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第六三話 侵食する恐怖と絶望

「このクソポンコツが……ッ!!」


「うおおおおっ!」

 私はチャンスと見て、全身に銀色の電流を迸らせ、一気に前へ出た……パフアダーは明らかにダメージを隠しきれていない。

 拳を腰だめに構え間合いを詰める……ヒーローになってからずっと血反吐を吐くような想いで訓練し続けた戦い方。

 バゴオオッ! と凄まじい音が響く。私は全力のアッパーカットをパフアダーの顎に叩き込んだ。拳を振り抜くときのイメージは「後方の空間を打ち抜くように」。エスパーダ所長に教わった通りの動きだった。

 強化されたはずのパフアダーの肉体が、一撃で持ち上がるほどの威力。私の拳が彼の顎を跳ね上げた……だが、その瞬間、脇腹にチクリとした違和感が走る。

「クヒハァツ!」


「……な、ん……?」

違和感の正体を確かめようと視線を向ける。そこには、カウンター気味に脇腹へ突き刺さった注射器。パフアダーのグローブに仕込まれた器具の一つだった。

 緑色の液体があっという間に私へと注入されていく……今まで自らに突き刺したりしか見ていなかったので、そういうふうに使うんだと思い込まされていたが、本来の使い方は相手に毒物を注入するための器具である。

 慌てて片手でその注射器を引き抜くが、次の瞬間ぐらりと視界が歪む……まだ注射器には結構な量の液体が残っていたと思ったが、それでも血管内に入り込んだ毒物が私の肉体へと影響を与えているのだ。

 まずい……痛みはないが何かがおかしい……視界がグラグラと揺れ動き、ぼやけてうまく視点が合わなくなっている。

「く……毒? いやこれは……痛みもないのに……」


「クヒハア……クソが……痛えんだよ……今お前に注入したのは、ただの毒じゃねえ」


「……何? 普通のじゃない?」


「ああ、一般人で実験しながら特別に調合したスペシャルさ」

 顎をさすりながらパフアダーはニヤリと笑う……結構いい一撃が入ったと思ったんだが、肉体の強化で回復能力も格段に上がっているのかもしれない。

 だが……心臓がドクン! と跳ね上がった感覚が私を包み込むと同時に、突然視界の端々に空間を切り取ったモザイク模様のような柄が浮かび上がっていく。

 なんだこれ……と私が顔を上げると、パフアダーの姿がみるみるうちに変わっていく……突然彼の左目がボコン! と音を立ててこぼれ落ちた。

 は? と私が呆気に取られてポカンと口を開けていると、パフアダーはまるで死体がそのまま動いているかのように、体の色が生気のない土気色へと変化していく。

「さあ、お前には俺がどう見えてる?」


「……うあ……」


「グヒヒャハハハッ! 前にテストした時はとんでもない怪物に見えたらしいがなぁ……お前は俺がどんな姿に見える?」

 パフアダーのグズグズに崩れた皮膚の間から蛆虫が湧き出てくる……凄まじい臭気と嫌悪感、そして抑えきれない恐怖に私は目を見開く。

 いや、正確には無理矢理に恐怖を掻き立てられている……毒物のせいなのか、それとも今見ている本物としか思えない全ての異常に理解が追いつかずに私の心臓がバクバクと凄まじい音を立てている。

