目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

24.-③


 何やらひどくノイズがひどい、とリタリットは思った。

 構内の放送端末の中継点にしてある部屋で見つけて持ち出してきた小さなラジオが、ずいぶんと今日は雑音がうるさい。きっと空をぶんぶんと、電波をかき乱すモノが飛び散らしてるんだろーな、と彼は内心つぶやく。

 新年休暇の校舎は無論人の姿は無い。警備員すら新年休暇らしい。

 そんな人のいない校舎の鍵をマイナスドライバー一本で簡単に開けて、リタリットは屋上の、階段室の上に登った。そしてラジオを傍らに置くと、ぼんやりと曇った空を眺めながら煙草をふかしていた。

 どのくらいそうしていただろう。事態が変わりつつあると言ったところで、さし当たり「海賊放送のDJ」なんていう役割には、ひとまずの終止符は打つことができた訳だ。

 しかしそうなってみると、この男は何をしたものか、いまいち判らないらしく、他の実働隊メンバーからもふらふらと離れて、こうやって何をするでもなく、ぼんやりとすることが多くなっていた。

 実働隊に加わったドクトルKも、また始まった、と両手を上げる。忙しく立ち動いているうちはいい。だが。

 実際、彼自身、あの事件から半月経った今、何もする気力が起きなかった。


「半月だぜ?」


 そして小さくつぶやく。


「半月たす半月で、一ヶ月だぜ?」


 膝を抱えて、遠くを見ながら、リタリットはつぶやく。

 相棒が消息を絶って、一ヶ月になろうとしていた。その間に、季節は春の暖かさが日に日に増してきていて、その反面、天気が不安定な日も多くなっていた。今日も今日とて、青空は顔をのぞかせそうにはない。

 一日が、ひどく長く感じる。ごろん、と彼はその場に寝転がった。雲の動きが早い。雨が降るのだろう、もうじき。


「だからそんなとこに居ずに、帰ったほうがいいよ」


 彼は声を投げた。その先には、階段室から出てきたゾフィーの姿があった。


「話があるのよ、リタリット君」

「よくオレの居場所が判ったね、レベカ女史。ウチの連中に聞いた?」

「いいえ。あなたの持ってる放送用端末から、逆探知したのよ。何かとうちのスタッフにも有能なひとはいるものよね」

「どっちかというと、雑学の大家じゃない?」 


 よ、と腹筋の要領で身体を起こすと、リタリットは見上げるゾフィーの居る側に座り、足をそこから宙にぶらぶらとさせる。


「で、話って何なの? レベカ女史。オレに何か用事?」

「ええ。降りてくる気は無い? リタリット君――― いえ、ヴァーミリオン」

「降りてもいいけど? でもだあれ? そのヴァーミリオンってのは」

「さあ。あたしだって知りたいくらいだったわ。結局あたしは彼のことは何も知らなかったのね」

「ふうん?」

「別に、あなたがそのひとのことを知らなくてもいいわ。あたしが一方的に、勝手に話したいだけだから、だから、聞いて。それだけでいいわ」

「聞くだけでイイなら、聞きましょーか」


 しかし降りる気配は無く、彼は相変わらず、足をぶらぶらとさせていた。


「昔、そういう名の知り合いが居たの」

「ふうん」

「彼は、あたしの兄貴の、恋人だった、と思うの。少なくとも、寝てたわ。そういう関係だった」

「そういう関係だった訳ね」

「そういう関係だったわ。八年まえよ。水晶街の騒乱の年よ。兄貴はこの大学の学生だったわ」

「頭良かったんだね」

「そうよ良かったわ。嫌になる程良かったのよ。でもその兄貴の相手は、もっと良かったのもしれないわね。だってストレートに入ることができたんですもの」

「それは秀才だね」

「そうよね。だけどそのひと、何故かたった数ヶ月で、勉強から離れてどっか行っちゃったのよ。そして戻ってきた時には、そのヴァーミリオンって名前だったわ。兄貴とくっついたのも、その後だったわ。あたしは彼を嫌いだったわ」

「へえ。どーして?」

「どうしてだか、判らないわ。でも何か、嫌だったのよ。彼が、兄貴と寝ていたのもそうだったわ。何か、その言葉が行動が、気に障って仕方なかったのよ」

「それはお気の毒な」

「ええ全くよ。でもだから、あたしは、彼が兄貴から、ある計画を知らされてなかった、なんて、初めは知らなかったわ」

「はじめは?」

「だから途中から気付いたのよ。きっと知っていると思ってたわ。だって、何かそれは、突拍子もなくて、でも絶対、一緒だろうと思ってたのよ」

「ふうん?」

「でも、途中で気付いたのよ。兄貴達は、彼を、その計画から抜いているって。途中で」

「あなたは、気付いていたのに、言わなかったの? 女史」

「言わなかったのよ」

「何で?」

「彼が嫌いだったからよ。喋りたくなかったのよ。大事なことだったのに、言ってやるもんか、って思ってたのよ。そしてずっと、彼が知らないってことを知らない顔で居たわ。彼があの水晶街の前日、あたしに会ってね訊ねた時にも、そんな顔をし続けたわ。でもそれは」


