「……ちょ、ちょっと何出て行こうとしているのよ!」
出て行こうとする聡の腕を掴んだのは、瑞希だった。
瑞希は聡の実力を分かっていた——分かっていたからこそ、さっきの攻防がとても気に食わなかったのだ。
「……何だよ」
不服そうな表情を浮かべる聡に、瑞希はさらに話を続ける。
「何だよ、じゃないのよ。あんた……これで良い訳?」
「良いか悪いかといえば良くないだろうね。けれど、決まってしまった以上は致し方ないと思う。ぼくの実力が弱くて、あっちの実力が強かった。ただ、それだけのことだと思う」
いやに達観している聡を見て、瑞希は何も言えなかった。
「何よ、それ……。何よ……」
「擁護しているところ悪いけれど、彼が言っていることは事実でしょう?」
畳み掛けるように、エーデルワイスは言った。
エーデルワイスはソファに腰掛けて、マリアから受け取ったボトルから何かを飲んでいる。おおかた、スポーツドリンクの類だろうがそれについて今気にかけるべきポイントではないことは事実だ。
「真剣勝負だった。そこに不正も何もない——そもそもオーディールの戦いでそんなことは出来やしないことぐらいは、同じパイロットであるあんたでも分かっていると思うけれども。……いずれにしても、わたしが勝ってあいつが負けた——ただそれだけのこと。それ以上でも、それ以下でもない」
「さっき面白くない、とか言っていなかった?」
マリアの茶々を聞いて、小さく溜息を吐く。
「言ったけれど、それとこれとは話が別。面白さと勝ち負けは別だから。負けた試合でも十分に面白い試合だってあるぐらいだし。それはどんなスポーツだって言える話でしょう?」
「スポーツとこれを同格にしてもねえ……」
「一緒でしょう?」
マリアのツッコミに、無垢な笑みで答えるエーデルワイス。
彼女には全くの悪意はない。されど、言葉の意味を完全に精査してから出している訳ではない以上、その言葉が誰かを傷つける可能性がある——と言うことを考慮してはいない。
「……いずれにしても、疲れた。少し休ませてもらおうかしら」
エーデルワイスはそういうと、シミュレートルームから立ち去ろうと歩き始めた。
「たった一回のシミュレーションでバテたの?」
瑞希のその言葉は、ある意味駆け引きに近しいものだった。
アメリカからわざわざやってきたパイロットはスタミナ不足だった——なんてことを、少しは言いたかったのだろう。
しかし、それを意に介さず、
「……あなた、アメリカからどれぐらい飛行機に乗ったとでも? それだけではなくて、時差もある。いくら屈強な存在であったとしても、それを乗り越えることは難しいと言えるぐらい……。少しぐらい疲れても、それは致し方ないと思っているのだけれど。それとも、あなたは海外に行ったことがないのかしら? それは可哀想に」
そう言い放って、エーデルワイスは帰っていた。
瑞希は、それに何一つ言い返せなかった。
◇◇◇
エーデルワイスのために用意された部屋にて。
「……何故あのようなことを?」
「あのような、って?」
マリアはエーデルワイスの放った言葉を聞いて、深い溜息を吐く。
「老人たちの言葉を覚えていないのですか?」
「彼らが言っているのは、自分の目的を遂行したいためだけのこと。それ以上でもそれ以下でもない。それを実行する人間の心なんて何一つ考えてなどいない——これはあなたが言ったことだと記憶しているけれど?」
「……こう言う時だけ御託を並べて。一体誰を見て育ったのかしら?」
「さあ? 誰かしらね」
エーデルワイスは素知らぬ顔でそう言うと、テーブルの上に用意されたグラスを見る。
「……またこれを飲まないといけないの? 流石にきついんだけれど」
「我慢言わないの。それを飲まないといけないのは、あなただって分かっているでしょう?」
グラスの中には、薄緑の液体がその半分ほどまで満たされていた。
「……これを飲まないといけないことぐらい、分かっているわよ」
そう言って、覚悟を決めたエーデルワイスは、グラスの中をぐいっと飲み干した。
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、エーデルワイスは深い溜息を吐く。
「全く——慣れないわね、これは」
「慣れてたまるものですか。それぐらい、あなたが一番分かっているはずでしょう」
「……マリア」
「うん?」
「あなた、一体どうしていきたいの?」
エーデルワイスの問いに、マリアは首を傾げる。
言っている意味が分からない——のではなく、何故そう言ってきたのかが分からない。そういった感じだった。
「どうしていきたい、って?」
「……ずっとわたしの管理だけで生きていくことだって、出来やしないでしょう? これが続くのも今の特需があるからで、オーディールが使えなくなる時だって——いつかはやってくるはず。違う?」
「それは……」
「分かっている結末ならば、それは変えたほうが良い。わたしだって、あなただって、きっとそう思っているはず。けれども、老人たちはいつまでもこれを続けようとする。彼らにとって、襲撃者が居なくなった後のことなんてどうだって良い。この外からの戦争によって生み出された特需を享受し続ければ良いだけの話。……だけれど、そんなことが一生続く訳がない。有り得ないのよ、そんなことは」
「エーデルワイス……」
「狂っているかしら? 分かっているわよ、それぐらい! だけれど、だけれど、このままじゃダメなことぐらいも——」
エーデルワイスの言葉が、唐突に打ち切られた。
理由は簡単で——エーデルワイスが急にぐったりとして、寝息を立ててしまったからだ。
マリアの右手には、いつのまにかペン型の注射器があった。
「……珍しく興奮していたのね。もしかして、外部との戦闘で色々とパラメータが変わってしまったかしら?」
マリアは冷静に状況を解析する。
そして、エーデルワイスをソファの上に横たわらせた。
「……今は、そんなこと考えなくていいの。ゆっくり、ゆっくりと眠りなさい……」
そして、マリアはエーデルワイスから離れていった。