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『総統閣下はご無事だ!』
そんな声が、建設相の口から流れている。ちょっと待って、とゾフィーは背中が一気に冷たくなるのを感じた。
だって。
彼女は思う。
だって、それを言うのは、あなたじゃあないでしょう? 建設相!
それを言うのは、テルミンのはずだ。彼女の友人の、宣伝相のはずだ。彼は一体何処に居るのだ。
既に放映は中断していた。星系の全てのTVには、砂嵐が騒いでいることだろう。波の音がしていることだろう。その瞬間、演壇に最も近い位置にあったカメラが破損した。その時ゾフィーは全ての放送を切る様に、と反射的に指示を出したのだ。
これはまずい、と彼女は思った。
事実を見せても見せなくても、不安が広がるのは、予想が付きすぎる程だ。だが、とりあえず中断することで、その不安の正体を保留にできる。見せてしまったら、終わってしまうものがある。
「リル君、ちょっと様子を見てきて」
「はい? はい。レベカさん、いいんですか?」
「仕事が先よ。総統閣下のご様子をちゃんと」
「はい。宣伝相閣下にお話を伺えばいいんすね」
「そうよ」
話を聞いてきて、とゾフィーは胸の中で思った。ひどく嫌な予感がしている。ケガをしているだけなら、それでいい。だけど……
彼女は頭を思い切り振る。今はそれどころではない。中断している放送を何処で復活させるのか。そのタイミングを見計らわなくてはならない。だけどテルミンは。不安はつのる。そしてとりあえずはスペールンが何を言うのか、に彼女は集中することにした。
だが。
*
「お?」
と、首府のある一角で、TVを睨む様にして見ていた男達が声を立てた。
あれは対戦車砲じゃないか、と「赤」の若い一人はつぶやいた。確かにそうだ、と「緑」の一人もつぶやいた。
首相官邸に出かけた五人の安否も判らないまま、そのまま首府に留まった、この反政府組織のメンバー達は、その夜、中央放送局の番組に見入っていた。あれが出来上がったばかりのスタジアム。自分達の殺そうとした、総統閣下ヘラのために作られた。
だが彼らには、それ以上の手出しはできなかった。「赤」の代表ウトホフトからの指示も無かったし、それにあの日出向いた、BPを含めた五人は、この首府に留まるメンバーの中でも、手練れのはすだったのである。
そんな五人を欠いたまま、下手に動く訳にはいかなかった。
なのに。
「何で、あんなことが起こるんだ?」
それは突然消えた放送と同時に起きた、メンバーの共通した疑問だった。
「俺達じゃないぞ?」
「当たり前じゃないか!」
真っ先に疑われるのは、反政府集団だ、というのは、彼らも容易に予想できるところだった。しかし、自分達ではない。自分達ではないのだ。
「一体誰が……」
腰を浮かして、今にもその真相を掴みにスタジアムへ走りたいところだった。しかし。
その時、いきなりTVのスピーカーから、ノイズが走った。
『親愛なる首府民の皆様新年おめでとう! ……そして総統閣下と宣伝相閣下のご冥福を祈りますことよ』
あ、と構成員達は、口々に声を上げた。
「海賊電波だ」
*
「海賊電波だわ!」
ゾフィーは思わずコンソールに両手を叩きつけていた。
「……これじゃ……」
彼女は唇を噛む。この海賊電波は、他の電波を全て駆逐する勢いで、その場に放送を流すのだ。
「や、でも、音声だけだったじゃないすか、今まで……」
戻ってきたリルが、そうなだめる様に彼女に話しかける。
「リル君! ……どうだったの?」
ゾフィーは弾かれた様にリルの方に顔を上げた。しかし、相手は黙って首を横に振った。ゾフィーは口に手を当てる。
「今さっき、廊下を担架が二つ、運ばれていくのを見ました。だけどその様子は、一刻を争うけが人の輸送、という感じではなかったんす」
「ってぇことは?」
他のスタッフまでもが、声を上げる。
「……おそらく、もう……」
リルは再び首を横に振った。ああああああああ! と、ゾフィーはその場にしゃがみこんだ。
『偉大なる総統閣下、敬愛なる宣伝相閣下のご冥福を祈ります』
海賊放送の声が、彼女の耳にも入る。それは決していつもの嘲笑する声とは違う。ゾフィーは立ち上がると、コンソールにつけられたスピーカーに思い切り両手を振り上げた。
「黙んなさい!」
そして何度も、何度も、彼女はその行為を繰り返した。彼女がテルミンと友達であることを、その場の皆が知っていた。その関係が恋人ではないか、と疑っている者も居た。区別はどうでもいい、とリルも思った。
「この電波は一体何処から出てるの!」
一陣の嵐が治まった後、ゾフィーはうめく様な声でそう周囲のスタッフに訊ねた。
「たどることはできないの!?」
「レベカさん」
