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八十話 「誰?」



 僕の人生において、こんな経験は初めてだったと思う。


 かと言って僕の人生には特に価値がないと、自分では思っている。

 大半は奴隷商人と暮らし、最近やっとあの生活が異常だったと理解した僕だ。

 そんな僕が、初めての経験をした。

 きっとご主人様でも体験したことが無いだろう。そんな事を。



 ――『たすけて』



 耳がおかしく無ければ、そう聞こえた気がした。

 僕は作戦の為、配置についていた。

 僕の配置は貧民街近く、都市の端側に存在する位置だ。


 荒れた場所だった。

 栄えている場所を見ているからこそ、荒れている場所との落差が酷いと思った。

 だが、そんな中。


 僕の背後、貧民街の奥側から聞こえてきたのだ。


「………」


 幸い、まだ作戦開始の合図は来ていない。

 行っても、良いのかな。


 正直、その『たすけて』と言う声も僕の聞き間違い、空耳の可能性だってあるし。

 いま持ち場を離れるのは、作戦に支障が出てしまうかもしれない。

 でも。救えたかもしれないソレを知っていながら見過ごすのは。

 きっと、ご主人様なら許さないと思う。


「僕の連絡用の魔石、送信も出来れば離れるって言えるんだけどなぁ」


 僕の首に掛けられたペンダント。そこには緑色の魔石が埋め込まれている。

 これは連絡用の魔石だ。

 だが、受信しかできず、こちらから何か送る事は不可能だが。

 もしこれが送信も出来る魔石ならどんなに便利か。

 まあでも通信用魔石は希少な物だから、正直仕方がないよね。


「………」


 どうしたものか。


「……行くか」


 僕は貧民街の奥地に向け、足を進みだした。



――――。



 かといって、その『たすけて』と言う声が何かしらの間違いの可能性もある。

 間違い。誤解と言う奴だ。

 だからまずは様子見だ。

 確かに聞こえたけど、『たすけて』が響いたのは一度だけ。

 そしてその声色は子供の様だった。

 もしこの声が男の人の情けない声だったら、僕は行っていないかもしれない。

 何故ならそれは、情けない声を出す男の人は、基本的に自業自得だからだ。


 それはまぁ、奴隷時代の知恵だ。


 でもさっき聞こえてきた声は甲高い女の人、と言うか幼い子供の声だった。

 幼い子供が、こんな貧民街の奥に居る。

 それだけで心配だ。

 もしかしたら人攫いにあっているのかもしれないし。

 貧民街で迷子になってしまっているのかもしれない。

 かといって僕もまだ9歳だけど、これでも僕は普通とは違う。


 普通とは違う世界で生きて。

 地獄を見たと、自分で自称できる。


「………変わったな。僕も」


 変わった。

 ご主人様と全てを語ってから、僕は昔の僕も好きになっていた。

 好き。と言うのは語弊があるかもしれないけど。

 なんというか、無理して消そうと思わなくなった。

 いらない過去、消したい過去だった筈なのに。


 ご主人様に全て話してから、僕にとっては大事な思い出になった。


 いい思い出ではないけど。

 今の僕を形成するのに、必要不可欠な大事な思い出。