 現実にはあり得ない、生きている死体リビングデッドが動くなんて安っぽい映画にしか出てこない話でしかないからだ。

 だが……私を見て腐って濁り切った右目がギョロリと動く……緑色の液体がボロボロとこぼれ、そこにたかる蠅のような虫がブンブンと嫌な羽音を立てて飛び回る。

「ああ……ッ! うげええええっ!!」


「いいぞ……その顔は確実に効果が生まれている……」

 パフアダーの声は恐怖を掻き立てるかのように、地獄の底から響くような声を響かせる……その声を聞くたびに視界は歪み、心臓は早鐘のように凄まじい音を立てる。

 これが毒物による影響だというのはわかっている……だが、心で理解していても体がうまくいう事を聞こうとしない。

 鼻をつく腐臭に吐き気が込み上げ、膝をついた私は耐えきれず嘔吐する。しかし、吐き出したものは、緑色に輝く不気味な液体にしか見えなかった。震える手で口を押さえ、必死に這いずりながら逃げ出そうとする。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……目に入る全てが恐怖の対象と化している、先ほど端っこの方で声を上げたのは猫? いや違う、小さな体には不釣り合すぎる巨大な瞳をもったトカゲではなかっただろうか?

 それが不気味な声で鳴いていた? 遠くから聞こえる人の喧騒はまるで不協和音を上げる悲鳴のようにしか聞こえない。

「ああ……いや……いやぁ……ッ!!」


「クヒハハハッ! こうなるとヒーローっても単なる女だな……」

 ゴキゴキと首を鳴らして私を見ているパフアダーの姿がまた一段とおぞましいものへと変化していく…角が生え巨大な蝙蝠の翼を持った悪魔のような姿へと変化していく。

 凄まじい恐怖が私の心を鷲掴みにし、足が震え腕には力が入らなくなっていく……恐怖に目を見開き、口を両手で押さえて必死に悲鳴を堪える。

 涙が溢れる……こんなに怖い思いをしたのは今までにない、どれだけ強いヴィランと対峙してもどれだけ恐ろしい形相の相手に凄まれても私は恐怖を感じて引き下がったことはほとんどないはずだ。

「いやああっ! 誰か……助けて……ッ!」


「おうおう、涎まで垂らして……ひでえ姿だぜ……!」

 ズドンッ! と腹部に悪魔と化したパフアダーのねじくれた足が叩きつけられ、私は思わず悶絶する……感覚が異常なほど鋭敏化しているのか普段なら普通に耐えられる攻撃すらも全身を貫くような凄まじい痛みとして感じてしまい、私は思わず声にならない悲鳴をあげる。

 どうして……あれだけ鍛えたはずの腹筋がまるでなくなったかのように、内臓に響くその攻撃は臓器を無理矢理ひっくり返すような凄まじい激痛をもたらす。

 痛みはすぐに背筋を抜け、全身に響くような激痛となって広がりその痛みがさらに自らの恐怖を倍増させていく。

 腹部を両手で押さえてゴロゴロと転がるとと、その自らの手だったはずの手のひらがボロボロと腐り落ち、崩れて剥き出しの骨と化していく凄まじい光景になんとかそれを振り払おうと必死に手をブンブンと振り回してしまう。

「こないで……ッ! いやああああああッ! 私の手が……ッ!」


「クヒヒャハハハハッ! こいつ泣き喚いてるぜ……ッ! これをあのスパークにもぶち込めば殺せるってもんよ」

 悪魔の姿から再び変化し、炎を纏う巨大な怪人へとパフアダーは変化していく……その大きさはまるでデフォルメされたカートゥーン映像のように不恰好なものだが、彼の声が響くたびに鼓膜が破れそうなくらいの痛みを発する。

 両耳を必死に押さえた私はすすり泣きながらイヤイヤをするように頭を左右に振る……こんな怖いのだったらヒーローなんかやめてしまいたい。

 今すぐ辞めれば命だけは助かるのだろうか? いや……そうしたところで、復讐の鬼と化しているパフアダーに何をされるかわからない。

 恐怖と混乱と、そしてあまりに感じる惨めさに私は涙を流しながらその場で頭を抱えていた……ずしん、と私の頭に熱く焼け焦げるような痛みを伴うパフアダーの足が乗せられる。

 髪の毛は炎によって焼けこげ、嫌な匂いを発する……激痛に悶える私がなんとか悲鳴をこらえてうずくまっているとあたりに声が響く。


「立ち上がれ、シルバーライトニング! 僕が鍛えた君は、そんな弱いヒーローじゃないッ!!!!」

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