場面は切り替わり、メイリンの屋敷からの帰り道。
気持ちを切り替えたショーンが、静かな夜道を一人歩いていくシーンだ。舞台の背景が暗転し、ほのかな灯りが俺の歩みを照らす。
そのとき、前方から、酒場帰りの騎士達の賑やかな笑い声が聞こえてきた。ショーンの顔見知りの二人の騎士だ。
「……彼らと顔を合わせるのは、今は気まずいな」
ショーン役の俺は、とっさに街路樹の陰に身を潜める。
「それにしても、ショーンはバカをやっちまったよな」
「前から要領の悪い奴だったからな」
二人の騎士は、木陰の俺に気づく様子もなく、遠慮のない言葉を投げ合っていた。
「だけどよ、騎士資格を剥奪されても、試験さえ通れば再入団は可能だろ? あいつなら、また戻ってくるんじゃないのか?」
「いやいや、それがよ。王様が、大事な娘を傷物にしたってたいそうお怒りらしくて、ショーンが入団試験を受けに来ても絶対に合格させるなってお触れが出ているらしいぜ」
「うわっ、本当かよ?」
「ああ、団長が王様の使いとそんな話をしているのを聞いたから間違いねえ」
「我がまま王女が勝手に転んだだけだってのにな……ショーンも運がない奴だなぁ」
「おいおい、王女の悪口なんて聞かれたら、お前も騎士資格を剥奪されちまうぞ」
「ははっ、違いねえ!」
軽口を交わしながら、二人はやがて舞台袖へと去っていく。
木陰に残された俺は、静かに一歩踏み出す。
【絶望的な顔で立ち尽くす】
目の前に浮かび上がる演技指示に従って立つ。だが今の俺には、演じようとしなくてもいい。胸の奥からこみ上げるこの感情は、もはや演技じゃなかった。
うつむいたままの俺の耳に、不意に声が届く。
『……力が欲しいか?』
何かの漫画で聞いたことがあるような言葉だな、と思いつつ、新たな指示の通り、俺は左右を見渡し、声の主を探す。
「……誰かいるのか?」
しかし、舞台上には俺一人。観客席から見れば、ただ虚空に語りかける奇妙な光景かもしれない。
『俺は悪魔だ。姿は見えねえ。俺の声が聞こえるのは、お前だけだ』
悪魔――そう名乗る声は、まるで観客の耳元に直接囁くような残響効果で響いていた。
……まったく、最初から悪魔って名乗るなんて妙に律儀だよな。普通は正体を隠して誘惑してくるもんじゃないのか?
そう思いつつ、俺はセリフに戻る。
「悪魔だと? 騎士であるこの俺が、悪魔の言葉に耳を貸すとでも思っているのか?」
『騎士だって? お前はさっき資格を剥奪されたばかりだろ? しかも今の王がいる限り、この国でお前が騎士に戻る道はない。他国へ行こうとも、下級とはいえ、この国の貴族であるお前を騎士として取り立てる国はねぇ。つまり、お前はもう、騎士にはなれないんだ』
淡々と語られる現実。改めて言葉にすることで、今のショーンの追い詰められた状況が観客にも伝わっていく。
しかし――なんというか、役に入りこんでるせいか、胸に刺さるものがあるな、これは。
「……わかっている。そんなことは……わかっている! だが、懸命に努力を続ければ、いつかは王も俺を――」
『お前の努力なんて、これまで誰が評価してくれた? 王も、騎士団も――誰も評価してこなかっただろ?』
言葉に詰まる。これはもう、ただの演技ではない。俺の心にまで食い込んでくる。
『見返したいんだろう? だったら、圧倒的な力を手に入れるしかねぇ』
「……けど、俺には才能がない。だからこそ、努力するしか――」
『いつまで無駄な努力を続ける気だ? その間に、お前のことなんて、みんな忘れてしまうだけだぞ?』
「…………」
『だから聞いたんだ。力が欲しいか?と』
その声は、どこまでも静かで、そして冷たかった。
もし、クマサンやミコトやメイに出会えず、仕事を辞めたあと無為にゲームをし続けるだけの俺が、同じことを言われたら、すぐに飛びついていたんじゃないだろうか……。
だけど、ショーンはすぐには首を縦に振らない。
「……悪魔の力にすがるつもりはない」
『安心しろ。力を貸すわけじゃねえ。お前に聖剣のありかを教えてやるだけだ』
「……聖剣だって?」
『そうだ。聖剣を手にすれば、誰もがお前を認めざるを得なくなる』
