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そして此方より

 結局のところ、同じではないことが遠ざけられる理由になるのだろう。

 肌の色が違っても、目の色が違っても、同じ機能を有していて似たような形をしていれば受け入れられる。

 あるいは受け入れようと努力をしてくれると言った方が良いのかも知れないが、それは良い。


「くー……くー……」

「まぁたこの人は……」


 かつての俺はそう思っていた、そう諦めていた。

 いや、あるいは今も、ほんの少し気を緩めたらそれでもいいじゃないかなんて考えが頭を過る。


「素子。素子、朝だぞ? 今日はリハビリ、朝からだろう? いい加減起きないと時間が危ないぞ」

「ん、んぅ……あと、さんじかん……」


 五時間から三時間に減ったのは成長の証なのだろうか。

 意識を取り戻すまで時間がかかったのは、実は寝坊助極まるだらしない性分のせいだったのかも知れないなんて思いたくないぞ。


 まぁ、ともあれ。


「素子のおねだりが聞けるようになってとても嬉しい。だから病院の先生にはそのまま伝えることにするよ」

「……仁。あんたほんといけずになったわね」


 相手を自分から受け入れようとすること。

 赤の他人だろうが、大事な人だろうが関係ない。

 そうすることこそが、全ての始まりその第一歩になるんだということはしっかり理解できたから。


「知らないよ。むしろいけず言えるようになったことさえも嬉しいから、無敵だぞ? 俺は」

「うぎぎ……大事な弟が、立派な男になって辛い件」

「お褒めの言葉どーも。ほら、頑張れ。ご褒美はふかふか尻尾かふわふわパンケーキ、どっちがいい?」

「……どっちも」


 理解した後で、改めて素子を想えば。やっぱり最愛のだらしない姉だった。




『――稀人の社会進出を訴える活動で有名な出雲鳴さんが、出雲大作議員と同選挙区での出馬を正式に表明。この件について父である出雲大作議員は沈黙していますが――』

『黙る他ないと言ったところでしょうね、実際に活動を積極的に行っていたのは出雲鳴さんでしたから。我々はもちろん稀人から見ても、どちらを選ぶかは明らかですから』


 素子の乗る車いすを押して歩いていれば、商店街に置かれているテレビからそんなニュースが聞こえた。


「ねぇ、仁?」

「うん?」

「未だにちょっと信じられないんだけど。あの出雲さんも、協力? してくれたんだよね? お礼、いつになったら言えそうかな? 忙しそうだけど」

「あぁ、そうだなぁ」


 ――ちょっとこの人、わたしが預かるわ。


 素子にかけられた能力を解いた雨宮を、もの凄くいい顔しながら引っ張っていった鳴を見送って早二週間が経ったか。

 たまにメールで、助手の仕事が出来なくてごめん。なんてメッセージが飛んできたりするけれど、忙しい日々を送っているらしい。


「まぁ、そんな遠い日にはならないと思うぞ」

「そう? だったら、いいんだけど」

「それよりさっさと歩けるようになって自分から行った方が早いとも思うけどな」

「せ、誠心誠意努力する所存でございます……はい」


 無茶を言っている自覚はあるけれど、一旦裏家業はお休みできるくらいには落ち着いた。

 おざなりとは言わないが、できなかったこと、やりたかったことへと邁進するタイミングではあるのだろう。


 まぁ、口にした通りそれほど遠い日にはならない。


「らしくないな、素子。アンタの口から努力なんて言葉を聞くことになるとは思わなかったよ」

「……いや、うん。私が悪かったからさ? いやほんとに無茶してごめんなさいするからそろそろ優しさを下さいお願いします」

「これも優しさだって」

「わかってるけどさ!? もうちょっと、ねぇ?」


 当たり前ながら素子が記憶を取り戻して、素子が素子として意識を覚醒させてからのしばらくは大変だった。

 寝ぼけまなこで立ち上がろうとした瞬間に床へとダイブした素子の姿は色々な意味で一生忘れられないだろう。


 混乱はどうしてもしてしまう。

 それでもゆっくりと、眠っている間に起きたことを説明して、今がどういう状況なのかを素子は受け入れてくれた。


「ほんとに嫌味や嫌がらせをしてるつもりはないって」

「うー……ほんとかよぉ、じんー……」


 振り向き見上げてくる素子の顔がいじけているようでどことなく不安そうなのも、まだまだ変わらない。


 わかるよ。

 自分のせいで俺を裏社会に踏み入れさせてしまったとか、そんな自責の念で苦しい思いをしてるくらい。

 ちょっとおちゃらけてないと、本当に潰れてしまいそうなんだよな? そう思ってくれてることを嬉しいなんて思っちゃう俺も大概ダメなやつなんだろうが。


「ほんとだって。後悔とか、全然してないよ」

「……そっか」


 実のところ、変わったようで何も変わらなかったというのもある。

 あえて言うのなら素子が正真正銘無職のプー太郎になったくらいってなもんだ。

 改めて自分の口座を見てみれば中々に見た事のない額が入金されてたし、経済的な心配は欠片もない。


「ま。だらしない姉がこのまま一生プー太郎になりやしないかって心配はしてるけどな」

「あ!? あーっ!? まだろくに歩けない姉に向かってそんなこと言うっ!? このっ――姉を傷モノにした責任取って一生養えこのやろうっ!」


