やがて
彼らは礼拝堂の一番奥に整列し、息のあった歌声を披露してくれている。
「くそー、よく見ねぇねな……二階席を取っておくべきだったか……」
隣に座るラルゴが、苛立ちを隠さずに言う。
あの聖歌隊の中にイソラがいるはずだけど、教会内の明かりはところどころに設置されたロウソクだけ。
雰囲気は出ているのだけど……正直、照明としては心許ない上、ボクたちは最後列に座っていることもあって、イソラの顔は確認できなかった。
特にラルゴとしては、恋人であるイソラの晴れ姿を見られないわけだし。悶々とする気持ちもわかる。
「……うん?」
教会中の人々が聖歌隊の歌に聞き惚れる中、ボクは妙な違和感を覚えた。
パイプオルガンの音色や歌声に紛れてわかりにくいけど、ますます風が強くなっている。
耳を澄ませてみると、時折強い風の音と、ステンドグラスがガタガタと揺れる音が聞こえてくる。
そんなことを考えているうちに合唱は終わり、教会内は大きな拍手に包まれた。
……この後は牧師さんが登場し、創造神エレファト様の言葉を代弁し、一年の締めくくりを行う予定だ。
今年ももうすぐ終わり。本当に色々あった一年だった。
……ぼんやりとそんなことを考えていた時、背後の扉が激しい音とともに開いた。
ボクはとっさに振り返るも、そこには誰の姿もなかった。
その代わり、強烈な風が教会の中に吹き込んできて、ロウソクの火を全て消し去る。
「な、なんだぁ!?」
「お母さん、怖いよー!」
明かりが消え、周囲が漆黒の闇に包まれると、人々の困惑した声が室内に響き渡る。
その直後、ボクは自分の足元が濡れていることに気づく。
「……え、水?」
目を凝らしてみると、床が水浸しになっていた。
まさかと思い、開きっぱなしになった扉を見てみる。そこから猛烈な勢いで海水が流れ込んでいた。
「うわあ!? 水だぞ!?」
「何が起こってるんだ!?」
最後列のボクが立ち上がると同時に、他の皆も海水の侵入に気づいたようだ。
「皆、落ち着いて! 海水はボクが外に追い出すから!」
叫ぶように言って、ボクは海魔法を発動する。
足元に広がった海水を全て持ち上げ、教会の外へ追いやろうとするも……次から次に新しい海水が流れ込んでくる。
ど、どうして急にこんなことに!?
「これは高潮だね。強い風の力で海面が持ち上げられ、波が地上に押し寄せてくる現象だよ……ぐぅっ!」
ボクの隣に並んだルィンヴェルが、一緒になって海魔法で波を押さえつけてくれる。風の力を得た海水の勢いはすさまじく、二人でも受け止めるのがやっとだった。
「アレッタもお手伝いします! んんんーー!」
そこにアレッタも加わり、海魔法使い三人がかりでなんとか海水を外に締め出す。
「うわあーー!?」
安堵したのもつかの間、頑丈なはずのステンドグラスが音を立てて割れ、左右の窓からも海水が入り込んできた。
その水量は先程の比ではなく、とても抑えきれそうにない。
「助けてくれー!」
暗闇の中で押し寄せる海水に、室内は大混乱に陥っていた。
「……ルィンヴェル、どうしよう!?」
「高いところに逃げるのが一番だけど……こうも暗いと身動きが取れない。マール、明かりを頼む!」
「承知しました!」
その時、近くの水中からマールさんが姿を現し、クラゲ魔法で周囲を明るく照らす。
「皆、これは高潮だ! 今すぐ、高いところに避難するんだ!」
明かりが灯ったことで多少落ち着いた人々に対し、ルィンヴェルが声を張り上げる。
「そ、そう言われたって……二階席は人で溢れかえってるぜ?」
「船を使って、脱出できないの?」
すると群衆の中から、そんな声が聞こえた。
「ボク、船を見てくるよ!」
言うが早いか、ボクは壊れた窓から外に飛び出す。
そのまま船着き場まで駆けていくも、そこに広がる光景に思わず息を呑む。
そこには荒れ狂う海が広がるばかりで、船は影も形もなかった。
あれだけあったはずの船は、高潮によって一隻残らず沖にさらわれてしまったらしい。
『ナギサお姉さま! 船はどうでしたか!?』
その時、頭の中にアレッタの声が響く。見たままを伝えると、彼女は言葉を失った。
その事実は速やかに教会内の人々に伝えられたようで、ボクが戻る頃には教会内は再び混沌としていた。
海水の流入は多少穏やかになってきているけど、真冬の海水に浸かり続けていいはずがない。
パニックになった人が海にでも落ちようものなら、それこそ命に関わる。早くなんとかしないと。
「皆さん、落ち着かれてください! 二階席はまだ空いておりますわ!」
その時、頭上から知った声がした。見ると、そこにシンシアとモンテメディナ伯爵様がいた。二人も教会に来てたんだ。
「ほらほらご婦人方! もっと奥に詰めてくださいまし!」
「非常に申し訳ないが、今は緊急事態だ。できるだけ場所を空けていただきたい」
貴族である二人がそう発言したことで、二階席にかなりのスペースが生まれた。
さすがに一階にいる人たちを全員そこに避難させるのは無理だろうけど、希望が見えたことで多少混乱が落ち着いた気がする。二人に感謝だった。
……それから誘導を開始し、まずは二階席に女性と小さな子ども、お年寄りを避難させた。
「なぁ、これ以上は入れそうにないが、俺たちはどうなるんだ」
すると、残った男性たちが不安げな顔をする。
「体力のある男の人は、屋根だよ!」
そんな人たちを見渡して、ボクはそう言い放った。