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23.-③


 そろそろだ、とリタリットは放送用端末のモードを切り替え、幾つかの数字を押す。数回のコールの後に、相手の声が返ってくる。


『俺だ。リタ?』

「あらら。今アンタ何処?」


 彼は相手の名前も問わずに訊ねた。その声がヘッドのものであることは、問わなくても判る。


『このスタジアムの周囲だ。お前こそ今何処だ?』

「観客席よぉ。オレちゃんと真っ当に待ってるんだからねえ」


 くく、と向こう側で笑う声がする。


「それで、どうなのよ」


 具体的なことは一つも言わず、リタリットは向こう側に問いかける。


『まあまあだな。とりあえず、今このそばに、首府警備隊のアンハルト隊長が居たりするが』

「ふうん。じゃあまずまず、なのね。……判った」


 そう言うと、彼はすっとその場から立ち上がり、横の階段を上り始める。通路へ向かうその階段は、割合に急である。その急な階段で、一度ふっと空を見上げる。


「……いい天気だね」


 回線の向こうの盟友は、何だそりゃ、と声を返してくる。


「や、ホント。新年そうそう、いい天気で良かったね、と思ったのよ。空が綺麗でさ」

『お前なあ』

「……それで、オレは、何をしたらいいのかなあ?」


 一言二言、リタリットは黙って向こう側の指示を聞く。そして判った、と短く答える。

 回線を切る。そして再びくるりと身体を、斜め前方の壊れた演壇に向ける。壊れた演壇の中では、現在の状況をどう処置するのか、迷っている。

 迷ってたら、結局こんな時間になってしまった。


「それじゃ、多くの人々を動かす資格はナイのよね」


 彼はつぶやく。何はともあれ、総統ヘラも、ゲオルギイ首相も、その力はあったのだ。


「すいませんちょっとトイレ~」


 通路をふさぐ警備員に、おどけた調子でリタリットは手を振る。しょうがないな、とつぶやきながら、再入場には半券を見せろよ、と警備員は付け足す。

 わっかりました、と明るく答えながら、リタリットはポケットの中のその半券は握りつぶす。戻る気はさらさら無かった。

 屋内に一度入ったところに通路がある。

 さて、とリタリットはそのまま所々に居る警備員やスタッフの姿を横に見ながら、トイレの方へ向かう。予想通り混んでいる。明け方の寒さが、観客に尿意をもたらしたのだろう。

 彼はそれをちら、と見ると、そのまますたすたと奥へと歩いて行く。トイレに並ぶ観客は、その当然の様な足取りに、気を止めることはない。自然が呼んでいる時に、そんなこと気に留めるゆとりはないだろう。

 やがてその人の列が視界から消える。リタリットは廊下を駈けだす。

 頭の中には、このスタジアムのおおよその作りが入っている。

 建設相スペールンの独自のデザインである部分は判らない。だが建築には、それでもおおよその型というものは存在する。全体の形と、用途。それがはっきりしている場合、おのずと、その位置関係は決まってくる。

 そして彼自身、観客席から、ある程度の設備の位置を把握していた。

 人の歩いてくる気配がする。慌てて速度を落とす。もともと足音はさせずに走っていたのだが、あえてゆっくりと足音を立てる。腕章をつけた、あれは放送のスタッフだろう、とリタリットは予想をつける。若い男。周囲には誰もいない。

 すれ違い様、彼は、その男のみぞおちに拳を一発入れた。う、とうめくとその若いスタッフはその場に崩れ落ちる。おっと、とそのままその身体をずるずると引きずると、展望窓のある喫煙所のソファに座らせる。そしてその腕から、腕章だけを抜く。

 そしてまた足を速める。すると今度は二名ほどのスタッフが、扉相手に格闘している姿があった。


「どうしたんですか?」


 人懐こい口調でリタリットは問いかける。見ない顔だな、という問いに、アルバイトなんですよ、といけしゃあしゃあと答える。


「……ち、何て扉だ!」

「どうしたんですか?」

「何か、あの爆撃が、ここの部屋らしいから、安全のこともあるし、もしかして犯人が立てこもっているかもしれんから、とっとと開けろ、っていう、下の閣僚さん達からの要請なんだよ! 何だいお前、聞いてないのか?」