「それはそうかもしれないが、そんなもの簡単に見つかるはずが――」
『だからこそ、俺が聖剣まで道案内してやる。ただ、導くだけだ。魂を奪う契約もしない』
「……怪しい真似をするつもりなら、すぐに引き返す」
『ああ、構わねえよ。判断するのは、お前だ』
俺はゆっくりととうなずく。
「……わかった。聖剣の場所まで、案内してくれ」
『ひっひっひ。そうこなくっちゃな……』
不気味な笑い声が舞台の闇に溶け込むように消えていく。
暗転――そして静かに場面は切り替わった。
新たな照明が灯る。
舞台に浮かび上がったのは、王都の外れ――荒れ果てた石畳の小道と、その先に続く陰鬱な空間だった。
「王都の中に、こんな場所があったとは……」
ショーンはゆっくりと歩みを進める。
そこは、誰からも忘れ去られた一角。
朽ちかけた石の祠が、月明かりに照らされて寂しげに佇んでいた。
周囲に人影はなく、ただ静寂だけが支配している。
『ここには人避けの結界が張られている。普通の人間は、無意識のうちに近づかなくなるのさ』
「……なるほど。さっきから誰ともすれ違わなかったわけだ」
ショーン役の俺は舞台中央へと歩み寄り、祠の前に立つ。
重厚な石の扉には、淡く光るルーン文字が刻まれていた。
神聖さと、どこか不穏な気配を孕んでいるように見える。
「おい、まさか、王都のこんな場所に聖剣があるっていうのか?」
『ふふっ、勘がいいじゃねぇか。まさにその祠の中に、お前の望む剣が眠っている』
俺は扉に手を伸ばしかけ、ふと動きを止める。
もちろん、そういう演技指示に基づいてだ。
「……これは、ただの扉じゃないな。魔法の封印が施されている」
『安心しな。今だけサービスで、封印を無効化してやる』
悪魔の言葉が終わるや否や、ルーン文字の光がすっと消え、観客にも封印が無効化されたことが視覚的にわかる。
『ただし、封印はすぐに戻る。開けるなら、今のうちだ』
「悪魔がこんな親切をするなんて、どうにも怪しいが……まあ、中を確認するくらいなら……」
もし騎士資格を剥奪されていなければ、あるいは、酔った騎士達の話を聞かなければ――ショーンはここで踏みとどまっていたように思う。
だが、今のショーンにとって聖剣は最後の希望だった。
俺はゆっくりと扉に手をかける。
ギィィ……
重たい音を立て、石の扉がゆっくりと開かれる。
祠の奥。そこに鎮座していたのは――
「これが……聖剣……」
黒い刃をした剣が地面に刺さっている。
それに導かれるように、俺は手を伸ばし――剣を引き抜いた。
「まさか、本当にあるとは……」
『俺は、嘘はつかねえって』
「……悪魔よ、疑って悪かった。この聖剣があれば、俺は……もう一度騎士に――!」
俺が聖剣を高々と掲げた瞬間、舞台の端から二人の騎士が慌ただしく登場する。
「封印の異常反応を感知して来てみれば……まさか、魔剣の封印が解かれているとは!」
騎士の言葉に、俺は驚きながら掲げた剣を下ろし、まじまじと剣を見つめる。
「魔剣……? どういうことだ? これは聖剣なんじゃ……」
『聖剣も魔剣も、呼び方の違いだ。細かいことは気にするな』
「嘘はつかないんじゃなかったのか?」
『はて? そんなこと言ったかな?』
「おい!」
『そんなことより、騎士達の方を気にしたほうがいいんじゃないか? 向こうはもう剣を抜いてるぞ』
「な、なんだって!?」
慌てて二人の騎士に目を向けると、こちらを警戒しつつも、臨戦態勢に入っている。
「待ってくれ! 俺は怪しい者じゃない!」
慌てて手を上げて、敵意がないことを示すが――
「貴様、確か騎士資格を剥奪された男……! なるほど、それを逆恨みして、王家の宝を盗みに来たか!」
「王家の至宝に手を出した罪は重い……ここで成敗する!」
剣を構え、じりじりと迫る騎士達。
彼らの態度に、対話の余地はなかった。
「くっ……。二対一、手加減できるような相手と状況じゃないが……この剣があれば……」
『あ、言い忘れていたが、今のその剣、封印がまだ完全に解けていないから、ただのちょっと切れ味のいい剣でしかないぞ』
「な、何だって!?」
俺は悲鳴のような声を上げて聖剣(魔剣?)を構えた。