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第17話

「あなたは今、相手はローズマリーだと言いましたが……俺は、罪人の朝食と言っただけで、ローズマリーの朝食にゴミが入っていたとは言っていません。あなたは罪人全員分の食事を作っているはずだ。なぜこの食事がローズマリーのものだと分かったんです?」

 キナーが青ざめる。

「そっ……それは……料理長がさっきそう言って……」

「言ってませんよ。ジーモンさんもひとことも。ねぇ? ジーモンさん」

 アベルがジーモンに目を向ける。アベルと目が合うと、ジーモンは目を伏せて頷いた。

「……はい。私もだれの食事かまでは知らなかったから……」

 そこでようやく、ジーモンがキナーへ厳しい目を向けた。

「……キナー、どういうことだ? おまえまさか、わざと料理に異物を入れたのか?」

「…………」

 なにも答えないキナーに、ジーモンが苛立ちを含めた声で訊ねる。

「おまえ、料理人だろう? 料理が好きだと、だれかにじぶんの料理を食べてもらえるのが嬉しいと言っていたじゃないか! それなのに……」

 キナーはしばらく黙り込むと、諦めたように話し始めた。

「……たしかに、僕は料理が好きです。幼い頃から料理人になるのが夢で、家族もずっと応援してくれていました。宮廷に勤められると分かったときは、どれだけ嬉しかったか……」

「ならどうして!」

「だけど! だけど、どれだけ頑張っても、毎日雑用ばっかじゃないですか! 王子さまや騎士さまたちへの料理はまだぜんぜん作らせてもらえないし、やっと料理を任せてもらえると思ったら、罪人の食事担当? 冗談じゃない! 僕は、罪人に美味い飯を食わせるために料理人になったわけじゃない!」

 キナーが不満を思い切り叫ぶ。キナーの不満を聞きながら、ジーモンは呆れたようにこめかみを押さえていた。

 無理もない。

 キナーの本音は、あまりに勝手過ぎる。

 キナーはとどのつまり、じぶんの待遇への不満を罪人であるローズマリーに押し付けたということだ。じぶんへの待遇の不満を、他人を攻撃することでぶちまけるなど、迷惑以外の何者でもない。

 しかし、である。

 ほかの罪人の食事に、ローズマリーへの食事のような異物は混ざっていなかった。

 つまりキナーは、ローズマリーだけをターゲットにしていたということだ。それについても理由があるはずである。

 アベルがそう考えたとき、すぐ近くでバチン、と破裂音のような音が聞こえた。アベルがハッとして顔を上げると、キナーが頬を押さえて呆然としていた。ジーモンがキナーの顔を、思い切り平手打ちしたのである。

「キナー! おまえはなんてバカなことを! わざと料理をまずくするなんて、おまえは料理人失格だ! いや、その前に人間としても失格だ!」

 ジーモンに叱咤され、キナーも負けじと言い返す。

「うるさいうるさい! あんな悪人は、ゴミでも食ってりゃいいだろう!」

「なんだって!? おまえはまだそんなことを言うのか」

 ジーモンがキナーの胸ぐらを掴む。それでもキナーは怯まず続けた。

「だって! だってあいつは……ローズマリーは、僕の家族を殺したんですよ……!」

 その瞬間、ジーモンがハッとした顔をして、キナーの胸ぐらから手を離した。

「……そういえば、君のご両親と妹さんは、あの流行病で亡くなったのだったか……」

 キナーは乱れた衣服の裾を、両手でパンパンと乱雑に払いながら、睨むようにジーモンを見上げた。

「えぇ、そうですよ。僕の家族は全員、昨年流行病にかかって死にました。幸い僕は、病が流行った当時既に宮廷に住み込みで働いていたから助かりましたけど」

 つまりキナーの本当の動機は、家族の仇討ちだったのだ。

 キナーがアベルをキッと睨む。

「ある日突然家族全員の訃報が届いた人間の気持ちが、アベルさまに分かりますか? それだけじゃない。僕は、家族を殺した病を広めた女に、毎日せっせと食事を運んでいたんですよ。それを知ったときはどれだけ悔しかったか……。本当は、ゴミじゃなくて毒を盛ってやりたかった……!」

 キナーが悔しそうに歯を噛み締める。黙り込むアベルに、キナーが問いかける。

「アベルさま。僕はなにか、間違っていますかね?」

 アベルは目を伏せた。

 キナーのしたことは、明らかに間違っている。だが、彼の気持ちも分かるからこそ、彼を納得させられる言葉はとても見つかりそうになかった。

 ……だが。

 アベルは目を伏せた。

「……少なくとも、料理人としては間違っている」

 アベルはそう思った。

 思ったままを伝えると、キナーは、アベルを見て鼻で笑った。

「料理人ねぇ。俺は果たして料理人なんでしょうか」

「……どういう意味だ?」

「そもそも宮廷の料理人が罪人の食事を作っていること自体、おかしいだろ。僕は罪人の食事を作るために宮廷へ入職したんじゃない!」

 これにはさすがに、アベルも黙っていられなかった。

「だったら辞めたらどうだ? 街で好きに店でも開けばいい」

 ほとんど、売り言葉に買い言葉のようなものだった。アベルのセリフに、今度はキナーの目の色が変わる。

「街で店? アンタはバカか。無理に決まってるだろーが! 知らないなら教えてやるけど、王都で朝から晩まで働いたとしても、料理人の給料なんてたかが知れてるんだよ。なんの後ろ盾もない一市民が店を出すなんて、夢のまた夢だ。……アンタはいいよな。王子サマのご機嫌を取って、同僚とチャンバラをしていれば大金が入ってくるんだからさぁ!」

 さすがのアベルも、なにも言えずに黙り込んだ。

「お、おい、もうやめないかキナー! アベルさま、申し訳ありません、うちの下っ端が……。おいキナー! アベルさまはロドルフ第一王子の秘書官なんだぞ!」

 ジーモンの制止を、アベルは静かに遮る。

「大丈夫です、ジーモンさん」

「アベルさま……」

「キナー・オレヴィン。おまえの言い分は分かった」

 アベルはまっすぐにキナーを見下ろして告げる。

「おい、キナー。とにかく謝れ! でないと……」

 ジーモンが慌ててキナーを諭すが、キナーは吐き捨てるように言った。

「べつにいいですよ、もうどーだって」

「アベルさま、どうかここは冷静に……」

 ジーモンが懇願するようにアベルを見る。しかし、もう遅かった。アベルは既に決断していた。

「キナー・オレヴィン。貴様は、本日付で解雇する」

 アベルは冷ややかに言い捨てると、踵を返す。背後ではキナーがなにか暴言を吐いていたが、アベルは気にせず厨房を出た。

 アベルは歩きながら、いらいらを吐き出すように深呼吸を繰り返す。

 ――貧困、飢餓、病、紛争……。

 いつだって、犠牲になるのは国ではなく一般市民。

 そんなこと、言われなくたって分かっている。

 だからこそ、平和な、豊かな国を作ろうと必死にやっているのだ。寝食も惜しまずに。

 それだというのに、現状の不満ばかりぶつけられても困る。

『――王子サマのご機嫌を取って、同僚とチャンバラをしていれば金が入ってくるんだからさ』

 キナーの言葉は、まるで毒のようにじわじわとアベルの心を侵食していた。

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