俺は改めて、選択肢として残った三人の患者を順番に見渡した。
医療ミスで奇病に感染したステラ、まだ若い魔法医のベルトルト、富豪のホフマン。悪人のレイラとは違い、この三人は誰を救っても意味がある――それだけに、選択は重い。
だけど、俺達の手元にある「赤い葉」は一枚だけ。たった一人しか助けられない。
町長からの依頼で、この判断は俺達に委ねられている。
しかしながら、クマサンはステラを推し、ミコトさんはベルトルト、メイはホフマン。状況は混沌としている。ここで俺が三人の中の誰かの名前を挙げれば、多数決ならそれで決まりだ。
――でも、最終的にはそうならざるを得ないとしても、今はまだその時じゃない。強引に結論を出せば、残る二人の心にしこりを残す。納得のいかないまま依頼を終えれば、それこそモヤっとしたクエストになってしまう。少なくとも、多数決で決着をつける前に、できるだけの対話を尽くすべきだ。
そう思った俺は、三人の中の誰を選ぶのか、自分の意見を言う前に、メイへと視線を向けた。
「メイ、一つ確認しておきたいんだけど、いいかな?」
「ん? なに? 構わないよ」
「メイはホフマンを推したけど、その理由を改めて聞かせてほしい。ベルトルトが魔法医として町に貢献できるのと同じように、ホフマンは金銭的な支援で町に貢献できるって言ってたよな? その意味では、二人の貢献度に差はないとも言える。だとしたら、なぜホフマンを選んだんだ?」
メイは少し気まずそうに視線を逸らした。
――やはりか。
俺の中には一つの仮説があった。彼女はこのゲーム内でもトップクラスの資産持ちだ。だからこそ、富豪という理由だけでホフマンを選択肢から外そうとするミコトさんやクマサンに、無意識に反発してしまっているんじゃないかって。
もしそうなら、そのバイアスに気づいてもらえれば、意見は変わるかもしれない。
俺は静かにメイの答えを待とうとしたが、彼女が何か言う前に、ミコトさんが勢いよく割って入った。
「そうですよ! ショウさんの言う通りです。確かに、私はホフマンさんが富豪だというだけで、どこか色眼鏡で見ていたかもしれません。でも今は違います。ベルトルトさんもホフマンさんも、どちらも町にとって必要な人です」
ミコトさんはそのまま、勢いよく言葉を続ける。
「だけど、それでも私はベルトルトさんに薬を使うべきだと思います。彼は見たところ三十歳くらいで、まだまだ若いです。ここで彼を治療できれば、これから何十年も町に尽くしてくれます。だったら、より長く町に貢献できる人を優先すべきではないでしょうか?」
言っていることは筋が通っている。
若い命を救う――その判断は合理的で、誰にでも納得できるロジックだ。
そしてミコトさんは、メイの中にも同じ価値観の片鱗を見て、自分の方に引き込もうとしているのかもしれない。実際、町への貢献度を判断の根拠とする二人は、考え方が近いと言える。
――でも、物事にはいつだって、逆の視点がある。
メイはまるで優しく諭すかのように切り出した。
「……ミコト、逆に言えば、ベルトルトにはそれだけ多くの時間が残されてるってことだ。彼には次のブラッドリーフ・トレントが見つかるのを待つ時間がまだ十分にある。それに比べて、ホフマンは――こういう言い方はあまりしたくないが、生きられる時間はこの患者の中で一番短い。だからこそ、誰よりも優先して治してあげて、奥さんと二人、余生を過ごさせてあげるべきなんじゃないか?」
その言葉に、さっきまで熱を帯びていたミコトさんも、一気に静かになる。
まだ高校生のミコトさんには、なかなか持つことができない視点だったかもしれない。
メイの中身はそれなりの年配女性なんじゃないかと疑いたくなる。
でも、俺達は現実の彼女を知っている。これでも彼女は二十代の女性だ。しかも、金髪で、派手なピアスを揺らして、バンドでベースを奏でるような。
現実での見た目のイメージと、彼女の語った言葉とのギャップに、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「……なんだよ、ショウ、その顔は?」
