「やーん! かいるぅっ! あんたってこんな声してたのねー! かっこいいよぅ!」
「ご、ご主人っ! ちょっと、くるし、い……うぐぐ」
カイル君と会話が可能になった鳴は感激のあまりか、カイル君に引っ付いて離れなくなってしまった。
「もう、みっともないったら御座いませんわね? 仁さん」
「見た目に関してはノーコメントだよ。けど、嬉しいと思ってくれたことが嬉しい俺がいるのも確かってもんだ」
カイル君や新選組といった犬と俺は感覚が共有できるようになった。
そう思っていたけれど、それは一部間違いだったみたいで。
「わたくしも、嬉しく思っておりますわよ?」
「智美に関しては血生臭いことに巻き込んでしまいかねないから複雑だな」
やけに鋭い、いや、鋭すぎるシャドーボクシングを披露してくれる智美に苦笑いが浮かぶ。
そう。要は認識の問題なんだな、なんて。
俺の感覚共有は、別に犬だけに限らなかったという話だ。
「あら? わたくしとしましては……仁さんの重みを感じられる。それこそが一番うれしく思っているのですが」
「近い近い。初音さんと会ってからどうしたんだよ智美は」
すっと距離を詰めてしなだれかかってくる智美だが、どうにも初音さんとやり取りしてからというもの、物理的に距離を一つか二つ詰めてくるようになった。
「こうして仁さんの力を感じられるようになったのは、考えたくはありませんがやはりあの薬のおかげなのでしょうね」
「否定する材料がないってのが困りものだな。結局、物理的にか感覚的にか人間を止める事ができるってのは事実みたいだ」
鳴は俺の能力を共有することで犬と会話ができるようになったことに対して、智美は犬と会話ができるようになったことに加えて、俺と同等に近い身体能力も得られている。
この辺りは智美自身が言ったように、人間をやめられる薬の影響だろう。
事実、黒雨会とロジータが共同で立ち上げる事となった製薬会社での研究や調査でもそういった結果がでた。
「まだ、結論としては早すぎると思いますが」
「薬によって得た能力を消す薬を作り出すって目標を考えればそうだろうけどな」
動くと決めて、実際に動いてみればかなりのスピードをもって歯車は回り始めた。
ありそうでなかった裏と表の協力関係とは想像以上のパワーを持っていたらしく、それに加えて鳴というより出雲の影響を強く受けていた医療関係機関の協力もあって、遠くないうちに治験まで至れるとかなんとか。
「ですが……やはり考えれば考えるほど、仁さんの目付け所は素晴らしいですわ」
「何の話だよ」
「いえ、健康診断の件ですわ。気づきたくなかった盲点ではありますが、共生会に通う稀人への健康診断を格安で実施する。サンプルの収集といった意味でも、わたくしとしては目から鱗が落ちる思いです」
やけにキラキラした視線はむず痒いったらないね。
自分ではすごい案だとも思ってなかったりするからなおさらだよ。
というか、中々に腹黒いこと言ってる自覚ある?
あるよね、ある上でそのあくどい笑顔だよね……頼もしいやら恐ろしいやら、なんとも言えないよ。
「こういっちゃなんだけど、自分が受けたかったとか、こういうのがあればなって思ってた願望を叶えようとしているだけだからなぁ。俺としては無茶を叶えてくれた智美と鳴が一番すごいと思ってるよ」
「う……だから仁さん? そういうところですわよ、もう」
どういうところかはもう気にしないことにして。
「それに、これからだ。予定されているというだけで、実際に社会へと働きかけるのはまだできていないし」
「仰る通りでは御座いますが……あまり心配する必要もないかと思いますわよ?」
そうかな?
形になり始めたといっても、まだ土台というか基礎も基礎だけだし。
俺としては期待と不安、どちらのほうが強いのか判断がつかない。
「もちろん一定の成果。素子さんの意識を取り戻すための薬となれば今しばしの時間を頂くことになるでしょうが、少なくともこういう動きがあると社会へ示す機会はそう遠くありませんし」
「……改めて聞くけど大丈夫か? いや、主に俺の胃が」
「うふふふふ」
「その笑い方はやめようか」
ロジータと黒雨会の合同製薬会社、メディレインの記者会見が近くに予定されている。
記者からの質問に答えるのは隠すまでもなく智美と初音さんだ。控えめに言っても怖いったらない。
「少なくとも確約できますのは、わたくしと日比谷様、どちらも仁さんを貶めるようなことはしないということですわね」
「頼むから喧嘩しないってところを約束してくれ? 俺を貶めるとかなんて一切考えてないから」
「あらいやですわ。好き、日比谷様ではなくわたくしと結婚してくださいませ」
「落ち着こうか、うん。落ち着こう?」
キス顔で迫ってくる智美はなんともまぁぶっ飛んでしまったものだ。
こうしてしまったのは疑いようもなく俺のせいだし、責任は取る所存だが……いや、結婚がどうのという話じゃないから落ち着こう、な? 智美さん?
