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第14話 ユキの運命の番

「魚って見てるとお腹空くよね!」


「……ユキ前も同じ事言ってたよな」


ユキの家で居候を始めてから2ヶ月。

体調が戻ってきた俺は2人に連れられて念願の水族館に来ていた。


以前と変わらない神聖な雰囲気の館内は外界とは時間の流れまでもが異なると錯覚させるような……。

寄せては返す波に似た空気が建物全体を優しく包んでいた。



「あれ?晃は?」


「えっ?そう言えばいないね」


平日の昼間。

人の少ない館内で迷う可能性は低い。


「あれじゃない?クラゲ。見たいってずっと言ってたじゃん」


「ああ……」


それにしても一言くらい声かけてくれてもいいんじゃない?

なんて思いながら今来た道を引き返す。


確かクラゲは入り口から程近い場所に展示されていたはずだ。


「あ、いたいた」


あの日と同じ場所で背を向けて熱心に水槽を眺めている晃。


変わらず広く大きな背中だけど

少し痩せたように感じるのは気のせいでは無いだろう。


ここしばらく仕事が忙しいようで実は今日会えたのもずいぶん久しぶりだ。


「ぼく飲み物買ってくるから晃と待ってて」


「わかった」


ユキの軽快な足音を聞きながら俺は晃の横に並んでクラゲの水槽を一緒に見上げる。


頼りない影を落とす儚げに見える生き物は

確かな生命力を誇示するかのように力強く動き回っていた。


「匠」


不意に呼びかけられ声の主を見遣る。

晃は水槽を見つめたままだ。


「俺、匠に子供が出来てたって分かって

震えるほど嬉しかった」


「え?」


「もう匠の身も心も誰にも触れさせたく無い。」


「晃……」


「俺の運命の番。どうかずっと一緒にいて」



そう言うと晃は俺に向き直り手を取った。

その目は見た事無いほど真摯に俺だけを見つめている。



喜びと痛みと戸惑い。


直人を忘れられないままなのに揺らぐ心の正体を自分はもう知ってる。



けれどそんな気持ちの全てが運命の番という本能に抗えない結果だとしたら?

それで結局うまくいかなかったら?


