オレはただ、そこに在った。
父親は議員らしい、それでも不貞の先に生まれた子供だったから、存在を認められることはなかった。
だから、ただ在った。
在って、在り続けて……やがて母を二人殺すことで、価値と存在がようやく裏社会に認められた。
「悠」
「……あぁ、アンタか。どうした? また殺しの依頼か?」
呼ばれた声に視線を上げれば、オレが唯一
「殺し、になるかはわからんが。次は娘をな」
「まったく、アンタもよくやる。オレにとって腹は違えど妹になるんだろう? そんな相手をよく手にかけろなんて言えるもんだ」
まぁ、妹に腹違いの兄がいるなんて知らされちゃあいないだろうから、問題はないのかもしれないが。
「仕方ないだろう。ヤツの社会的な認知度や影響力は最早わしを超えているし、そろそろ動きも目に余る。言って聞けないなら手を出すしかあるまい。アイツと同じように」
「それこそよく言うというものだ。アンタにとっちゃ最後の良心、ブレーキだったろうになぁ」
妹に手を出す事へ躊躇いはない。
むしろ、こんな父親をもってお互い苦労するなと慈悲をもって殺し、救ってやりたいくらいだ。
「それほど、今の議員という立場が大事か?」
「当たり前だ。何、これで鳴が世間から確実に姿を消せば、一つのドラマとなるだろう? 不運に見舞われた娘の思いを背負って前へと進む議員。素晴らしいじゃないか」
本意は別にあるだろうに、安っぽい三流悪役はこれだから困る。
「正直に言え、向田組につつかれているんだろう?」
「……ち」
舌打ちとはこれまた実にらしい。
「大方、出雲鳴の影響力が父を超えそうになっている現状故に、アンタの存在価値に陰りが差していることを挙げられたんだろう? それくらいわからないオレじゃあない」
「ならば、やってくれるな?」
この男に対しての感情は無の一言だ。
ただ、非常に残念なことに、向田組という組織の中ではコイツの命令には従わなければならない。
あるいはここでわざと失敗でもして、コイツの向田組での立場を揺るがすなんてのも面白いのかもしれない。
オレにとって目の上のたんこぶであることに違いはないのだし、そろそろオレも自由に動きたいしな。
「……まぁ、いいだろう。殺すか否かの判断は、いつも通りオレが決めるぞ」
「表に二度と出なくなるのであればどうしようが構わん。だが……」
うん? 珍しく奥歯に何か挟まったかのような顔をしているじゃないか。
何か懸念でもあるのだろうか。
「影狼という稀人を、知っているか」
「かげろう?」
さて、聞いたことはないが。
「あのタカミが凄腕だと認める稀人だ。そんな稀人のところへと、鳴は通っているようでな」
「ほう……?」
凄腕ねぇ。
そう聞いて怯え腰になるオレではないが、コイツの様子を見るに相当なのだろう。
長野仁がでかくなるまでの時間潰しには都合がいい。
「場所は」
「ディア・パピーズとかいうドッグカフェだ」
……ディア・パピーズ?
それは確か長野仁の店だったはずだが。
「なるほどな」
「ん? 何がだ?」
「いや、合縁奇縁とはまさしくだと思ってな」
タカミの手腕だろう、恐れ入るとはこのことだ。
ここまで道筋をつなぎ合わせたヤツに甘えることにしよう。
だが、そうなると少し話は変わってくる。
「期限は?」
「特に具体的な日は設定しておらん。可能であれば早めに、程度だ」
「わかった。だが、影狼のことも気になる。調査含めて時間をもらうぞ」
「……仕方ない、か。納得しておくが、くれぐれも、頼んだぞ」
これは使える。
長野素子の件がそうだが、ヤツは身内を害されることで力を目指すきっかけとした。
今のヤツは身内を守らんとする意思が高まっている。どれほどのものかを確認するには丁度いい。
「どこへ行く?」
「早めに、なんだろう?」
まずは視察、だな。
事前の情報では今この時間に長野仁は店に居ない。
黒雨会との交渉とやらがどれほど時間がかかるものなのかは想像がつかないが、すぐに戻ってくるわけでもないだろう。
「……流石に、やる」
店を出た長野仁を見送ったが、違和感でも覚えたかオレが身を潜めていた場所へと一つ鋭い視線を向けられた。
犬などを筆頭とした鼻が効く稀人なぞ多く見てきたが、ヤツほど鋭敏な嗅覚を持っているものはいなかったよ。
「まぁ、今はいい」
今すべきことは事前調査だ。
店に残された出雲鳴の様子を伺い、可能ならば。
「いけるか」
誘拐するなどという段階ではない、まずは直接言葉を交わし、ヤツにとってどれほど大事な存在かを確かめる必要がある。
お互いに面識はないし、能力を使う場面がくるわけでもないだろう翼を広げる必要もなく気取られる心配はない。