おずおずと、スタッフの一人が、彼女の剣幕に押されながらも、手を上げた。言って、と彼女は命ずる。
「その海賊放送の発信者が、もし放送用端末、携帯型のそれを使っているなら、方法は無くはないです」
「あるの?」
「はい。ですが、そんなことは……」
口に出した割には、スタッフの一人は、自分の言ったことを否定する様な勢いだった。ゾフィーは低い声でつぶやく。
「後で教えてちょうだい。役に立たなくてもいいわ」
はい、とスタッフは、そう答えるしかなかった。
*
『―――聞こえますか首府のみなさん。このざわめきが! この不安な空気が! お見せできないのが辛いところですね。ああ胸をぱっかりと開けてみせることができれば、いや違う、ではせめてワタクシのこのコトバの魔力が何処まで通じるのか試してみましょうか。ああ新しいスタジアムが何て無惨なことでしょう。白亜の殿堂、美しく白いスタジアム、その姿は夜の灯りの中で一層引き立ち、美しかったことよ。だけど美しいものは儚いことよ。その壁の一面から光の塔が立ち上って、何処までも続く永遠の光の塔をも体現したと思ったその矢先に今度は対面から迫撃砲の光が!』
少しの間が空く。
『灯りは消え、モニターも消え、何が起こったのか誰にも判るものではなく、ただ不安ばかりが周囲に満ち満ちて。しかしさすが最新の設備。灯りはすぐに復活。しかしその復活した灯りの中には、嗚呼! あの素晴らしい、演壇の背後の壁は崩れ去り、そこには、無惨にも崩れ落ちた、コンクリートの瓦礫の山が!』
水晶街の街頭に置かれたモニターは、相変わらず砂嵐をずっとまき散らしていた。だが、そのスピーカーからは、海賊放送の電波が、延々そのよく響く声を流し続けていた。
「……これ一体……」
新年を迎える夜の水晶街は、人があふれていた。首府に住む、スタジアムへは行かないが、それぞれの新年を皆で祝おうという者達は、繁華街である水晶街の大きな店に集まっては、それぞれの時間を持っていた。
春の暖かい大気が、人々の心を浮き立たせる。夜になっても、もう既に寒さはそこには無い。そんな季節のせいか、人々は、水晶街の中でも、外に出て歩いていることも多かった。
そしてその真ん中に設置されたモニター。何枚も横並びになったそれは、いつもだったらそこで政府公報も、最新の音楽や映像も流されるのだが、今はその全てが砂嵐だった。
しかし、そのスピーカーからは、夜の世界に慣れ親しんだ若者には、ここしばらく聞き覚えのある声が、そして。
「……この声、俺、聞き覚えがあるぞ」
「俺もだ」
既に、家庭を持ち、子供の手を引く様な大人達が、スピーカーの声に耳を止める。
「確かに、聞いたことがあるわ!」
「学生の頃だよ!」
三十代を目前にした様な夫婦が顔を見合わせる。真ん中にはさまれた子供は、不思議そうな顔で両親を見上げる。
人だかりは、次第に大きくなっていく。
*
「…………先刻そのスタジアムの裏手から、一台の車が出て行った。行き先は何処だろう? 残念ながら今それを追うことはできない。しかし今この演壇では、嘘の呼びかけがなされている。そうそれはとても妥当だ。この会場に集まった七万人が一斉に暴動にでもなってしまったらとっても危険。とっても危険。とっても危険。一度に七万人が、この会場から動き出すのはとっても危険だ。しかし嘘はいただけない。総統閣下も宣伝相閣下もご無事、なんて、嘘は言っちゃいけないよ、スペールン建設相!」
リタリットは、端末を持った手のひらを外に向ける。性能の良いその端末は、つぶやく様なリタリットの声も、周囲の不安そうなざわめきも、そして壊れた演壇の上で必死にマイクを握る男の声も、区別して取り分ける。
「したがって現在我々のできることは、まず中断せざるを得ないこの会場から、速やかに退去することです……」
マイクを通したスペールンの声が、端末に入り込む。
そのまま中央大学内の中継機械へ飛び、更にそこから、強力な電波に乗せられる。
中央放送局が必死で隠したとしても、少なくとも、首府に限って言うなら、それは無駄なことだった。
そして、首府以外にも。
*
「……嘘だ……」
乾いた声が、その時、そうつぶやいた。
「……そんな…… ことって……」
声の持ち主は、人気の無い大きな部屋の真ん中に置かれたモニターのスピーカーの前に立ちすくみ、両手を強く握る。
それは、足りない機材を取りにやって来た者にとっても、所在なげに煙草をふかしていた者にとっても、同じ衝撃を一度に与えた。
海賊電波は、基本的に首府にだけ流れる。
しかし、何ごとにも例外というものはあるのだ。首府の電波は、そのまま垂直に、外に向かっても放出される。
―――そして、それは少しのタイムラグと共に、惑星ライにも、同じ情報を送り込むのだ。