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8.-②


「それにしても」


 ゲオルギイ首相は、視察帰りの車の後部座席に乗り込むと、隣に座ったヘラに向かって話しかける。テルミンは前の座席、運転手の左に座って、何も聞いていないふりをしていた。

 実際、普通なら聞こえない。だがヘラの服のポケットには、盗聴の端末が貼り付けられている。それはヘラも承知の上だった。テルミンは耳に小さな受信機を入れ、リラックスしているふりをしながら、会話を聞いていた。


「お前がいきなり私に切り出した時には驚いたが、やはり使ってみて良かったな」

「そうか?」


 ぞんざいな口調は変わらない。ゲオルギイもプライヴェートの時には、その方が良い、とヘラに言っているらしかった。


「しかしこれだけは残念だな」

「よしてくれ」


 その口調から、テルミンはゲオルギイがヘラの髪に触れたことを察知する。今現在、ヘラの髪は短かった。印象を変えるため、というのが一番の理由だったが、言い出したのはヘラだった。正直言って、テルミンすら、その長い巻き毛はヘラによく似合っていて、切るなぞもったいないと思っていたのだ。

 現在、真っ直ぐに矯正され、短くなった髪は、耳元くらいしかない。それはそれで似合ってはいたが、確かにヘラの言う通り、印象は思い切り変わったのは事実だった。


「お前は思っていた以上に手際もいいし、案外人受けもする。そうだな、長い髪はもったいないが、あの姿には、気後れする者もいるだろう」

「そういうものか?」

「少なくとも私は、お前を最初に見た時はそうだった」 

「あの状況で、よくそんな悠長なことを考えたな」

「あの状況?」

「俺が、逮捕された時だろう?」

「いや違う」


 え? とテルミンは思わず片眉を上げた。


「違うのか?」


 さすがにヘラもそれには驚いている様だった。声が高い。


「違う。私がお前を最初に見たのは、第35連隊が、あの騒乱を鎮めた時の報告の際だ」

「いつだった……」

「あれは、水晶街の時だ。その時お前はあの長い髪を後ろで束ねて、軍服をあの中で一番汚れさせ破れさせて、ひどい格好で、私の前に立ったじゃないか」

「そんな昔のこと、覚えちゃいない」

「薄情な奴だな、いつものことだが。まあそれはいい。そこでお前を引き抜こうとしたのだがな。官邸警護の方に。元々お前は生粋の士官学校出身じゃあないだろう。引き抜かれたばかりだったしな。ところが書類を揃えている途中に、あの騒ぎだ」

「……」


 ヘラは押し黙る。そしてテルミンは耳に神経を一層集中させる。俺は、それは知らない。ヘラ/アルンヘルムの経歴は、一応書庫のデータから引き出したつもりだった。だがそれは何処かで書き換えられている可能性もあるのだ。


「お前もあの男も、災難だった、という訳だな」


 なおもヘラは黙ったままだった。そしてテルミンの中に、赤信号が点滅する。非常ベルが鳴り響く。駄目だ。これ以上言わないでくれ。

 しかし無論、話している側にそんな思いが通じる訳はない。


「辺境武装地帯の強者が、こんな華奢な兵士だったなんて、誰も思わなかっただろう」

「見かけで戦争はするもんじゃない」

「そうだろうそうだろう。お前の場合は、その見かけ自体も武器になったかもしれん」

「俺はそんなことはしなかった」

「まあいい信じよう。ともかく、激増するテロ対策のために、軍部は、お前らを辺境武装地帯から引き抜いたんだ」


 辺境武装地帯。テルミンはその聞き慣れぬ単語の意味を大急ぎで引き出す。

 それは文字通り、「武装地帯」だった。確かにこのレーゲンボーゲンは単一の政治形態を持つ惑星だったが、そんな惑星の宿命と言えるものに、辺境地における独立勢力、というものがあった。首府から遠く離れたそこでは、毎日の様に戦闘状態が続いている。

 話の内容からテルミンが察するには、ヘラはそこに居た兵士だ、ということだ。そこから第35連隊に引き抜かれたのだ、と。


「俺はあそこで結構楽しんでいたのに、軍の上層部は、勝手にに俺達を引きずり出したんだ」

「そうだな。そして当然の様にお前らは連隊では目障りな存在だったのだろう。当初からそこに居た、士官学校出の連中には」

「奴らは馬鹿さ」

「そう思うのか?」

「馬鹿だろ。だけど人を陥れることに関してだけはひどく上手でさ。俺もあいつも、あの時あの瞬間まで、連中が、クーデターを起こすなんて考えてもいなかった。俺達が知っているのは、『成功する戦闘』だ。誰がどう考えても失敗する計画なんて、俺には予想もつかなかったのさ」