「あ、すいません、オレ会場整理だったんで…… ちょっと見せてくれます?」


 彼はさりげなく、ハンマーやペンチを持ち出すスタッフを押しのける。そしてその古典的な鍵穴をのぞき込むと、ああなるほど、とうなづく。


「何がなるほど、だよ? お前開けられるのか?」

「ちょっとそこのマイナスドライバーの細いヤツ貸して下さいな」


 しゃらっと言ってのける。その言葉の調子は軽いものだったのに、スタッフは手がふら、とその通りに動くのを感じる。耳そうじをする様な手つきで鍵穴にドライバーを突っ込むと、彼は幾度かその中をかき回す。しばらくそんなことをしていたと思うと、やがてふ、と息を軽く吹き込む。


「開けていいんですよね」

「は?」


 金属製のノブをひねる。そして開けるが早いが、その中へと彼は飛び込む。飛び込み――― その場に伏せる。

 しかし、何ごとも起こらない。リタリットはゆっくりと身体を起こし、そのまま、光の差し込む前方へと歩いて行く。

 おい大丈夫か、と背後の声が聞こえる。


「大丈夫ですよ! ちょっと来て下さい」


 丁寧をつくろっていたが、その口調には有無を言わせぬ響きがある。リタリットはそのまま窓のそばまで近づいて行く。 

 そこは、放送機材の倉庫だった。

 そういえば、と彼は思う。この両サイドに、カメラが設置されていたはずだった。巨大なモニターがこの会場を一周する際に、一瞬だけ、そのカメラの存在を映した。

 その両側の部屋の機材を運搬する時の箱や、予備のケーブル、予備のレンズ、そんなものが所狭しと置かれている。そこは確実に倉庫でしかないのだ。

 しかし、その中に、一つ、確実にこれは放送の機材ではないと判るものがある。


「……これ、何ですか?」


 リタリットはわざと大声を張り上げる。無論それが何であるのかは、一目見れば、判る。彼らよりは、自分の方がそれに対して馴染み深いのだ。ただ、そこには奇妙な機械が取り付けられていたけれど。


「……何って……」

「これ、まさか……」


 スタッフは顔を見合わせる。


「オレ、皆さんに知らせて来る!」

「皆さん、ってお前場所知ってるのかよ!」

「あ、何処ですか?」

「そのまままっすぐ走ってけ! ON AIRのランプは消えてるが、ノックはしろよ!」

「そうそう、レベカ女史、そういうの嫌いだからなー」


 了解、と彼は言い放つと、スタッフの言った通りに走り出す。

 あの倉庫にあったのは、対戦車砲だった。小型だが、射程距離がずいぶんと長いものだった。位置が固定され、しかもそこには、遠距離からのリモートコントロール装置が取り付けられていた。

 リタリットには判った。ちら、と見ただけで判る様なものだった。


 リモートコントロール。一体誰が何処から。


 彼は走りながら考える。少なくとも内部の者だろう、と考えるのは容易い。この会場の作りをよく判っている者。この会場の用途をよく知っている者。そして総統ヘラと宣伝相テルミンを上手く狙うことができる者。

 そんな者が居るだろうか、と彼は思う。

 予想がつかない。自分達にしたところで、反政府組織だからこそ、あの総統ヘラを狙うことはあるにせよ、この様な手口でやる程憎悪の感情がある訳ではない。大体において、こんな目立つ方法を取ること自体、何か間違っていると思う。


 ……見せしめ? 


 ふとそんな言葉がリタリットの中に浮かぶ。しかし、だとしたら、何の見せしめだというのだろう。それも違う。意味が無い。

 内部の者から、狙われる理由は、もっと無い。


 権力闘争? 


 それも考えにくい。何故なら、この「総統」は、そもそもが権力の大きさに耐えかねた閣僚達によって押し付けられた役なのだ。今更権力が欲しいから、と言ったところで、そんな奴等に何ができるだろう。

 ではどうだろう。一番そうでなさそうな者は。

 雑学の知識ばかりが多い相棒は、以前こんなことを言っていた。一番そうでなさそうな奴が犯人だ、ってのがミステリの定石だと。

 タイミングの良さ。あまりにも正確に、あの対戦車砲は、その瞬間を狙っていた。

 式次第は、状況によって多少のずれがあるのが普通だ。としたら、タイマーでコントロールしている訳ではない。かなり近くで、この式次第を見ていた者だろう。

 だとしたら? リタリットは立ち止まる。

 まさか、とふと頭の中にひらめくものがあった。

 だがまさか、だった。彼は頭を振る。そんなはずは無い。

 違う違う、とつぶやきながら、再びリタリットは足を速める。


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