 あぁ、そんな感じ。

 やいやいうるさいあんたが最高に素子だよ。




「――経過は、どうだい?」

「順調らしいですよ」


 モニター越しに素子が一生懸命に歩く練習を見ていれば、不意にだった。


「いい加減、素子にちゃんと謝ってきたらどうですか? 先生」

「たはは……大人はそう素直になれないものなんだよ、仁君」


 今日ここで、こうして隣り合うまでずっと会えなかった人がやって来た。


「大人になんてなりたくないものですね」

「それはなんとかシンドロームとか言うらしいよ? あぁいや、キミは真実大人になっても素直そうで怖いな」


 果たして俺は素直なんだろうか? あまり自覚はない。


 けれど、そうだな。


「素直になりたい、素子に謝りたいと思っているからそんなことが口に出るんですよ」

「……キミは本当にいぢわるになったね? まったく、誰に似たのやら」

「素直じゃない人に躾けられていたもので」

「止してくれ、降参、降参だ」


 そうだと思える、信じられるから、やっぱり先生を恨むとかは出来ないまま。


「先生」

「うん?」


 だから、だろう。


「今日でリハビリは終わりだそうです。車いす生活はまだ続くそうですが、ゆっくり自分のペースでかつての日常を取り戻していくように、と」

「そう、かい。おめでとう、と言うべきなのかな?」

「それも本人に言ってもらいたいところですが、ありがとうございます。そこで、ですね」

「うん」


 ポケットの中に入れておいた、一枚のチケットを先生に差し出した。


「これは?」

「五反田のシープヘッドというクラブを関係者・・・で貸し切りました。今日はパーティをするんですよ」

「パーティ? 素子君の快気祝い、とかかな?」

「それも、あります」


 色々な意味を持ってパーティをすることになった。

 決起集会なんて初音さんは笑っていたが、そういう意味もあると言えばあるんだろう。


 ただ、俺としては。


身内・・であつまる機会は、無理してでも作らなきゃいつまで経っても出来ないそうなので」

「……」


 ただ、見知った顔で笑い合いたいと思っただけで。


「……まったく」

「先生?」


 差し出したチケットを先生はらしくない少し乱暴な所作で受け取ってくれて。


「約束は、出来ないよ?」

「ええ。するまでもないですよ」


 その場を後にしていった。




「ねぇ、仁?」

「うん?」


 約束の時間までもう少し、目的地までももう少し。


「私、こんな時間にまで外をうろつくような弟を持った覚えはないんだけど」

「悪い子になっちまったんだよ。謝りはしないぞ?」


 そう言えば、こんな時間に素子と一緒に外を歩くことなんてなかったな。

 いや、正確には車いすを押すことも……どっちにしろ初めてか。


 今となっては全然意識することもなくなったけど、そう言えばもう夜の時間だ。

 表の世界が終わって、裏の世界が広がり、世界の顔はもうとっくに変わってる。


「悪い子、か」

「素子?」


 何に気を取られたのか、素子の視線を辿れば酔っ払い同士の喧嘩が繰り広げられていて。


「これでも私は、あなたが悪い子にならないように……ううん。悪い子にならないで良いように、頑張ってたつもりだよ」

「うん」


 結局、素子が何をしていたかって言うのはわからなかった。教えてくれなかったともいうけれど。

 ただ、俺のためを想って動いてくれていたことだけはわかる。そう、俺と同じように。同じだから。


「……後悔、してない?」

「昼間にも聞かれたな、それ」

「誤魔化すな。ちゃんと、聞いてるんだ」

「わかってるよ」


 後悔してるかしていないか。

 改めて考えても答えは出ない。

 多分どころかきっと、それこそ死ぬ間際であっても答えは出ないままだと思う。


 それでも今、言えることがあるのなら。


「変わらないものなんてないんだよ、素子」

「それは」

「違う。変わらないと生きられないとか、そんな意味じゃない」

「じゃあ、どういう意味?」


 およそ初めて見るだろう、昼間と同じように見上げてきた瞳だった。


「世界とか、社会とか。そういう一人じゃどうにもならないモノだって、変わらないであり続けるモノはない」

「……」

「良い子でも悪い子でもない中途半端な俺になったけど。なったからこそ、そう言うものが見えるようになった」


 表と裏、人間と稀人。

 狭間で生きると決めた俺だから。


「変えてやろう。なんて思わない、思えない。それでも……」

「それでも?」


 受け入れようって思ったんだ。

 諦めるでもなく、反発するでもなく、どんな世界でも自分次第で少しだけ明るく見えると信じられるようになったから。


「……ま、その答えはこの店にあるよ」

「この店って……クラブ? アンタ、こんな遊びまで覚えちゃって」

「今じゃ大好きな場所だよ。素子も気に入ってくれると嬉しい」

「……はぁ、車いすじゃどうしようもないわ。一回、だけだからね」


 大丈夫、きっと気に入ってくれる。好きになってくれる。


 だってそうだろう?


「わぁ……!」


 アンタが俺に夢見た世界が、ここにあるんだから。


 姉を奪われ復讐を誓った俺は、裏社会で成り上る 了

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