「奥様、次のご予定がございますので」
執事キッドマンが、娘と談笑する私に告げる。
「そう、じゃあローズそろそろ行くわね。ほどほどに励みなさい」
「はい! お母様もほどほどにしてね。また後で」
私は娘のローズに別れを告げて、
私、つまりイザベラ・ローゼンバーグはこの国における公爵の地位を持つロート・ローゼンバーグ公爵を夫に持つ、いわゆる公爵夫人でございます。
ローゼンバーグ公爵家は主にこの国における福祉や医療面での政策に力を入れて、病院などへの出資や統制、研究拠点提供、医学部と薬学部の運営などを行い、ローゼンバーグの名を冠する学校併設の孤児院なども国内に
誰が呼んだか、
そう呼ばれて
子は二人。
姉に当たる長女のローズはもうすぐ十六になり高等部一年生として薬学を学んでおります。第二王子のリゲル・カラリア様との婚約も決まり彼女もローゼンバーグとしての生き方を理解しているようで素晴らしい淑女へと育ちつつあります。
弟に当たる長男のジャンは先日五つになったばかりでローズと歳が離れていてまだまだ可愛い盛りですが、毎日様々なことを学び目を離したらすぐにでも大人になってしまうのではないかと思うほどです。
どちらも自慢の子で、可愛い我が子でございます。
目が悪くなって
日中はローゼンバーグ関連の孤児院や学校を回り、子供たちの学習状況や運営状況などを確認して。
帰宅後は病院や研究施設を回って経営状況や研究成果に目を通し。
夕食には積極的にローズやジャンから今日あった出来事を聞き。
夜は夫と軽い晩酌をして、眠りにつく。
それが私の日常でございます。
今は隙間の時間にローズとカフェでお茶をして、談笑していました。ここから病院に戻って雑務をこなします。
純然たる事実なので包み隠さず一切の
私は、この国で最も
金銭的に、充実度も、幸福度も、何一つ不足なし。
社会的地位と
それが私、イザベラ・ローゼンバーグ公爵夫人でございます。
どうぞよしなに。
ある日の夕食にて。
私はいつものようにローズとジャンから聞く今日の出来事を楽しみにしながら食事をとっていました。
しかし、今日はどうにもローズの様子が変でした。
何かあったのでしょうか、いや何かあったのでしょう。
この年頃の娘に何もないなんてことは有り得ない。
私もかつてはティーンエイジャーで、今の私が出来上がるまで何もなかったなんてことはなかったのですから。
ですがいけませんね、親というのは。
誰だって何かある。
そんな統計を取るまでもない数学的にも純然たるただの事実に、どうしようもなく心配してしまう。
話が煮え切らない、母である私に嘘のないように話す為に出来るだけ嘘をつかないように隠し事をしている。
私も私で母であるが
「大丈夫なの? ローズ」
私は不意にそう訪ねてしまう。
「ん? 全然大丈夫だよお母様!」
ローズは笑顔で明るく答える。
私にはそれがどうしようもなく、
「キッドマン、報告を」
私は夕食後まだ少し目を通さなくてはならない資料があると言って私室に
「かしこまりました、奥様」
キッドマンは目を
私はこの男をある意味では夫であるロートよりも信用している。
私がローゼンバーグ公爵家に嫁ぐ前、イザベラ・ムーンライト伯爵令嬢だった頃からキッドマンは私に仕えています。
ある種で私の親や夫より私のことを知っているのがこの男なのです。
私の全てを知るこの男を、私は信用せざるを得ない。
でも夫が何か間違いや失敗をしても許せますが、この男の間違いを私は絶対に許しません。
「本日のローズ様は学園に到着後――」
ここから淡々とキッドマンはローズの一日を語り出す。
詳細に、細部まで分単位で語る。
端的に言えば気持ち悪いのだけれども、この優秀さこそがこの男なのです。
しかしてなるほどね。
噛み砕いて言えば、ローズは同学年の女生徒から意地悪というか嫌がらせを受けているようです。
集団での無視、ヒソヒソと
大人になってしまった私としては気に止めるようなことですらないと思えてしまうけれども、ティーンエイジャーで優しく穏やかなローズからしてみたら参ってしまってもおかしくはない。
ローズは夫に似て人の善性を信じる
なので心配ではあるのですが……。
うーん……、現実的なところで言うのであればこのくらいのことで公爵である夫や公爵夫人である私が口出しや手出しは出来ませんね。
というか五爵の中でトップの公爵家の中でも国政においてかなりの発言力を有するローゼンバーグに、
これがただ、医療や福祉に従事し
気になるのは主犯格がバート侯爵家の令嬢というのは引っかかります。
ローズはこの国の第二王子リゲル・カラリア様との婚約が決まっている。いつかは王家に嫁ぐことになる。
元も子もない言い方になってしまいますが、これは政治的な思惑を多分に含む婚約です。まあ当人同士も何だかんだ上手くいっているようなので、それは何よりなのですが。
バート侯爵家はかなり機械技術の開発や効率化に力を入れている家です。今現在でもかなりの雇用を生み経済に影響を与えています。
しかし、現段階で国政の流れとしては食料自給率と他国との貿易で、国民全体の食糧事情がここ数年で安定化したことにより人口が増えることを見越し、疫病対策や災害などの医療面に力を入れてこれからの発展に対する土台を固めようという
その為にローゼンバーグ家の者が王家へと嫁ぎ、医療や福祉面の連携をより
つまり。
機械技術開発を主軸とするバート侯爵家が活躍するのは次の時代。
ローゼンバーグの次、ということになります。
だけど
バート侯爵家がそれを待ちきれずに技術開発への針を進めようとしていたら?
もし、その後に行われると予想される貴族間の技術開発競走に先んじて王家にくい込んでいようと考えていたら?
バート侯爵家が侯爵家という確立された地位を持ちながら、公爵家に敵意を向ける理由には不足ないでしょう。
ローズを追い詰めて、第二王子から引き剥がし、空いた椅子にバート家の娘を座らせることが出来たとすれば。
「……なるほどね」
私は頭の中に巡らせた、無視が出来ない可能性について納得の言葉を漏らす。
と、なれば現在のローズが直面している
先んじて被害者を取り、
冤罪と
ああ、なんて懐かしい。
「……奥様、邪悪な笑みが漏れています」
キッドマンが私の顔を見て、少し呆れながら注意を促す。
おっといけないいけない、つい昔のことを思い出してしまった。
そんな悪の思想に頭が染まって微笑んでしまう。
だって、誰よりこの私がそうやって公爵夫人の座を勝ち取ったのだから。