「――――」


 あの日、僕は言われた。


『もうご主人さまもやめて、ケニーとかで良いのに』


 ご主人様にそう言われたけど、やっぱり僕はその呼び方を変えたくなかったし。

 僕にとって始まりの名前だったし。

 それに――。

 今までずっと、奴隷と主人と言う主従関係だから言っていた。


 そこに、ケニー・ジャックに。

 あの日全てを語ってから。

 聞いてから。

 僕は、ケニー・ジャックに尊敬を感じるようになった。


 今までは家族ってより、本当に奴隷とご主人さまって認識だったけど。

 今は違う。

 家族でもないかもしれないけど。

 家族に近い、何かになれた気がするんだ。

 難しい話をしてしまったけど、言いたいことは一つだけ。


 ――前を向くって、素晴らしい事だ。


「っ」


 そこで僕は、探していた人を見つけた。

 荒れた土地、草が生い茂っている石垣に背中を付けて。

 白、桃色に近いかもしれないその髪と。

 白いヒラヒラの服を纏った。

 ――この場所に場違いなほど綺麗な、天使のような少女がそこに倒れていた。


「だ、大丈夫ですか……?」

「………」


 返事は無い。

 気を失っている様だった。

 体温はちゃんとしてる。顔的に女の子で、僕くらいの歳の子だ。


「……うーん」


 周りを見回してみたけど、特に人はいなかった。

 無人のその場所で、どうしてこの子はここにいるのだろう?

 それに、さっきの『たすけて』の声は。この子なのかな。


「……どちらにせよ、ほっとけないよね」


『――目――――点―見受――――い』

『――した――――警――――――う』


 よし、やるか。と口に出して。

 僕はとにかく、治癒魔法をかけてみた。


「――世界のマナよ、人の痛みを癒やし、清らかな加護を宿らせろ」


 詠唱を言うと、淡い光が少女を包み。

 その瞬間。僕は言った。


「――【魔法】ヒール」


 一瞬、淡い光が強く輝き。それは少女の体を包み込んだ。

 ヒールと言うのは主に外面しか治せないけど、もしかしたらと言う憶測で。

 やらないよりやっといた方がいいだろうと言う考えで使用した。


 予想はしていたけど、少女は目覚めることは無かった。

 と言うか、こんな髪色の子初めて見るかもしれない。

 白なのか桃色なのか、その間なのか分からないけど。

 それに、物凄く整えられている。

 迷子……なのだろうか。

 どこかの貴族の子供さんで、ここに迷い込んだのかもしれない。


 そう考えていくと、やはり僕は置いていけなくなった。

 でも。


『――男が遺言書を話題に出した。所定の位置へ移動する』

『――了解です。各位、所定の位置へ移動しなさい』


「あ……」


 え? このタイミングで。

 ど、どうしよう。

 戻る? でも、この子を放っておけない。

 もし本当に、この子があの『たすけて』の主だったら。

 この子が助けを求めていたなら。


 どうすればいいんですか、ご主人様?


 か、担ぐにしても小さい僕にはまだ担げなかった。

 近くに居る所で何も出来なかった。

 元々勝手に位置から移動したんだ、怒られるに決まっている。

 僕のせいで、作戦が失敗したら?


