「なあ、そろそろ降伏してくれないかねえ……」
「断る……!」
ゼエゼエと荒い息を吐きながら身構える青い髪をした美女……ヴィラン霧の女王こと「フォスキーア」は、かつて無いほどに追い詰められていた。
目の前に立つ少しくたびれた印象を持つ中年男性……恐ろしく鍛え込まれた肉体と、衣服についたいくつもの南京錠、そして困ったように自分を見る瞳。
ヒーロー「ジ・ロック」は懐から電子タバコを取り出すと軽くそれを蒸し、ふうっと紫煙を吐き出す……安物の電子タバコ特有の強い匂いが漂うのを感じて、フォスキーアはぎりりと奥歯を噛み締めた。
冴えない中年男性という印象のあるジ・ロックだが、その実凄まじい能力を持って彼女を追い詰めていた。
「そうは言ってもさぁ……今の様子だけ見たら女性を襲う怪しいおっさんにしか見えないんだよ、これ」
「事実じゃないの?」
「いやいや、そんなことはないよ、だって君ヴィランじゃん」
飄々とした表情を崩さないジ・ロックの態度に苛立ちを感じる……フォスキーアはその能力がスキルに完全に依存している特化型のヴィランと呼んでも良い。
身体能力はそれほど高くなく、むしろ仲間としてよく行動を共にしているヴィラン「ファータ」の方が身体能力的には優れていたりもする。
だが、その分彼女はスキルの特性を完全に理解し、その深淵により深く近付いた存在としてヴィランの王である「ネゲイション」の側に仕えていた。
ジ・ロックは先ほどまでフォスキーアが握っていたはずの軍用ナイフが空中に固定されたまま浮いている……ジ・ロックは何気なくそれに触れると、固定が解除されナイフが彼の手に収まる。
「こんな危ないもの持って……こういうの捕まっちゃうよ?」
「……アンタの首筋に突き刺してやるわよ!」
「おお、怖い怖い……だけど見たろ? 俺のスキルならこれは無力化できる」
先ほど霧に姿を変化させながらジ・ロックとの間合いを潰したフォスキーアだったが、彼女が手に持ったナイフは突然空中に固定されたように動かなくなり、泣く泣く手放す羽目になった。
それが目の前にいる中年ヒーローが使ったスキルの効果だと理解するまでに時間はかからなかった……ジ・ロックのスキル効果は固定すること。
人間相手であれば捕縛の縄などを使わずに無理やりその場に固定して見せるし、武器なども重力を無視したかのように空間に固定できる。
彼が一度電子タバコを空中に固定して見せたのを思い出せば、フォスキーアが持つ軍用ナイフを簡単に取り上げることなど造作もないことだったのだ。
唯一と言っても良いがフォスキーアの持つ霧化の効果だけはその固定能力を無効化し、今まで彼女は捕まることを避け続けていた。
「相性が悪いのか良いのか……俺のスキルを無効化するヴィランなんざ、初めてだよ」
「……ならアンタを殺すのも私が初めてになるわ」
「なあ、どうしてそんなに世の中を憎むんだ?」
憎しみに満ちたフォスキーアの瞳を見て、ジ・ロックは不思議そうにそう尋ねる……なぜヴィランが生み出されるのか? という疑問は世の中のすべてのヒーローが考えることである。
スキルを持って生まれたすべての人間が、ヒーローになるわけではない、というのが世の常だ……強力な催眠能力を持って生まれたヒーロー「ヒプノダンサー」のように、ヒーローとして活動しながらもその実態はヴィランと変わらないレベルの性格ものも存在しているのが現実である。
フォスキーアはその特異な髪の色や、生い立ちによりヴィランへと身を窶すことになった一人である……そんな境遇から救い出してくれたのがネゲイションだけだったというだけだ。
「私は彼の方を真の王にするために生きている……」
「彼の方……ネゲイションってやつか」
「私はヒーローを許さない、世界の人々を許す気はない……もちろんお前もだ!」