 自嘲気味にヘラは話す。一瞬頭から血が引いて、テルミンは目の前が真っ暗になるのを感じる。だがすぐに彼は気を取り直した。聞かなくてはならないことはあるのだ。そしてヘラは、それを自分に聞かれても構わないと思っているのだから。


「そんな計画があったと知っていたら、俺は連中を上層部に引き出す前に殺ってたさ」

「自信があるんだな」

「俺達は、その位の量を向こうで二人でいつも相手にしてきた。そして負けたことはない。死にたくなかったから」

「それで、私の要求を聞いたのだな」

「そうさ」


 そしてしばらく、二人の間に無言の状態が続いた。それを終わらせたのは、やはりゲオルギイ首相の方だった。


「何が欲しいのだ? ヘラ」

「別に」

「そんな訳は無いだろう」

「あんたは俺にこの新しい籍をくれた。今はそれで充分さ」


 はははは、とゲオルギイは笑った。そして、こう付け足した。


「嘘が上手くなったな、ヘラ」


 ヘラからの返事は無かった。返事の代わりに、一つの問いが、その口から静かに流れ出た。


「ゲオルギイ、家族を首府に呼ぶ気は、無いのか?」

「無いな」


 ゲオルギイはきっぱりと言った。


「俺はてっきり、あんたは家族がいないつまらなさから俺に手を出したと思ってた」

「そう見えたか? だがそれではまだ人を見る目は無いな」


 テルミンは会話を聞くうちに、嫌な予感がしていた。嫌な風向きになってきた様な気がして仕方がない。


「私は元々、こういう人間だったのだよ」

「ふうん? 何それは、俺の様な、綺麗な男が好きだ、って意味?」

「ずいぶんとあからさまに言うな。そうだ。私はあれと結婚し、子供を作った。だがそれは義務でしかなかった」

「へえ。お偉い家の方々は大変だ」

「だが義務は果たした。妻には充分な生活を与えた。あれが愛人を何人持とうと勝手だ。お前と違って、あれはひどく貪欲な女だった。きっと愛人の何人かは居るだろう。うちの娘はあれの娘だ。私の娘ではない。その代わり私の生活には干渉はしてこない」

「便利だね」

「しかしそうやって義務で作った一人息子なのに、今は何処に居るともしれん」

「……」

「生きているか死んでしまっているかすらわからん」

「似てるのか? あんたに」

「小さい頃は似ている似ていると周りには言われたがな。だが今現在の私の目の裏に浮かぶのは、あれの金色の頭くらいなもんだ。あれは確か中等学校を卒業したあたり…… 大学か? 家を飛び出しとる。似てる似てるなんて言われても、自分を鏡で見て、思い出せるのはあれのおさまりの悪い金色の頭くらいしか出てこん。どんな顔をしていたのか、……気がついたら、思い出せん」

「あんたは不幸な人だ」


 そこに本がある、と言うのと同じ口調でヘラは即座に言った。もしかしたら、ゲオルギイ首相を指さしながら言っているかもしれない。


「ほう。お前の口からその言葉が出るとは思わなかったな。それとも実はお前は私のことを少しでも好いていたというのか?」

「そんなこと。あんたは信じていないし、俺も感じていないだろ。これはどうしようもない事実だ」

「はっきり言うな」


 そしてまたははは、とゲオルギイは笑う。テルミンはやや困惑している自分に気付いていた。ゲオルギイ首相の感情も…… だが、ヘラが何を考えているのか、それすら判らなくなってきた。

 もっとも、ヘラが自分に本心など明かしたことが無いのも確かなのだ。


「お前が何を考えて、仕事が欲しい、なんて言い出したのかは私は知らん」


 笑い終えるとゲオルギイは真面目な口調に戻った。


「言ったじゃないか。退屈だって。それにあんたもいちいち戻ってくる手間も省ける。効率的だろう」

「それはそれでうなづけるところがお前らしいがな。まあいい。お前がどんな思惑を持っていようが、私は別に構わん。好きにしろ」

「……」

「何をするにしても、だ」

「ふうん」


 ぞく、とテルミンは背筋に悪寒が走るのを感じていた。無論彼はこの首相をあなどっていた訳ではない。伊達に自分達が少年の頃から首相という役をこなしている訳ではないのだ。

 しかし、ヘラに関しては別だと思っていた。テルミンは自分の見通しの甘さに密かに歯ぎしりをした。

 そしてその一方で、こんな意味深な会話を繰り広げながらも、平然とした口調と、おそらく表情も崩していないだろうヘラの態度に、改めて一種の快感を覚えた。


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