解除が残っていた8都道府県の内、大阪、京都、兵庫の3府県については5月21日に実施された。その上でこの状態なら残る5都道県についても解除可能という見解が示され、25日に解除の運びとなった。
待ちに待った解除宣言だが、そのニュースを耳にした私と美津子は39県が解除された時よりも喜びが大きい。
私たちが住み、仕事をしている地域の話なので、その喜びは比較にならない。テレビを見ていた私たちの表情は10日前とは全く異なる。美津子はこれまでの大変な思いが堰を切ったかのように溢れだしたようで、その眼にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「やっと解除されるのね・・・」
腹から絞り出すような声だったが、決して暗い感じではない。喜びが大きい時は大声になるイメージがあったが、本当に大変な思いの時は必ずしもそうではないことを見た感じだった。表情や声から感じられる安堵感は大きいようで、しばし放心状態のようにも感じていた。
おそらく私も似たような状態だったかもしれないが、自分のことは客観的に見ることはできない。でも、身近で苦楽を共にしている私にとって美津子の気持ちはそのままストレートに感じているつもりだし、一緒に仕事をやり、店の経営に知恵を絞っていることから、これでやっとこれまでの苦労から脱却できる、という期待が胸に去来していた。
美津子が発した言葉からどれだけ時間が経ったか分からないが、時計を見ると思ったほど経過していない。絶対的な時間の経過と、主観的な時間の流れの差を感じたところだが、それだけ解除の話は私たちの心に大きなインパクトだったのだ。
コロナの問題で緊急事態宣言が発出された時もそうだったが、解除の時にも同じように心に影響を与えたわけだ。
でも、その内容は全く正反対で、宣言発出の時は絶望に近いものがあり、解除の話は希望に溢れた。どちらの場合も反応的には同じようなことだったが、内的には異なる、ということを今回初めて経験した。
解除の日が明確になったことで、先日矢島と話した企画の準備をしなければならない。その件についてはすでに美津子や中村に伝えてあるが、もちろん2人とも賛成し、具体的なメニューについてもアイデアが出ている。試験的にいくつか提示し、反応を見てみようと思っているが、解除されたからといってすぐに元通りになるわけではないことは理解している。だから、試験的と言っても1週間程度では分からないところが多いと思うが、告知の意味もあるので、実際のメニュー構成や以前話し合った組み合わせについてはやりながら考えるしかない。
しかし、そういうことを意識できる舞台ができたことは大きな進歩だ。その上でどういう物語が展開できるかは私たちにかかっている。そういう意識で解除後の仕事でマイナス分をきちんと補填していこうと改めて心に誓った。