 リタリットは口を開かなかった。


「言っていたら、変わっていたかもしれないのに。兄貴は地下鉄で死ななかった。水晶街は起きなかったかもしれない。ヴァーミリオンは行方不明にならなかったかもしれない。あたしは知っていた。なのに言わなかったのよ。ねえ、どう思う?」


 吸いかけの煙草を口から外すと、コンクリートの上にぎ、と彼はそれを潰す。そして上着のポケットに両手を突っ込むと、リタリットは首を軽く回す。


「ねえ、レベカ女史」


 少しばかり姿勢を前に落とした彼をゾフィーは見上げる。空の白が目に入って、少しばかり鼻がむずむずする。


「オレはアンタが何をダレに懺悔したいのか、さーっぱり判らないんだけど」

「はい?」

「ちっとばかり、オレの話も聞いてくれる? オレの知ってる馬鹿の話なんだけど」

「―――いいわ」

「むかしむかし、あるところに、一人の王子さまが居ました。その王子さまは、王様の一人息子で、下には王女さまが一人居るだけでした。小さな頃から、王子さまは、王様譲りで頭も良くて、お后譲りで可愛らしく、皆から愛されてると思ってました」


 何をいきなり、とゾフィーは思う。しかし彼女はすぐに気付いた。


「―――あなた」

「王子さまにとっては、その頃が一番シアワセでした。だってそうです。誰もが自分を、好きだと思いこんでいたのですから。でも違いました。ある日王子さまは、自分が王様の息子だからちやほやされているというのを知ってしまったのです。まあ気付かない方が馬鹿ですね。でもそれでもまだ王子さまはシアワセでした。だってそうです。王様もお后さまも、王女さまも、まだ居たからです」

「……」

「周りのことも気にはなりましたが、とりあえず王様の期待は裏切らない様にしよう、と王子さまはがんばりました。もともと頭のいい王子さまですから、少し努力すれば、たいがいのことはできたのです。できないまわりを不思議に思うほどに。だけどそんな王子さまをまわりが面白く思う訳がありません。王子さまは次第に周りから自分が遠ざかってるのに気付きました。でも、王様が、家族が、まだ自分の周りには居ると思ってましたから、彼はそのままそんな奴のまま、続けた訳です」


 ゾフィーは淡々と語るリタリットの調子に、ふと寒気を感じた。これは。


「ところがある日、王子さまは一つのウワサを聞きました。自分の妹である王女さまは、実は王様のこどもではないというのです。嘘だと思いました。だってそうでしょう。王様は、王子さまよりも王女さまを好きであるかの様にふるまいます。実のこどもでないのにそれはないだろう、と彼は思ったのです。でも」

「でも?」

「彼ももう子供では無かったので、子供がキャベツから生まれてくる訳ではないことくらい充分知ってました。そしてよく考えてみると、妹が生まれたあたりから逆算する時期には、父親が戻ってきたことは無いコトに気付いたのです。新聞が、それを証明してました。それでも彼は、父親が気付かないんだ、と思いたかったのです。思おうとしました。そしてがんばってがんばって、その国で一番いい学校に、いい成績で、入った訳です。ところが」

「ところが?」

「父親は彼のためにお祝いのパーティを開いてくれました。しかしその席で出会った一人のエライ人が、言った訳です。『君の父親は、女性には興味が無いんだ。だから女性との間に作ってしまった君よりも、奥方が勝手に作ってきた娘の方が他人で可愛いんだ』」

「!」


 ゾフィーは思わず口を手で押さえた。ゲオルギイ首相にその趣味があったことは、確かに裏では公然の事実だった。妻とは家同士の決めた婚約であったことも、その筋ではよく知られたことだった。しかし子供達は。


「嘘だ、と反論する彼に、その男は続けました。『嘘だと思ったら、ちょっとこっちにおいで』男は彼を、迷宮の様なその屋敷の裏へと連れて行きました。そして彼は見た訳です。父親が、自分より少し上か、自分くらいの年の青年と絡んでいる姿を」


 ひっ、とゾフィーは息を呑んだ。


「彼は混乱しました。だってそうでしょう。それまでに努力したことは一体何だったのか。人に嫌われても、とにかくがんばってきたのは、誰のためだったというのか。可愛さ余って憎さ百倍。その男は、そんなエライ人だったくせに、その王子さまに、王様を打倒する革命集団に入ったらどうか、なんて勧めた訳です」