「――ちょっとコラ智美?」
「あらあらまぁまぁ」
「そういう抜け駆けはダメって決めたわよね? ねぇ?」
「抜け駆けなんてとんでもありませんわ? いえ、鳴様はカイル君とお熱いようでしたので、ね?」
素子、もしかしたら俺、ここに素子を連れてこれないかもしんない。
そうだ、海辺に二人で住める家でも建てようか。大丈夫だ、俺結構お金持ちになったから、うん。
「……ん?」
目の前で繰り広げられ始めたキャットファイトから目をそらしていれば。
「二人とも」
「なんですの!?」「あによっ!?」
いつか聞いたことがあって、二人で決めた取り決めごとの音色が聞こえたから。
「ちょっと出てくる」
キャットファイトの観戦はやめて、お猫様に会いに行くとしようか。
「もう、傷の具合は良いのか?」
「こんにゃあちきにゃしが、やっぱり人間よりは回復力があるにゃ」
鈴の音に導かれた先、昼間なのに太陽の光が全然入って来ない裏路地には想像通りで予想通りの相手がいた。
改まってこういう形で呼び出されるとなんとなく構えてしまうが、相原さん家の真紀奈ちゃんは俺に一体何のようだろうか。
「仁」
「うん」
なんて、思っていると。
「ちょっ!? 真紀奈!?」
すっと膝をついて、俺に向かって頭を下げてきた。
「あちき、猫塚真紀奈は。仁のことをボスと呼びたいにゃ」
「ボス、って……」
いや、ほんとに急展開過ぎて意味が分からない。一体真紀奈に何があったというか、真紀奈は何を考えているんだと。
「と、とにかく頭を上げてくれよ」
「ダメにゃ。返事が、先にゃしよ」
頑として動かない真紀奈をどうしたものか。
すこぶる気分はよろしくないが、このまま話をするしかなさそうだ。
「……理由を、教えてくれ。真紀奈のボスは先生だったはずだし、先生はそれこそ俺よりボスに相応しい人だろう? だって言うのに何でこんなことしてるんだ?」
「仁は、自分を過小評価しすぎにゃしよ。別にあちきはそう裏社会で顔が広いわけじゃにゃいにゃしが、器の大きさで言えば仁は相当なモノをもってるにゃ」
自覚は、ない。
先生が裏社会の中でも上澄みに在る存在だってくらいはわかるけど。
そんな相手を差し置いて俺を選ぶ理由にはならないだろう。
となると。
「智美のこと、か」
「珍しくとは言わにゃいけれど、察しが悪いにゃしね。それ以外に、にゃい」
こと、相原智美に関してのことは俺が先生を上回ったという判断をしたと。
聞く限りにおいては、真紀奈は智美が全ての行動原理だ。素子が俺にとってそうだったように。
「そう、だよな。うん、わかるとまでは言わないけれど」
あるいは、わかったかも知れないこと。
少し前まで、素子が全てだった俺ならわかると断言できたのかもしれないが。
あぁ、そうか。
「だから、か」
「にゃし」
智美が傍にいるようになったことはもちろんだろうけど、それ以上に現状の打破を叶えるために真紀奈は自分を売り込みに来たんだ。
俺の下につくことで、見る景色が変わることで、何かが変えられるかも知れないと期待して。
「期待じゃ、にゃい」
「……ん」
訂正しよう、委ねたんだ。
まったく、こういうところまで飼い主に似なくてもと思わずにはいられないな。
「俺が打ち明けろと言えば、打ち明けると」
下がっていた頭が持ち上がって、縦割れの瞳が俺に真っ直ぐ向けられた。
目の色が言っている、その通りにすると。そしてその結果に不服も言わないと。
どうした、ものかな。
「真紀奈。こうして直接言いに来たんだ、俺も、鳴も……相原智美も。言葉が正しいのか分からないけど、乗り越えつつあるってのは分かってると思う」
「もちろんにゃ。だからこそ、こうして来たにゃ」
多分、きっと。
「乗り越えつつあるから繋がれた。そして今、真紀奈も乗り越えようとしている。そんな相手の手を払おうなんて考えは俺に無いよ」
「にゃら――」
「けど、さ。背中を押されても、手を引かれても。足を踏み出すのは自分でなきゃならないと思うんだ」
「……うにゃ」
困り顔の真紀奈には申し訳ないけれど、そう思う。
「だから、うん。ボスってのは受け入れない。けれど、真紀奈を受け入れたいとは思う。今までよりも少しだけ智美の近くで存在を感じてから、考えてみないか?」
「考える、にゃしか?」
「あぁ。真紀奈と智美、今まで通りの関係が良いのか、それとも新たな縁を紡ぎ築くのかを」
どうなっても、どういう形になっても後悔しないように手伝うことまではする。
それ以上の事はできないし、やってはいけないことだろう。
「仁は、厳しいにゃしね。タカミ、より」
「そうかな? そうかも。俺の未熟が故だよ」
先生ならどうするか。
あまり想像は出来ないけれど、ふんわりと導いてくれるんだろうなんて考えはある。
「ん……わかったにゃ。でも、もうあのマレビトムラからは出てきちゃったにゃ」
「思い切り良すぎだな? まぁ、そうだな。俺が素子と暮らしていたマンションがまだそのままだから。しばらく使ってくれていいよ」
「助かる、にゃしが……良いにゃ?」
「真紀奈ならな」
真紀奈は少し前までの俺だから。
「ありがとう、にゃ」
「どういたしまして。とりあえず、しばらく俺の仕事を手伝ってくれるってことでいいか?」
「ん。任せるにゃしよ」
「わかった。じゃ、追って連絡するから、これからよろしくな」
立ち上がって、小さく頭を下げた真紀奈と握手をして、小さな背中を見送って。
「……悪い子だな、智美。感覚共有は、そういう使い方をするもんじゃないぞ」
暗い空へと、注意申し上げた。