フィールドに吹く風が、いつの間にか静かになっていた。
乱戦の嵐を抜け出した俺達のチャリオットは、荒れ狂う戦場と化した砂漠を脱出し、荒野の岩陰に身を隠していた。
魔障嵐の拡大に伴い、安全地帯としての価値が相対的に高まった砂漠は、もはやプレイヤーの過疎地域とは言えない場所になっていた。HNMギルドのギルマスまで集まってきた以上、そこに留まるのは利口とは言えない。
「……なんとか、生き延びられたな」
ぽつりとこぼれたその言葉は、誰に向けるでもなく、自分自身に言い聞かせるようなつぶやきだった。
思わず口をついて出るほど、さっきの乱戦は凄まじかった。
中でも、ルシフェルの強さは目を見張るものがあった。
圧倒的な魔力、破壊力と範囲を兼ね備えた魔法の連打。あれはまさに、最強の精霊使いと呼ばれるのに相応しい実力だった。
だが、それでも――生き残ったのは俺達だ。
……とはいえ、それは俺の力によるものではない。
「みんなのおかげだ……本当に」
深く息を吐きながら、俺は仲間一人ひとりに目を向ける。
「クマサンがいなければ、あの乱戦の中でミコトさんを守りぬくことなんてできなかった」
そう告げると、クマサンはちょっと照れくさそうに、つぶらな目を細めて微笑んだ。
「ミコトさんの回復がなければ、俺はあの場で間違いなく倒れていたよ」
ミコトさんは、恥じらうようにはにかみながら、そっと目を伏せた。
「そして、メイ。あの混戦のど真ん中で、冷静にチャリオットを操ってくれた。メイの適切な判断がなければ、俺達はあの混戦から抜け出すことなんてできなかった」
御者席で手綱を握るメイは、背中を向けたまま返事をしなかった。けれど、その肩がほんの少し震えた気がする。
――まったく、あの背中も、ちゃんと照れるんだな。
思わず口元が緩む。
俺は、本当に仲間に恵まれている。
それを今、噛みしめていると――
「ショウがいなかったら、ルシフェル達を倒せていない。――俺達が生き残っているのは、ショウのおかげでもある」
不意に、クマサンが真っすぐ俺を見つめて言った。
その言葉に、ミコトさんが小さくうなずき、メイも背中越しに一度だけ、静かに首を動かした。
多くは語らない。でも、それで十分だった。
俺が仲間達に抱いていた想いを、同じように彼女達も俺に向けてくれていた――その事実に、胸の奥に温かなものがじんわりと広がっていく。
言葉では表しきれない感情が、そっと俺の中に満ちていった。
「……すぐにここにも敵がくるだろう。今のうちにSPを回復しておこう」
照れ隠しというわけではないが、俺は話題を変えるようにして、勝利報酬として得ていたSP回復薬をミコトさんに差し出した。
一番SPを消耗しているのはミコトさんだ。そして、彼女のSPはこのチームの生命線でもある。最優先で回復しておかなければならない。
ルシフェル達を倒したことで、俺達の手持ちのSP回復薬は合計五つ。体力回復薬も、未使用なら五つあるはずだが、あの乱戦の中でそれぞれが緊急使用しており、今手元にあるのはルシフェル達を倒した時に追加された一つのみ。
「SPが減っているのは、ショウさんやクマサンも同じじゃないですか」
ミコトさんの穏やかな指摘に、俺とクマサンは顔を見合わせた。
またあのような乱戦が訪れたとき、肝心な場面でSPが尽きて肝心なスキルが使えなくなる――そんな事態は絶対に避けなければならない。
「ラストエリクサー病」――ゲーム好きなら誰もが知っている、あれと同じだ。
今後訪れるかもしれないピンチに備えてラストエリクサーを温存し続けた結果、結局戦わずに終わる。それどころか、場合によっては使わずに死んでいく。そんな愚かな病にも似た症状。
そんな失態をさらすわけにはいかない。それに、この薬は今回のイベント専用アイテム。温存するメリットは少ない。
「……そうだな。使う余裕がある時に使っておこう」
そう言って、俺達はSP回復薬を使い切る決断をした。
ミコトさんが三つ。残りの二つを、俺とクマサンが一つずつ使う。
これで全員のSPがだいぶ回復した。次に備えるための、最低限の備えは整った。
「……あの乱戦で、異世界血盟軍の連中も一緒に倒れてくれてたら、助かるんだけどな」
俺がふと漏らした希望混じりの言葉に、ミコトさんがやや重たげな声で答えた。
「私が最後に確認したときは、まだ健在でしたね」
――やっぱり、あの連中はしぶとい。
ルシフェル達と同様、乱戦の中でも多くのプレイヤーから狙われていたはずなのに……さすがHNMギルドの実力者達だ。
「とにかく、手あたり次第に攻撃しまくっていたな。撃墜数はかなりのものになっているんじゃないか」