「えらい人……」


 彼女はそんな人居ただろうか、と考える。どうしても彼女にはそれが誰なのか、思い当たらなかった。


「彼は一も二もなくそれにすがりつき、そしてその革命集団とやらで訓練を受けました。それは結構色々なことを教えてくれる親切な組織で、おかげで彼はのちのちそれを色んなところで役立てることができました。例えば牢屋を脱走する時とか。例えば対戦車砲の入っている部屋の鍵を開ける時とか」


 にやり、とリタリットは笑う。


「彼はそこでもやっぱり優等生だったので、その革命集団は彼を使って王様を打倒しようと考える訳です。そこでえらい人は、集団に、彼を都へと帰す訳です。ただし、本当の名前を隠させて。別の身分証明を与えて。彼は学校へ戻りました。だけどもうそこで動くのは学生としてではありません。あくまで革命集団の一員としてでした。そこで、学内の集団を組織するのが彼の役目でした。彼は今度はその役目を一生懸命こなそうとする訳です。そこでも」

「……」

「ところがある日、その役目で近づいた一人の青年が、彼に言う訳です。『何で王様を倒そうとするんだ、王子さま』青年は、彼が王子さまだということを知っていました。彼は青年のことはその時は別に好きでも何でも無かったのです。だけど、その青年があまりにも熱心にそれを訊ねるので、とうとう彼は父親の秘密を口にしてしまったのです。すると」

「すると?」


 リタリットは苦笑する。


「その青年は言う訳です。『そんなに嫌なものなのか? だったら一度試してみたらどうだ』と」


 え、とゾフィーは思わず声を立てた。まさか、そんな。

 リタリットが自分自身のことを延々語っているのは、既に彼女も気付いていた。だとしたら、この青年は。


「彼は青年に、そんなコトができるのか、と訊ねました。すると青年は、自分は別段そういう趣味ではないけれど、王子さまが相手なら、できるかもしれない、と言いました。彼はその言いぐさに呆れ、試してみることにした訳です。―――やってみると何ってコトはない。そこでまた彼は少し迷う訳です。だとしたら、何で自分は王様を憎まなくてはならないのか」

「迷ったの?」

「迷ったの。彼は。何度か身体を重ねるうちに、青年にもその迷いが通じたらしく、青年は、王様を暗殺する計画を、彼には話さなかった訳です。だけど彼はそれにずっと気付かなかった。青年の妹に言われるまで、ずっと」


 彼女は思わず身を固くした。


「彼は、それを聞いて予想される行動の先回りをするしかない、と駆けつけました。青年はそこに居ました。でも時間が無い、と言って、彼を一瞬抱きしめると、そのまま活動に走っていきました。だけどその時、こう言い残した訳です。『だってお前には、できないだろう?』」


 言いそうなことだ、とゾフィーは思った。

 あの兄だったら、そんなことを言いそうだ、と。それが彼女の、尊敬と嫌悪の入り交じった――― そんな部分だった。


「呆然としている間に、学生達は線路に爆弾を仕掛け……その場所は不発に終わった訳です。彼の目の前には、真っ赤な服の、青年が、散らばって横たわってました。彼は人混みに紛れてふらふらと飛び出し、気が付いたら、学生の波に呑まれて水晶街に出てました。何をするでもなく、その場に居たら、軍に取り押さえられて、王子さまは、王子さまという証明もできないままに、牢屋へと放り込まれた訳です」

「……それで…… 王子さまは、牢屋から逃げ出したの?」

「さあ。王子さまサマなんて、そこで永遠に消えたのかもしれない。ただ、彼は、そこで奇妙に、シアワセだったんだよ?」

「幸せ?」

「何をシアワセというのか彼にもよく判らなかったろーけど、彼は、冷たい惑星の上で、誰でも無くなって、やっと手を伸ばして掴んだものが、ひどく暖かくて、気持ちよかったんだ」

「そうなの?」

「そうなの。だけどその温もりが、どーにも最近何処かに行っちゃって、見つからないから、彼は待ってるんだよ。ずっと」

「…………馬鹿ね。確かに」

「馬鹿だろ」

「手が届かなければ、飛び上がればいいのに」

「飛び上がって済むところなら、彼はとっくの昔に飛び上がってるさ」


 雨がいつの間にか降り出していた。


「―――リタリット君」


 次第に強くなる雨の中、ゾフィーはしばらく閉じていた口を開く。雨の音に、雑音混じりのラジオから流れてくる音楽が絡む。その間を抜ける様にして、ゾフィーは言葉を探す。

 何、とリタリットは問いかけた。


「あなた、これからどうするの?」

「さあ、どうしよう。オレにも良く判らねーのよ。アナタこそどうするの? 次の企画? ねえそれでも探したくない、と思ってる奴のことは探さないでおいてやってよ」

「……ええ」


 彼女はうなづくと、濡れた髪の毛をかき上げながら、階段室へと入って行った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?