 人間の脳は五秒経つと、言い訳がいくつも浮かんでくるらしい。

 今のアーロンを説明するなら、それだ。

 葛藤。葛藤葛藤葛藤。


 結論、置いていく事になった。


 と、とにかく。誰かに見つからないように少し影の場所へ移動させて。

 出来るだけのカモフラージュをしてから。


「ごめんね。後で、絶対に戻ってくるから」


 僕だけではどうしようもできないのは確かだった。

 僕にもう少し力があったりしたら担いで連れて行ったかもしれないけど、それすら出来なかった。

 力が無かった。

 ごめん。無事で居て。


 アーロンは走り出した。


「………」


 これで、良いのだろうかと離れてから感じる。

 背徳感と言うのだろうか、

 でもだからと言って。僕には何も、どうしようもできない。

 僕に力が無かったせいだ。

 もっと、強い人が居れば。

 ご主人様なら、サリーさんなら。


「――――」


 悔しいけど、こうするしかなかった。

 ここでの正しい選択なんて分からなかった。

 仕方がなかった。とは言えないけど。

 どうしようも、出来ないんだ。


 その瞬間だった。

 自分に言い訳をして、とにかく御託を並べていた時。

 僕の前方から、眩しすぎる閃光が走って。


「え――――」


 巨大な爆発音が轟き、熱い風が前方から強く吹いて来た。


「あっつ!?」



――――。



 そこからの事は、良く覚えていない。

 その熱風と衝撃はで足を踏み外した僕は、少しの間意識が朦朧としていた。

 その時だったと思う。


「あぁ――」

「………誰?」


 僕じゃない声だった。

 だが、右耳から囁くような声で聞こえてくるそれに。

 動かない体で寝そべっている僕は、衝撃を受けた。


「もうすぐここらは血の地獄になる。こんな時に逃げ出すなんて、お前も俺らが嫌いなんだな」

「――――」


 聞いた事は無い声だけど、その声は悪役の声だとすぐ気づいた。

 視界に写す事は出来ないけど、少しだけ黒いオーラを感じた。


「行こうメロディー。奴らが時間稼ぎをしている間に準備を進めるんだ」

「……あの子は、誰?」

「………あの、寝てるガキか。知らないよ。ただの第三者、関係のない一般人」


 不思議と、曖昧に聞こえてきていた筈のその言葉が。

 僕の悪口となると、嫌なほど鮮明に聞こえて来て。


「それかぁ」


 その男の言葉が、鋭く、深く、根強く、黒く刺さった。


「ヒーローになり損ねた、落ちこぼれだろうな」

「――――そう」


 気づいた事があった。

 男と会話をしている人は、『たすけて』を言った声と似ていたのだ。

 それでやっと理解できた。

 だから、つまり。

 僕は守れなかった。


 あの少女は今、悪い奴に連れていかれそうになっている。


 でも、僕は動くことが出来なかった。

 頭で理解して、後悔して。

 だから僕は、とても痛む腕に力を込めて。

 声を堪えながら勢いよく息を吸って――。


「……何見てんのさ」

「………」


 その男の第一印象は赤い瞳だった。

 黒一色の、カッコイイと捉えることもできる服で、足元まで伸びてる服の丈が地面を擦って。

 ご主人様から聞いた話通りの男が、あの少女を連れて。

 メロディーと呼ばれていた少女を連れて――。


「行こう、終わりの時だ」

「……はい」


 僕はこの出来事を忘れる事は無かった。

 結局何もできず、何もなしえなかった自分を一生忘れられない。

 無力感、寂寥感。後悔。

 結局、一度も僕は言葉を発する事無く。



 ドミニク・プレデターは、メロディーをまた攫ったのだった。



――――。



 起き上がったのは、それから数分後だと思う。

 重い頭を持ち上げて、今更立っていいのかと迷ったけど。

 でも、僕は立つしかなかった。


「……」


 気分はもちろん最悪だった。

 やらかしたのだ。戦犯をしたのだ。

 さっきの爆発だって、原因不明だし。

 あの爆発で魔石が割れたから、今の状況が分からなかった。

 思っていたよりあの爆発の衝撃波が大きかったのかな。

 気絶するくらいだから、そうだよね。


 僕は歩いた。


 覚えている道を戻って、そして。



「――時間稼ギノ、成功ダ」



 その場面に、出くわした。



――――。



「――始めよう。終わりを、始まりを」


 中央都市アリシア:中央エリア『アリシア像』

 その場所は既に、血の海と化していた。

 昨日まで盛り上がっていたその場所には、既に屍の山が築き上げられており。

 死屍累々とした雰囲気の中、その数人の集まりの中心に居た男――。


 男、ドミニク・プレデターは笑った。


 数々の幹部を揃え、その場にひれ伏す老若男女に向け。


「メロディー。君の出番さ」

「……すきに、してください」

「はなからそのつもりさ。あまり子供に乱暴はしたくないんだけどねぇ」


 ドミニクはメロディーに、自身の杖を向けた。

 白い杖だった。骨のような見た目だが、すぐに折れてしまいそうな杖。

 杖を、少女の体へ向け。


「――世界のマナよ、祝福を受けし少女を媒体とし、黒く、正義を壊す結界を授け給え」

「――――」

「――【禁忌】黒結界ブラック・フィールド


 始まろうとしていた。

 中央都市アリシアを全て巻き込み、全てを壊す魔法を。

 狂わし、壊し、流し、赤く染めてしまう最悪が。





 ――『たすけて』





 余命まで【残り●▲■日】



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