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12.-⑥


「来ましたね」


と代表ウトホフトは、昼間の訪問客に向かって、温厚そうな笑顔で迎えた。

 この男の顔は、昼間はあくまで居酒屋の店主だった。そのまだ開店前の、窓を開けはなった明るい店の中に、リタリットは足を踏み込んでいた。


「オレが来るって、アンタ知ってたの?」

「そんな気がしていた、ということですよ」


 初老の店主は、もう既に白いシャツに蝶ネクタイ、ギャルソンのエプロンをかけ、準備は万端、という格好になっている。

 腕をまくったその手には、磨いている最中のケトルがある。ごくごく当たり前な、開店前の店の風景だった。


「だったら話は早い。アンタはオレが何を言いに来たか、判ってるんじゃないのか?」

「そうですね。あなたの大切な相棒に、そんな役目を押し付けないで欲しい……そんなところでしょう?」

「当然だ」

「しかし、彼はやる気になってるのではないでしょうかね? あなたのその様子では」


 リタリットはぐっと言葉に詰まる。おや図星ですか、と笑み混じりにこの中年を越えた男は言う。


「だから、わざわざ私のところへ来た。そうではないですか?」

「…………そうだよ」

 両手のこぶしをぎゅっと握りしめ、彼はうめく様に言葉を漏らした。


「しかし私は強制した覚えはないですよ。彼一人が戦線離脱しても構わない。そう言ったはずです」

「奴は、責任感って奴が強いから――― オレとは違って」

「なるほど? あなたは責任感という奴が強くないとおっしゃる? 昔から、そうだったと?」

「昔のことなんか、オレは知らない。思い出したくもない。思い出せないけど」

「そうですね、思い出さない方がいいかもしれない」

「知った口を利くなよ!」


 リタリットは怒鳴った。しかしウトホフトはそれには何も答えず、手にしたスチールウールを持つ手の力を込めた。そして一度それを水でさっと流し、カウンターごしに自分の前に立つ彼の前に置いた。ぎらり、とその銀色の金属の胴体が、外からの光に強く光った。


「こんな風に、自分のしたことを全て落としてしまえば、とても楽なものですよね」


 リタリットは眉をひそめる。


「しかし、人間はそうはいかない。あなた方の記憶にしたところで、全くもって消された、という訳じゃあない。ただ道筋を塞がれているだけだから、表面に出てこなくても、あなた方の身体の中に何処かしら染みついているはずなのですよ」

「…………何を言いたいんだよ」

「そういえば、リタリットさん。あなた我々の集団の通称を御存知ですか?」

「確か、『赤』って」


 それは彼もヘッドから聞いて知っていた。このウトホフトの連絡役をしている集団達は、色の名前がそれぞれついていると。


「そう『赤』。何故それが、そういう風に色の名前を付けられているか、知っているかな?」

「オレが、知るワケないだろ?」

「そうあなたは、知る訳が無い。『赤』は元々、私の名なんですよ」

「名?」

「正確には、呼び名ですね。この組織集団を始めた我々の仲間は、昔、訓練を受けたことがあるのですよ。その時、我々の一人一人には、記号の様な呼び名が与えられた。それがその訓練を課した人達の、慣習だとか何とか言われましてね。その時の私の名が『赤』。色の名前でしたね。皆」

「…………だからそれが―――」

「それぞれが、ある程度の訓練を受けて、あちこちで組織を作って行く中で、時々その訓練を受けさせてくれた側から、新しく人を送るから、と言われて預かったことがあるんですがね。その時、私が預かったのは、まだほんの子供でしたね。私からしてみれば」


 じゃ、と水が勢い良く流れ出す音がリタリットの耳に入る。泡立つ洗い桶の中で、幾枚もの皿が、次々に磨かれ、取り出されていく。ウトホフトはその皿をじっと見つめ、彼の方を決して見ようとはしない。


「しかしその子は実に筋が良かった。面白くなって、私も色々なことを教えましたがね。ただ、教えはするが、その子がこんな活動はしない方がいい、と思ってましたよ」

「何で」

「その子がそんな活動に足を突っ込んだのは、家のせいでした。ひどくきかん気の子供でしたから、そう簡単にはそんなことを口にはしなかったですが、どうも複雑な家庭だったらしいですね。父親は忙しいし、母親は浮気に忙しい。もしかしたら、妹は父親の子供ではないかもしれない」

「ひでえ家だな」

「だけど、父親はそれと判っていながら、その妹の方を可愛がっていたとか。母親は父親と仲が良くなく、父親と何処か似ているから、とその子をうとましがる。かと思うと、その反面、父親のことを何処かで思っているから、時々異様に自分に執着を見せる」

「ムチャクチャだな」

「頭のいい子だったから、そこに居ることで、自分が駄目になってしまうと思ったんでしょうね。家を離れる機会ができた時に、家そのものから逃げ出したんですよ。そして我々を育てた所に拾われた」

「それで、そいつはずっとあんたのとこに居たのかよ」

「いいえ」


 ウトホフトは皿を洗い流すと、きゅ、と蛇口を締めた。


「その子は、やがて呼び戻され、ある計画に参加するべく、首都へ行ったんですよ。それから後は、私も知りません。彼が一体どうなったのかは。ただ、ものごとを起こしてしまう時というのは、それまでの生きてきた積み重ねが、何かのきっかけになる、と言いたいだけなんですけどね」

「…………長ったらしい話だったじゃん」

「そうですね。でも私は、その子のことは、とても好きでしたよ。とても可愛らしい子だった」

「ふうん」


 リタリットはそう言うと、ポケットに手を突っ込んで、煙草を取り出し火を付けた。


「つまり、BPがそうしたいと思うのは、あいつの過去が絡んでるから、オレが止めるすじあいじゃあないっていうのね?」

「そういうことですね」

「大きなお世話だ。オレは、ただ、嫌なんだよ? 止めたい理由が、それだけじゃ、いけない訳?」

「いけない、とは言いませんよ」


 あくまで穏やかにウトホフトは言う。リタリットは、近くの洗ったばかりの灰皿にまだ半分も吸っていない煙草を押し付けた。そして帰る、と言ってカウンターに背を向けた。

 だがふと思い返した様にに振り向くと、グラスを整頓しかけているウトホフトに向かい、彼はそう言えば、と声を投げた。


「何ですか?」

「その子供、あんたと同じ様に、色の名前があったんだろ? 何って言ったんだ?」


 ああ、とウトホフトはにっこりと笑った。


「『朱』と我々は呼んでましたよ」

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