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4.極彩色の泡(2)


     4.


 ほうきによる飛行は『物体を浮かせる』という基本的な魔法である。この『浮かせられる重さ』は個人の技量次第だが、ハウス・スチュワードのこの新学期の技術測定によると、百キロくらいまでなら問題なく浮かせられるとのことである。

「ううっ……」

 そんなハウス・スチュワードが苦しく感じるということは、つまり――この箒にはハウスの体重を含めて百キロ以上になる重さがかかっていることになる。

「ぐっ、うううう……!」

――と箒の穂先に泡が増えていく。

 これにともなってだんだん重くなって、浮いていられなくなってきた。

(このままだと――まずい!)

 飛行状態を維持できなくなって、石畳になっている地面に叩きつけられる自分の姿が脳裏をよぎった。

「くっ――」

 ハウスは箒の上に両足で乗る。

 そして、近くにある校舎に向かって思いっきり跳躍ちょうやくした。

「ひっ、い……ぐう」

 屋根にしがみついて、必死に這い上がる。

 ハウス・スチュワードは十七歳の少女であって、全身を両腕で支えるような訓練をしているわけではない。飛び移ったとき、身体のあっちこっちを強打している。それでも痛みに耐えて、這い上がれたのは、彼女の強さ――ではない。

 このときの彼女を突き動かしていたのは恐怖だった。

「う、うううう……」

 ハウス・スチュワードは『負ける』という経験をあまりしていない。彼女がしてきたのは常に『余裕のある敗北』である。それは彼女が自信家とか、そういうのではなく、その自負に遜色そんしょくがないくらいには実力があって、自覚がある。

 防犯委員会を任命された(押しつけられた)ときも、防犯魔法が『侵入者』を検知して現場に駆けつけてきた今も、『自分ならば対応できる』という自信と自覚があったからである。制圧したり、捕獲したり、そういうのはひとりの学生である自分の身には余ることだが、注意をうながす程度ならできる。

 彼女のその自信や自覚はある程度の教育環境の元ではぐくまれたものだった。

 ハウスは知らなかった。声をかける前に攻撃してくるような存在がいるということを。

 会話ではなく暴力で解決する存在がいたということは知識にはあった。だけど、そんなものが本当に実在するとは思ってもいなかった。

「うううう……」

 がちがちがちがち、と歯が鳴っている。

 ハウスが今、『侵入者』であるあの少女に対していだいている感情は――恐怖である。

 ぱん! ぱぱん! という風船が破裂するような音が聞こえた。

「あっ……!」

 そこで自分の手元に『杖』がないことに気づいた。さっき、箒から屋根に飛び移ったときにうっかり『杖』を放り出してしまったんだ。さっき破裂したのは木の実だ。

 魔力を与えると膨張して、その魔力によって発光する性質のある木の実。これをハウスが浮かせて操っていた。その状態が途絶えたことで、木の実は箒と一緒に石畳の上に落ちて、破裂してしまったんだ。

 明かりがなくなって、すっかり辺りは薄暗くなっている。

 月明かりがあるとはいっても、夜だ。

(これはまずい……)

 じわりと汗をかく。呼吸が荒くなるのを感じる。

(落ち着いて……落ち着いて……)

 ゆっくりと呼吸をする。

 雨で冷やされた風が吹いていて、寒さを実感できるくらいには落ち着いてきた。ふと見るとふとももの辺りをり剥いていて流血している。

(かなり落ち着いた)

 屈み込むようにしていた姿勢から立ち上がり、屋根の上から下を見る。

 そこからあの少女の姿が見えた。

 石畳の地面の上に立っていて、こちらをじっと見ていた。

「っ」

 胸の奥が絞めつけられるような感覚。そんな恐怖をぐっと抑える。

 きびすを返して、屋根を越えて反対側に移動する。

(――あの『侵入者』は相手にしちゃいけない)

 ハウスは既に気持ちを切り替えていた。

 穏便おんびんな対応ではいけない。

 間違いなく危険人物だ。

 一刻も早く対応しなければならない。こんな感知するだけの防犯魔法ではなく、ちゃんとした防犯魔法を作動させなければならない。






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