五反田で確認したヤツの影響下に置かれた犬たちの存在も確認できないし、長野仁と相原智美を見送って30分程度、頃合いといえば頃合いだ。
「すみません」
「――へっ? あ、はい、えぇと?」
はて? 店内に入れば何故か困惑顔に迎えられてしまった。
オレが言うのもなんだが、こういう時はまずいらっしゃいませではないのだろうか。
「こちらはドッグカフェで、良かったのですよね?」
「え、えぇそうだけど……って、やだ! お客さん!? し、失礼しました! いらっしゃいませ! か、カイル! カイルー!」
なんだその初めて客を迎えましたとでも言わんばかりの反応は。
いや、稀人が持つ店だ。繫盛はしていないだろうが、それでも閑古鳥が鳴くことはないだろうに。
「わふ?」
「お、お客さんよ! ほらカイル、ご挨拶!」
だが、まぁ。
「わんっ!」
綺麗にお座りをして、しっかりお辞儀をするカイルと呼ばれたドーベルマンは実に店員ならぬ、店犬らしい。
「はは、お出迎えありがとう。少し早いが昼食を摂りたいと思っていてね、大丈夫かな?」
「は、はい! す、すぐにご用意します! カイルと一緒に、少々お待ちください!」
随分慌ててキッチンスペースに出雲鳴は向かったが、手慣れてなさすぎるだろう大丈夫なのかこの店は。
「へっへっへっ」
「……なるほど、堂に入っている」
対照的にと言えば出雲鳴に失礼だろうが、こちらへどうぞと言わんばかりにオレを案内しようとするカイルには思わず感心してしまう。
よく訓練されている。
あるいは長野仁の影響下にあるのだろうか? そうだとすればあまり長居するのは危険だが。
「わふ」
「ん?」
イスに座ればカイルが太ももあたりに頭を乗せてきた。
撫でろ、ということだろうか? いや、確かにドッグカフェに来るような客ならばそうするのだろうが。
「……ふむ」
「ふきゅー……」
いや、ふむじゃないが?
悪くないなどと思っていないが?
くっ、なんだこの状況は。
ええい、食事はまだか! 出雲鳴はまだか!
「お、お待たせ、致しましたー」
救われたなんて思っていないが?
……止そう、何かがオレの心が壊れる音がした気がする。
さて、プレートに乗っているのは……。
「おむ、らいす? で、いいのか? これは」
「うぐっ……お、オムライス、です」
オレの知る限りチキンライスの上に乗るのはスクランブルエッグではないはずだが。
というか、なんだこれは、本当に卵なのか? 黄色というよりほぼ黒いぞ。
「申し訳、ありません。その、店長が作るものは、絶品なのです、けど」
つまるところこれは出雲鳴の手作りか。
こういう店は冷凍されていたものを温めて出すといったイメージではあるが。
「……なるほど、キサ――キミはもう少しその料理がうまい店長にレクチャーを受けるべきだな」
「は、恥ずかしい、限りです。も、申し訳ありません。お、お代は結構です、ので……」
試しに口へと運んでみれば、心なしか膝の上に居たカイルが正気を疑うかのような目を向けてきた気がするが。
「いや。美味しい不味いで言えばもちろん不味いが、そうだな。悪くはない」
「へっ?」
「ここはドッグカフェなんだろう? 利口な犬を愛でながら食事を摂るという目的の片方は満たしている。ならば、悪くない」
我ながら良いセリフを口に出来たものだ。
だが、何故だろうか。
「あ、ありがとうございます!」
「礼ならこのカイル、君に言うと良い」
「もちろんです! ありがとうね! カイル!」
「わんっ!」
本当に、悪くないと思っている自分がいる。
こじんまりとした店に、落ち着きのあるインテリアたち。
流れる音楽は少なくとも心を穏やかにさせるもので、教育というのか躾がなっていて可愛げのある犬がいる。
それだけ、だ。
こんな店などドッグカフェを名乗るなら最低条件とすら言っていいのに。
「ドッグカフェには初めて来たんだ。あまり詳しくなくてね、良かったら犬について色々教えてくれないか? 丁度……あぁ、そうだな、丁度飼いならしてみたいと思っている犬がいるもので」
「へっ? あ、もちろんです! いっぱいワンちゃんの魅力、お伝えしますね!」
なんて、何を考えているのか分からないままに言えば出雲鳴は表情を輝かせるものだから。
――あぁ、なるほど。
俺はどうやら、初めて妹と会話をすることに、喜びを覚えているらしい、と。
「どんなワンちゃんを考えているんですか?」
「そう、だな。やはり強く格好いい、狼のような犬がいいな」
良いのか悪いのか判断できないタイミングで、理解してしまったようだ。