クマサンの言葉には、皮肉と警戒の両方が混ざっていた。
それだけ倒しているなら、回復アイテムも大量に獲得しているということ。
つまり、彼らは「回復薬を燃料にして殴り続ける」という、シンプルかつ強引な戦略を採っているわけだ。
そして、その指揮を執るギルドマスター・ソルジャー。「サーバー1の最強近接アタッカー」と呼ばれる男だ。正直、俺としては、その称号を奪い取りたいと思っている。でも、今の世間的な評価では、どう考えても彼の方が上。
どちらが最強の近接アタッカーか、直接対決で勝負を決したいところだが――このイベントで勝ち残ることを考えれば、彼らにはさっきの乱戦で消えてくれることを願ってしまう。
「フィジェットさん達は無事でしょうか……」
ミコトさんの不安げな声に、胸の奥がチクりとうずいた。
そうだった……。いろいろあったせいで忘れかけていたが、ねーさん達は「片翼の天使」の二台のチャリオットの相手を引き受けてくれていたんだった。
ルシフェルを倒すというねーさんとの約束は、なんとか果たすことができた。だが、肝心のねーさん達がどうなったのかはわからない。もし彼女達が負けていれば、ルシフェルのかたき討ちとばかりに、残った二台のチャリオットに狙われかねない。
――でも、あのねーさん達が簡単にやられるとは思えない。
「ねーさん達なら、きっと無事だよ。あの人達が、そう簡単に負けるはずがない。むしろ――」
言いながら、思わず笑みが漏れる。
「――今度こそ敵として現れる覚悟をしておいた方がいいかもしれない」
「……そうですね」
ミコトさんの強張っていた表情が、ふと緩んだ。
きっと彼女の中でも、ねーさん達の姿が思い浮かんでいるのだろう。元気に笑いながら、また問答無用で襲いかかってくるその姿が。
「……人の心配をしているのもいいけど、そろそろ自分達のことを考えたほうがいいぞ。周りの連中が、こっちに向かってきている」
メイの言葉が空気を引き締めた。
マップを見れば、確かに三方向からチャリオットを示すマークがこちらに向かってきている。
もう安全エリアも、残ったチャリオットも少なくなってきていた。敵の目をかいくぐって逃げ延びるなんてことは、難しくなってきているのだ。
「囲まれると不利だ。まずは一番近い敵を迎え撃とう」
「――わかった」
メイは即座にうなずき、東の方角へと手綱を切った。
チャリオットが再び砂を巻き上げて走り出す。
こういう時、戦術の方向性で揉めているようでは勝ち残るのは難しい。
それでも皆、それぞれに考えがあるはずだ。
そんな中で、俺の言葉に迷いなく従ってくれるのは、きっとリーダーとして認めてくれているからに違いない。嬉しさとともに、責任の重さを感じる。
――みんなを勝たせたい。
その思いが強くなった。
「見えたぞ!」
メイの鋭い声に、俺は前方を見やる。
勢いよく突き進んでくるチャリオット――その姿がはっきりと見えた。
台座に立つ王に視線を向けた瞬間、俺は息を呑む。
「――あっ」
そこに立っていたのは、知った顔だった。
「……マテンロー」
キング・ダモクレスと共に戦い、大敗した、あの時の仲間だ。
しばらく顔を見なかったが、まさかこんな形で再会するとは思っていなかった。
「ショウ!」
向こうも俺に気づいたらしい。
……こういうとき、どういう顔をすればいいんだろうか。
「ほかのHNMと組んで、ずいぶん活躍しているそうじゃねえか!」
――やはり俺を責めているのだろうか。
マテンローから見れば、俺達は彼にすぐに見切りをつけ、「ヘルアンドヘブン」にすり寄ったコウモリのような存在に見えているのかもしれない。
俺はつい目を伏せてしまう。
「ここで俺の成長した力を見せてやる! 俺が勝ったら、また俺と組めよ!」
「――――!?」
彼の言葉にハッと顔を上げる。
マテンローは嬉しそうに笑っていた。
敵意でも怒りでもなく――挑戦者の顔だった。
――ああ、こいつはまだHNMギルドを諦めていないんだ。
その顔を見た瞬間、そう確信した。
顔を合わせない時間の中で、きっとマテンローはあいつなりに研鑽を積んできたのだろう。
そして今、こうしてこの乱戦を生き残り、再び俺の前に立っている。
以前は頼りなかった指揮も、今の彼なら違うのかもしれない――そう思わせるものが今のマテンローにはあった。
「――いいぜ!」
俺は包丁を握り締め、その切っ先をわずかに上げる。そして、そのまま声を張り上げた。
「お前の力、見せてみろよ、マテンロー!」
風が巻き上がる。
砂塵の中、再会の火花が勢いよく散った。