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5.極彩色の泡(3)


     5.


 魔法による暴力行為。

 これは原則として禁じられている行為ではあるものの、一方でこれに関しての特別な項目がある。それは『自身の命を脅かすほどの緊急事態の場合に限りはその限りではない』という一文である。

 実例にもとづいて要約すると、『魔法を「身を守る手段」として使用する場合に限って認められることもある』というものだ。これがどのくらいの『緊急事態』で『身を守るため』なのかは明確な基準がない――それこそ、『これなら正当防衛で通る』と思っていて抵抗したら逆に処罰を受けたみたいなこともある。

 ハウス・スチュワードの現状を見た場合、これがどんなふうに判断されるかはわからないが、少なくとも危険な状態にあるとは言えるのは確かである。

 それでも――ハウスはこの状況でも魔法による『防衛行為』を行わなかった。

『人に魔法を向けるなんてとんでもない』というハウスの価値観があるからである。あるいは信条のようなものかもしれない。

 だから、ここで彼女が取った行動は『防犯魔法を作動させる』というものだった。

 ひと言で防犯魔法と言っても種類がある。

 侵入者の存在を感知したのも防犯魔法のひとつだが、アラディア魔法学校には『アミュレット』という防犯魔法も設置されている。

 言葉としては『お守り』みたいな意味合いの代物で、鉱石こうせきがネックレスようになっているものや、鉱石そのものを壁に埋め込んでいるものもある。

『アミュレット』は日付や時間帯、その人物の行動や脈拍や心拍数など、あらかじめ決めた情報と比較ひかくして、それに該当しない場合に防犯魔法が発動するというもので、侵入者の存在を感知した防犯魔法とその辺りの仕組みはほぼ一緒だが、最大の違いは『周囲に爆音と閃光を発生させて緊急事態を報せる』というところである。

 防犯魔法の中には対象者を攻撃するようなものもあるが、アラディア魔法学校にあるのは非致死性魔法である。

 この防犯魔法『アミュレット』を発動させれば、打ち上げ花火が地上で爆発したような閃光が放たれ、爆音が響き渡るようになる。

 これを発動させれば、寄宿舎から職員が飛んでくる。


(あんな危険人物と対峙するのは、もうやめだ。防犯魔法を作動させる――)

 ハウスはそちらに意識を切り替えていた。

 今ハウスがいるのは別館の屋根の上。この別館の一階にある二ヶ所の出入り口に防犯魔法『アミュレット』がほどこされている。どちらを目指すにしても、一度この屋根の上から降りなければならない。

「う、うう」

 がらがら、と屋根板が不安定にふらつく。なんたって四階建ての建物の屋根の上である。屋根に手をついて踏ん張る。

 普段はほうきで飛んでいる高さだが、今は自分の足で立っているのだから状況が違う。

 怖いものは怖い。

 かたんっ――と後ろのほうで足音が聞こえた。

「ひぃ……っ!」

 振り向くと、『侵入者』がよじ登ってきていた。

 四階建ての建物をよじ登ってきた? 方法はわからないが、さっき空中で跳躍した手段を使ったのだろう。あの泡……。あれがどういう魔法なのかハウスには皆目見当がつかない……。そもそも――それさえわからない。

(あの極彩色ごくさいしきの泡はただの泡ではなく、質量を持っていた)

 ならば、可能なのか? あの泡を足場のようにすることは。

 かた、かたんっ――と、一歩一歩と迫ってくる『侵入者』。

 いちいち臆している場合ではない。

 たんっ――と、ハウスは意を決して屋根から飛び降りた。

 十メートル以上の高さ。ハウスの身体はそのまま石畳に向かって落ちていく。

 ふわり――と、ハウスの身体は風船みたいに浮力をもって、そのままゆっくりと地面に着地した。

 普段はほうきを操ることで飛んでいる。魔法を使うときに『杖』などを用いるのは頭の中で切り替えるためだ。『杖を使っているとき』は『魔法を使うときである』とすることで、日常で魔法を誤爆するのを防ぐためである。

 なので、別に『杖』はなくても魔法は使える。

 使うだけなら、使える。

「っ⁉」

 怪我しないように緩やかに石畳の上に着地して、屋根を見上げた。

『侵入者』は――既に跳んでいた。

「…………っ!」

 ハウスは慌てて走り出す。

 この建物を回り込んで入口まで行けば、そこには防犯魔法『アミュレット』がぶら下げられている。

 とんっ――と、背後で着地するような音が聞こえた。

 思わず、振り返ると、『侵入者』は――ほんの数歩で一気に距離を詰めてきていた。

(十メートルの高さを飛び降りて……っ! 怪我がないっていうの⁉)

 そして、右手の人差し指をこちらに向けていた。

「うううう――……あ――ああああああああっ‼ ああああああああああああ――っ‼‼」

 ハウスの絶叫。それに紛れて『かちん』という音は掻き消されて聞こえなかった。

 ハウスは身の危険を感じて魔法を使った。

 いや、正確には魔法になる前の魔力を放出した。気が動転して振り回した両手から放出されたのは半透明の光っているエネルギー体。それを

 このときに発生した衝撃でハウスと『侵入者』の身体はそれぞれ吹っ飛ばされて、石畳の上に叩きつけられ転がる。

「く、ぐぐっ……!」

 雨で濡れている地べたに這いつくばりながらハウスは顔を上げる。

 その先にあるのは別館の出入り口のひとつ、その扉の傍らに防犯魔法『アミュレット』がネックレスのようにぶら下がっている。

「はあ……、はあ――っ」


 身体を起こして、ハウスは――『アミュレット』を掴んだ。


 防犯魔法『アミュレット』が作動した際の実験には何度か立ち会ったことがある。

 その威力は知っている。

 閃光は眩しくて周りが見えなくなる。目を開けているのか閉じているのかわからなくなるくらいに。音だってそうだ。キィィ――と小さな音みたいなものが耳鳴りのように聞こえて、それ以外は何もわからなくなる。

 それを至近距離で受けることになるのはハウスだが、防犯魔法が発動するということは間違いなく助けを呼ぶことにつながる。


 何も起きなかった。


「…………え。な、な……?」

 なんで、発動しない?

 しっかりと握っているのに反応がしない。

(古い代物だから故障?)

 いや、過去には整備不良でそういうことは何度かあったが、生徒会がそれらのチェックと備品の交換を行うようになってからは防がれている。防犯委員会なんてそれが目的で設立された委員会といっても過言ではない。

――

 焦る気持ちがすっと落ちる。

 落ち着く。自分たちがしてきた仕事に自信があるからこそ、だ。

(偶然なんかじゃない。不良品なんかじゃない)

 こんな都合の悪いことばかりが起きるわけがない。

 適当な仕事をしていないという彼女の自信が、その混乱を落ち着かせる。

 これは整備不良や故障や不良品なんかじゃなくて、


 これには偶然ではなく、必然である。

 そう確信した。


 ひとつに気づけば、次第に視野が広くなる。握り締めている防犯魔法『アミュレット』のすぐ傍にある扉がちゃんと閉まっていない

 ハウスはその扉の先にいると確信している人物に向けて言う。

鳩原はとはら那覇なはね」

「…………どうしてわかったんですか?」

 やや沈黙の末に。

 扉の向こうからそう返答があった。

 その質問にハウスは短く答えた。

「考えたからよ」






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