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開店1周年前日 20

 美津子は康典が帰宅してから油を張った鍋に唐揚げを入れた。

 油の匂いと共に唐揚げがおいしそうに揚がっていく匂いもしてきた。

 もちろん、部屋の中に匂いがこもらないように換気扇は回している。それでもどうしてもダイニングのほうにも漂ってくるが、そういう状態は食欲を刺激し、実際にいただいた時にさらに料理を美味しくする。

 ほどなくしてすべての料理が完成した。唐揚げも豚の角煮もそれぞれの皿に盛りつけられる。私の食卓は大皿に盛りつけ、みんなで取り分けるようにしている。コロナの問題の時にはさすがに躊躇していたが、その問題も落ち着いた今、本来の家族のスタイルに戻している。そこに日常の幸せを見るわけだか、そのことが改めて頭を過ぎった。

「普通って良いな」

 私は小さな声でつぶやいた。多分、美津子には聞こえていないだろうが、開店1周年を控え、少々感傷的になっているのかもしれない。

「康典、食事よ」

 美津子が康典を呼んだ。

 康典の返事が聞こえ、すぐにやってきた。手に何か持っている。

「それは何?」

 美津子が訪ねた。

「開店1周年、もちろん知っていたよ。だからアルバイトで貯めたお金でプレゼントを買ってきていたんだ。今日、家でそのための食事をするなんてことは知らなかったけれど、今日か明日、渡そうと思っていた。でも、今日がそのための食事ということだったから、持ってきた」

 康典の思わぬ言葉に私たちは絶句した。もちろん、それは良い意味でだ。康典も私たちのことを理解していて、応援してくれているようで、私たちは互いに顔を見合わせた。なぜかうっすらと目には涙が浮かんでいた。

「何、どうしたの? 驚いた? でも、大変な時にたくさん頑張って、家族を守ってくれたじゃない。開店の時には何もできなかったけれど、今日は何かプレゼントしたくて準備していたんだ」

 私たちはその言葉を聞いて、さらに声が出なくなっていた。ダイニングには康典の声だけだった。

「康典、ありがとう」

 私が声を絞り出すような感じで言った。

「やだなあ、そんな大袈裟なことじゃないよ。さあ、食べないとせっかくの料理が冷めちゃうので食べよう」

「そうだね、食べよう食べよう」

 美津子が康典の言葉に合わせるような感じで言った。すぐに踵を返し台所のほうに向かうが、その眼には先ほど以上の涙が出ていたのだった。

 ご飯をよそった茶碗を持ってきて、美津子が言った。

「何をくれたの?」

 プレゼントの中身よりその心が嬉しかった美津子だが、何を考えて選んだのだろう、ということで尋ねてみた。

「開けてみてよ」

 康典が言った。

「そうね、じゃあ、私が開けてみるね。お父さん、良い?」

「もちろん。早く開けてみて」

 そういうと美津子は丁寧に包装紙を取り、きれいにたたんでいた。

「そんな気を使わなくても良いよ」

その様子を見ていた康典が言った。

「でもね、こういう心がこもったものをいただく時は、中身だけでなくそのすべてが宝物なのよ。だからどうしても包装紙も大切なの」

 美津子の言葉に康典はピンと来ていなかったようだが、私も気持ちは同じだった。

 開封して中身を見ると、花瓶だった。きれいなガラス製で、私は康典にその理由を尋ねた。

「お店に置いてもらおうと思って」

 康典の返事だった。

「多分お店に花を飾ることがあると思うけれど、そういう物はもう一つくらいあっても良いのではと思ったんだ。仕事場だからあまり顔を出してはいないけれど、良い雰囲気作りは大切だからね。そう思って選んだ」

 康典は今回の選択の理由を話してくれた。同時に子供が自分の目線でいろいろと考えてくれていたことに胸が熱くなった。

「ありがとう」

 私たちは改めて康典の気持ちに感謝の言葉を送った。

「そろそろ食べようよ。せっかくの料理だから」

「そうだね、いただこう」


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