表情の変化に気づかれたのか、メイから鋭い視線が飛んできた。
「いや、まさかメイからそういう意見が出てくるとは思ってなかったからな」
「……悪かったな。これでも、おじいちゃん子だったんだよ」
照れくさそうにポツリとそう答えたメイが、妙に可愛らしかった。
童顔な今のメイのキャラクターには、そんな言葉も合っているが、クールでロックな金髪女性が自分のことを「おじいちゃん子」だなんて、この表情で言っているのかと思うと、そのギャップがたまらない。
「……なんだよ、その変にニヤけた顔は。どうせ似合わないとか思ってるんだろ」
考えていることが思わず顔に出ていたのだろう。
だけど、「ギャップがむしろ可愛い」なんて正直に答えようものなら、メイだけでなくほかの二人からも何を言われるかわからない。
「そんなことは思ってないって。ただ、メイとミコトさん、どちらの言い分にも一理あるなって、そう考えていただけだよ」
「……どう見ても、そんな顔じゃなかったけどな」
うまくごまかせたかは、正直怪しい。
しかし実際、二人の意見はどちらも的を射ていた。真逆のようで、どちらも真っ当な理由を持っている。
これがもしただの道具だったら、迷うことはないだろう。
たとえば、同じ種類の新しい家電と古い家電。どちらか一方しか修理できないとしたら、誰でも耐用年数の長い、新しい方を選ぶだろう。合理的な判断ってやつだ。
でも、対象が「人」となれば、話は別だ。
俺達には、感情ってものがある。
世の中には、「合理的こそ正義」みたいな考えを振りかざす人もいる。
でも実際には、そう単純じゃない。
人には「情」があって、それを無視した選択は、どこかでひずみを生む。
合理的な判断は、確かに賢い。だけど、それが「絶対に正しい」わけじゃない。
数ある考えの中の一つにすぎないんだ。
……俺達は、そのことを忘れちゃいけない。
「――とにかく、メイは町への貢献度だけじゃなくて、それぞれに残された時間のことも考えて、ホフマンを推しているってことなんだな?」
「ああ、そういうことだ」
メイは深くうなずいた。
もし、彼女が単なる意地や反発心でホフマンを推したのなら、意見を変えさせるのは容易だったかもしれない。でも、違った。彼女の中には、ちゃんと筋の通った想いがあった。
仮に、特効薬がこの世に一つしか存在しないとしたら――そのときはまた別の答えがあったかもしれない。
たとえ心が痛んでも、より多くの未来を託せる人を選ぶべきだと、誰もが思ったかもしれない。
けれど現実には、ブラッドリーフ・トレントが再び見つかる可能性は残されている。
明日か、数週間後か、あるいは何年も先になってしまうかもしれないが。
だけど、見つかる可能性がゼロじゃない以上、「残された時間」はそのまま「待てる時間」にもなりうる。
今回の議論は、まさにそこが分かれ目だった。
そして正直なところ、俺自身、どちらに分があるかはまだ決めきれない。
だからこそ、次に聞くべきは――
「クマサンはさ、残された時間が短い人と長い人、どっちを優先すべきだと思う?」
ここでクマサンが、ミコトさんとメイ、どっちにつくかで議論の趨勢は大きく変わる。そう思ってクマサンに振ったのだが――
「……それって、今、そんなに重要なことだろうか?」
「え……?」
思ってもいなかった返答に、俺は一瞬、言葉を失う。
「人間なんて、いつどうなるかわからないだろ? 若くたって明日には事故で亡くなってしまうかもしれない。残りの時間なんて、誰にも正確にはわからないんだ。それよりも、ステラは医療ミスでこんな病気にされたんだろ? だったら、それもう『事故』じゃないか。だったら、理不尽な事故に遭った彼女をまず助ける――それが筋ってもんじゃないのか?」
……ああ、そうだった。
メイとミコトさんが「未来」か「余生」かでぶつかる前に、クマサンはそもそも、「未来への期待」でも「残された時間」でもなく、「過去への償い」を重んじていたんだった。
……この議論って、本当に俺達なりの答え出せるのだろうか?
俺は、出口のない洞窟の中を手探りで進んでいるような気分になってきた。