目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

23.新年最初の朝がやってきた。-①

 白い高い壁の向こうから、一年最初の日射しが差し込んでくる。

 夜が明けても、スタジアムの聴衆には帰還許可が出されなかった。七万もの聴衆は、既に待つことにくたびれていた。だが屋外である以上、そこで眠りにつくことにはためらう者が多かった。明け方の気温は、一日のうちで一番冷え込むのだ。

 春とはいえ、まだその気温は昼間と夜では差がある。身を寄せ合って眠ることのできるカップルは良いほうだった。

 それをちら、と横目で見ながら、リタリットはきゅ、と自分の身体を抱え込む。ぞく、と身体が震えるのが判る。ひどく寒かった。息が白い。少し気を抜けば、震えが止まらなくなりそうだった。

 おかしなものだ、と思わなくはない。あの冬の惑星でも、そんなことは彼はそう感じたことは無いのだ。それが防寒着のせいなのか、相棒が居たおかげなのか、そのどちらであったかははっきりしないのだが、今現在、そのどちらも自分の手の中に無いことは確かだった。

 脱出しておけばよかったかな、と内心つぶやいてもみるが、その気が自分自身に無いことは承知の上だった。

 脱出することは、リタリットにとっては容易いことだった。おそらく、現在は要請を受けた首府警備隊が、この周囲を取り囲んでいることだとは思う。この中に爆破テロの犯人が居るだろう、と当局がにらんでいることは間違いがないのだ。

 しかしその犯人が果たして本当にこの中に居るのだろうか、と彼は思う。自分達では無い。確実にそれは言えている。そうするつもりがあるのなら、代表ウトホフトは自分をこの中に送り込んだりはしないだろう、と。

 だがしかし、あの演壇に撃ち込まれたのは、迫撃砲だか対戦車砲だか…… 素人や、小規模のレジスタンスが入手できる様な武器では無い。

 とすると。

 陽が上りつつある。すり鉢の底の様な真ん中の巨大なスペースの上に、破壊された演壇の影が大きく伸びていた。


   *


 ぶる、とアンハルト少将は車の上で身体を震わせた。

 スタジアムの外を取り囲む首府警備隊もまた、寒い朝を迎えていた。

 屋根の無い地上車がおよそ三十台ぐらいだろうか、制服を着込み、武器を常備したまま、要請があってから既に四時間はその場に待機したままだった。

 首府の元部下であったテルミン宣伝相から急な連絡を受けて、南の辺境近いフラーベンから赴任したばかりだった。到着すぐに、側近の部下のテンペウ中尉と共に、首府警備隊への配属命令を受け取り、新年間近の祝賀気分の兵士に、パーティの支度を返上させて、「何か」に備えさせた。

 さすがに新任の隊長のその一方的とも言えるやり方は、反感を抱かせるには充分なものだったが、当のアンハルト少将は、そんなことは構っている暇は無かった。そもそも、そうでなくともそんな特別な祝賀祭があるというなら、それがテロの対象にされることは目に見えているはずなのに、お祭り気分の警備しか考えていない隊員には、さすがにこの少将も多少考えるものがあったらしい。

 穏やかな表情は一時返上することにしたらしい。


「隊長」


 ふっと良い香りが少将の鼻に飛び込む。側近のテンペウ中尉がパックのコーヒーを手にしていた。


「そっと、お持ち下さい」


 少将はありがとう、と受け取りながら苦笑する。確かにそのパックは、少将の義手がちょっと力を入れれば中身を顔に吹き出してしまうだろう。心得ている中尉は、判っているとは思うが、という枕詞は省略して、注意を加える。


「……まだ動きは無いのでしょうか」

「無いね」


 アンハルト少将はコーヒーをそっと掴みながらすする。


「宣伝相閣下は大丈夫なのでしょうか」

「ああ、君にとってもかつての上官だったね」

「ええ。生真面目な方でしたから」

「生真面目。そう、生真面目だったから……」


 いけない、と少将は手の甲で軽く自分の頬をはたく。過去形にしそうな自分に気付いた。

 総統ヘラと宣伝相テルミンが砲弾の直撃を受けたこと、その身体が帝都の派遣員によって、安全な場所へと移された、ということは、現在このスタジアム内部で陣頭指揮を取っているらしい建設相スペールンからの報告で聞いている。だがその車が何処へ行ったのかは、まだ誰からの報告も無い。

 その車が出て行った後に、彼らはスタジアム周辺に到着したのだ。その時はちょうど、七万の観衆が、帰宅を求めて、競技場に飛び降りて出口に殺到したところだった。

 だがその時、外を取り囲む首府警備隊の姿に、人々はまた、自分の座席に戻ることを余儀なくされたのである。

 既に四時間がところ経っていた。暗く重い色の空が、次第に白んでくるのを見ながら、手詰まりの状態に、アンハルト少将は、多少自分の中にも苛立ちが生まれつつあることを感じていた。苛立ちの原因は、あの海賊電波にもあった。奇妙な響き方をするその声が、誰かのものに似ている、という感触はあるのだが、それ以上に、この緊張と疲れの中では、神経を逆撫でするものであったのだ。

 しかしその海賊電波もしばらく止まっていた。電波の発信人が内部に居ることは予想がついた。中に居なくては判らない様なことを、発信人は声高らかに延々と述べていたのだから。

 手詰まりだった。中の七万人は、あまりに多数過ぎる。荷物チェックをしたところで、果たして、それが効果あるのだろうか、という疑念も湧く。

 それに加えて、内部に留まっているはずの、スペールン建設相をはじめとした閣僚からの指示も無い。

 どうしたものか、とアンハルト少将は、思った。

 そして思った拍子に、パックを握りつぶしてしまった。あ、というテンペウ中尉の声が上がった時には既に少将の袖は、コーヒーに濡れていた。


「……ですからご注意をと申し上げましたのに……」


 中尉はポケットからタオル地のハンカチを取り出すと、その手を拭く。


「君はいつもそういうハンカチだな」

「これが一番水気を良く吸い取るのです」


 なるほど、と少将はつぶやく。それだけよく、同じことが繰り返されているのだ。

 その手を拭きかけた時だった。少将の車内の通信端末が鳴った。


「隊長だ。どうした」


 少将は濡れていない方の手で端末を取り、耳に掛けると、厳しい声になって問いかけた。


『失礼致します。本部からの連絡が入っております』

「つなげ」


 本部には部隊の1/4を待機させてあった。長丁場の場合、時には隊員を交代させなくてはならない。だから緊急事態には、こちらから本部へと人員の補充を緊急に呼びかけることもあり得た。だが、その逆というのだろうか。アンハルト少将は回線がつながると同時に、どうした、と問いかけた。


『隊長、たった今、反政府組織『赤』及び『緑』より、直接の通信回線が開きました』

「何? それはもしや、犯行声明か?」」

『いいえ違います。その逆です。どう致しますか?』

「それは現在つながっているのか?」

『はい』

「ではつなげ。直接私が話をする」


 少しの間が空く。少将はテンペウ中尉にありがとう、と言って、再び表情を引き締める。

 回線の向こうに、気配がある。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?