フォスキーアはそう叫ぶと、自らを霧状に変化させる……ジ・ロックはそれを見てまずいと直感的に判断して大きく飛び退る。
元の姿に戻ったフォスキーアには固定能力が通用しているのだが、霧状になった彼女に固定能力が効果を表さない……これには「ジ・ロック」というスキルの特性に影響を受けている。
スキルの効果を生み出すには視界内に入った生物、無生物問わず物体に限られている……銃弾なども視界に入れば固定が可能だが、彼が認識できない速度で飛来する物体は固定できない。
コップやバケツに入った水などは固定が可能だが、川や海にある莫大な水量を止めるにはスキルの効果は限定されている。
今目の前でフォスキーアが見せた霧化という能力は、彼の視界内においては影響範囲が広すぎるため、スキルが強制解除されてしまっているのだ。
「まずい……お、おい……話し合おうじゃないか!」
「うるさいうるさいうるさいッ!」
まるでその空間を侵食する波のように時折青く光るモヤのように霧と化したフォスキーアが視界を埋め尽くすように迫り来る。
身体能力はさほどではないのに、先ほどからジ・ロックが攻めあぐねていたのは、フォスキーアが美しい女性であったことと、この霧化の能力をどう封じればいいのかわからなかったためだ。
急いでその場から飛び退る……霧となったフォスキーアがもし体内で実体化したらどうなるか? 鍛え込まれた肉体は外部からの攻撃などには強いが、体の内面を鍛え上げる術など人間には存在しない。
フォスキーアの肉体もそれ相応のダメージを受けるだろうが、ジ・ロックは内側から侵食、破壊され絶命するのがオチだろう。
「お、怒らせちまったか……どうする?」
ジ・ロックはじわじわと迫る霧を前にして、周囲に何かないか周りを見回す……ふと視界の端に青い大型のゴミ箱が見えたことで、彼は急いでそちらへと走り出す。
霧化したフォスキーアをひとまとめにしなければ固定できない……何かに閉じ込めてしまえば、彼の能力はそれを物体として認識するに違いないのだ。
ゴミ箱の蓋を開けるとそこにはオフィスなどででた裁断された紙の束が詰め込まれており、彼はそれを中から引っ張り出して辺りへと撒き散らすと、ゴミ箱を片手に走り出す。
広がったままの霧では無理やり閉じ込められない……部屋の扉を開けて通路を背にしたジ・ロックは両手を広げてフォスキーアを挑発する。
「おい、ネゲイションってやつ……仮面の下は何考えてるのかわからないむっつり助平だって話だぞ」
「……何を……」
「知らないのか? お前の尻見て仮面の下でニヤニヤ笑っ……」
「ふざけるなああああッ!」
霧は巨大な渦巻く蛇のようにうねると、一直線にジ・ロックへと迫る……フォスキーアはネゲイションを妄信しすぎている故に、彼への不敬な発言を許せない。
目の前でニヤニヤと笑う不遜なヒーローを体の内側から破壊してやる……その激情が彼女を漂う霧ではなく、巨大な蛇のようにまとまった姿で突進させた。
だが、ジ・ロックはそんな彼女を受け止めるかのように背後においていたゴミ箱をヒョイ、と取り出すと半霧化の状態で飛び込んできたフォスキーアを受け止める。
ガボオオッ! という音と共に彼女を構成する霧の大半がゴミ箱の中へと突っ込むのを見て、中年ヒーローは無慈悲にスキルを行使する。
物体内にある水や空気は、彼のスキルからすると同じ物体として認識される……頭に血が上ったフォスキーアはそれに気がつくまでにほんの少しだけ時間がかかった。
ゴミ箱とフォスキーアだった霧が固定されると、ジ・ロックは脇に置いていた蓋を閉めながら必死に動こうと蠢く霧を見ながら話しかけた。
「君、危ないから少しここにいなさい? 反省したら出してあげるからいい子にしているんだよ」