる場所が目的地じゃないかと当てずっぽうに走り回ってみたりもしたが、成果はゼロ。ただの時間を浪費し、残ったのはフラストレーションだけだった。


「あー、でも、次のお月見イベントは割と楽しくなかったですか?」

「はぁ? あのウサギを追いかけるだけのイベントか?」

「レア鎧の戦士が必死にウサギを追いかける姿は、なかなか情けないものがあったな」


 三人は口々に二度目の運営イベントの感想を漏らした。

 そのイベントはタイトルこそ「お月見」という、どこか風流な名前がついていたが、内容は実にシュールだった。マップ上に突如現れるウサギを、ただひたすら追いかけて捕まえるというものだ。

 ウサギは一匹きりではなく、サーバー全体で数十匹がランダムに出現する。そのため、誰もが簡単に参加できた点は、前回に比べて進歩だった。

 ……問題は、そのウサギがプレイヤーよりはるかに足が速かったことだ。

 一対一では到底追いつけず、複数人で挟み撃ちを狙うしかない。そして最終的に、たまたまウサギの逃走方向にいる誰かが捕獲に成功する――つまり、実力よりも運に左右されるイベントだった。

 ウサギを捕まえれば、体力とSPを回復する「お月見団子」がもらえる。それ自体は悪くない報酬だったが、肝心のゲーム性には首を傾げざるを得ない。


「でも、今にして思えば、なかなか楽しい思い出じゃないか?」


 俺がそうつぶやくと、沈黙が一瞬だけ場を包んだ。


「……そうか?」


 メイが冷ややかな視線を向けてきた。

 俺としては、みんなに次のイベント参加への話に持って行きたいからポジティブ発言を心がけているのに、あっさり否定されて悲しいぞ。


「私は楽しかったですよ」


 救いの手を差し伸べてくれたのは、やはりというべきかミコトさんだった。柔らかな笑みを浮かべてそう言ってくれる彼女に、俺は思わず心の中で深く感謝する。うん、やっぱり良い人だ。

 ……良い人すぎて、もう誰かに誘われてそうなのが悩ましいけど。


「三回目のイベントは……お花見イベントだったか」

「あれを『お花見』と呼んでいいのか?」


 クマサンのつぶやきに、メイが即座にツッコミを入れた。どこか釈然としないその声に、思わず俺も笑ってしまいそうになる。

 確かに、名前とは裏腹に、内容はなかなか物騒だった。

 イベント名は「お花見」――だが、その実態は、桜の木の姿をした巨大なトレントが複数、街を目指して進軍してくるという、まるで災害のようなレイドバトルだった。

 一体だけならまだしも、複数のトレントがそれぞれの街へ向かい、プレイヤー達は各地に分かれて迎撃するという構図。大量のキャラクターが一箇所に集まりすぎて、ラグが酷かったのを今でも思い出す。

 運営も、プレイヤーの戦闘力を見誤っていたのか、トレントの体力は桁外れだった。SPをすべて使って攻撃を叩き込んでも、体力ゲージがミリも動かない。

 結局、ほとんどの街ではなんとか撃破に成功したものの、二つの街ではタイムリミットまでに倒せなかった。

 失敗した場合、もしかしたら街が崩壊するのではないかと噂されていたりもしたが、実際には違った。トレントが街に到達すると、その姿は消え、突然街中に花びらが舞い散り始めたのだ。そこには破壊も混乱もなく、ただ静かに、幻想的な桜吹雪が舞っていた。

 あまりの美しさに、プレイヤー達は一様に呆気に取られた。そして、誰かが言ったのだ――「倒さない方が、良かったんじゃないのか?」と。

 もっとも、報酬としては、トレントを倒したほうが断然お得だった。与えたダメージに応じて、攻撃に参加したプレイヤー全員にアイテムが配布される仕組みだったし、ランキング報酬もあった。

 でも、桜が風に乗って静かに舞う、あの光景だけは、今でもはっきりと覚えている。


「あの桜の光景は……また見たいですけどね」


 ミコトさんがぽつりとつぶやいた。その声が、妙に胸に響く。

 俺も自然とうなずいてしまう。あの瞬間、確かに「ゲームの中」でしか見られない景色が、そこにあった。

 ――だけど、今は感傷に浸っている場合じゃない。

 俺の目的は、過去を懐かしむことじゃない。今日、こうしてみんなが揃っているこのタイミングで、次のイベントに一緒にみんなを誘うこと。それこそが俺の本題だったはずだ。

 過去のイベントの話題を出せば、誰かが今回のイベント参加の話を出してくれるんじゃないか――そんな淡い期待を抱いていたけれど、どうやら甘かったらしい。

 やっぱり、俺から言わなきゃ始まらない。

 こうなりゃ、当たって砕けろだ! 男を見せてやる!


「みんな、次の運営イベントなんだけど――」


 意を決して口を開いた瞬間、全員の視線がぴたりと俺に集中した。

 うっ……思った以上に緊張する……!


「えっと、その……みんなは、どうするのかなーと思って。えっと、予定とか……」


 そこで、「一緒に参加してくれ」とはっきり言えないのが、俺の情けないところだった。


「ん? もちろんショウ達と参加するつもりだが?」


 クマサンがいつも通りの調子で答えてくれた。


「はい、楽しみですね~」


 ミコトさんが柔らかく微笑みながら続く。


「もしかして、ほかに予定があって参加できないとか言わないよな?」


 メイが眉をひそめ、睨むように言ってきた。

 ……あれ?

 なに、その感じ。

 もしかして、みんな、最初から一緒に参加するつもりだったってこと?


「えっと……この四人で参加してくれるってことかな?」


 念のため、もう一度だけ確認する。途端に、三人が声を揃えるように答えた。


「当たり前だろ」

「当然じゃないですか」

「今さら何言ってるんだ?」


 その口ぶりには、少しだけ呆れと、そして温かさが混ざっていた。

 責められているような気もするが、むしろその感じこそが嬉しい。


「ありがとう! よーし! どんなイベントになるのかわからないけど、四人で楽しもうぜ!」


 俺が拳を握ると、三人とも力強くうなずいてくれた。

 その姿に、胸の奥がじんわりと熱くなる。

 ――今度の運営イベント、今までで一番楽しみかもしれない。



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