そんな事になるのならこの先自分と子供だけで生きていく方がずっとマシだ。



大切な人に捨てられたばかりの俺は晃の言葉さえ素直に信じることが出来ないでいる



黙っている俺を見て晃は言いかけた言葉を飲み込みそっと手を離して水槽に視線を戻した。










水族館からの帰り。

ご飯を食べようと提案したユキに仕事が残っているからと晃は手を振って行ってしまった。


後ろ姿に少し切なくなる。



「少しは晃と話せた?」


「まあ……」


言葉を濁す俺にあまりいい結果ではなかったのだと気付いたユキは俺の肩を抱き駅に向かって歩き出す。


「何食べようか!栄養のあるものってなんだろう」


「悪阻も治まったしユキの好きなものでいいよ」


「うーんナマモノは寄生虫が心配だし塩分や油分があんまり高いと妊娠中毒症が怖いし……」


いつの間にか俺より詳しくなっているユキに笑ってしまう。


「匠、聞いていい?」


「なに?」


「匠はさ、晃と番う気は無いの?」



ユキらしくないはっきりしない物言いはそこまで自分が踏み込んでいいのか考えあぐねての事だろう。


「よく分からないんだ」


「まだ忘れられない?」


「それもあるけど……」


俺は観念してユキに正直な気持ちを話した。


「匠は運命に引き摺られるのが怖いんだね?」


「うん。今自分が持っている晃に対する好意も運命だからであって、好きとは違うんじゃないかって」


そして番った後、晃がその事に気付くのが怖い。


「そっか……」


ユキはニコニコしながら俺の話を聞いている。


「何がおかしいんだよ。これでも結構悩んでんだよ?」


「ふふ……思ったより匠は晃の事を好きになってるなあって」


「え?何言ってんの。俺はまだ直人が……」


「うん。分かってるよ」



ユキはそう言って長いまつ毛をぱちぱちと瞬かせた。


「匠に僕の昔の話を聞いて欲しい。僕にもね、運命の番がいたんだよ。」


「ユキに?!」


「そう」


初耳だ。

俺は驚いてユキを見つめた。



デリを買ってマンションに帰りノンアルコールカクテルで食事をしながらユキは話を始めた。


こんな片手間で聞いていい話なのかと戸惑ったがこれくらい気軽な方が話しやすいと笑うので俺は今生ハムを咀嚼しながら耳を傾けている。


「この前コンビニで従兄弟に会ったって言ったでしょ」


「ああ」


晃と2人怪我をして帰ってきた日だ。


「あの従兄弟が僕の運命の番」


「えっ」


あまり近しい人に運命の番はいないと聞く。

近親婚は遺伝子異常を起こしやすいから本能で避けるみたいだけど従兄弟くらいなら運命になる事もあるのか。


「でも番わなかったんだ」


いつもの気軽な調子でユキは続けた。


「僕が高校1年の時さ、親が従兄弟に勉強見て貰えって家に呼んだんだよね。すごく久しぶりに会ったんだけど顔見た途端に僕が初めてのヒート起こしちゃって。

お互い運命の番って気付いたんだ」


ぐっとカクテルを煽った柔らかい輪郭の赤い唇から感情のこもらない言葉がこぼれ落ちる。


「親が気付いて止めに来た時にはもうガッツリやっちゃってて。それでも止まらないの。運命の相手って凄いよね。」


他人の話をするように淡々と語る様子に俺は固唾を飲んで続く言葉を待った。


「でもさ、その時従兄弟には結婚を約束した彼女がいて……従兄弟は彼女を選んだんだ」


そんな事があるのか。

目の前に運命の番がいるのに。



「運命より強い絆が彼女との間にあったって事?」


「さあどうなんだろ。それならこの前偶然僕に会った時にやり直そうなんて言わないと思うけどね。まあ時間が経って子供も出来たら奥さんに飽きちゃったのかもね」


「そんな……」


勝手すぎる。


「でも僕もその頃晃が好きだったしヒートが終わって冷静になったら首噛まれなくて良かったって思ったよ」


そう言うとユキは俺を見た。



「だからさ、その程度のもんなんだよ。運命の番なんて」


「ユキ……」


「確かに身体の相性は一番良かったよ。あんな気持ちいいセックスは二度と出来ないと思うくらい。

だから気持ちが引っ張られる事もあるだろうけどそれだけじゃないだろ?」


「そうなのかな……」


「そりゃ会った時たまたまお互い好きな人がいなければきっと上手くいくよ。相性は最高なんだから。でも……」


「でも?」


「それだけじゃダメなんだよ」



「……ユキはさ、この前従兄弟に会った時どうしてやり直そうって思わなかったの?もしかしてまだ晃が……」


その事も晃に踏み出せない理由の一つだと口に出してみて気付いた。


「晃にもう気持ちはないよ」


「でも……」


「僕ね、初めてのヒートで従兄弟の子供を妊娠したんだ」


「えっ?!その子は?」


「ダメだったんだ。僕の体が保たなくて。結局子宮ごとダメになった。だからもう子供は出来ない」


「そんな……」


「僕は従兄弟の子を産みたくないって思ったからそれで良かったんだよ。産まれても誰も幸せになれないでしょ?だから子宮がダメになったのも子供が怒って持って行っちゃったんだなと思った」


そう言ったユキはニコッと笑って「気を遣わせるから晃には内緒ね」と言った。


「前にヒートの時晃に迫ったって言ったでしょ?ちょっとヤケになってて一回だけでも思い出が欲しいと思ったんだけど。」



「晃は匠の事しか見てなかったよ。本気で匠しかいらないと思ってた。それがたかが運命の相手ってだけの理由だと思う?」


「ユキ……」




それを伝える為に俺にこの話をしてくれたのか。

きっと思い出したくもなかっただろう。

この前従兄弟に会って嫌な気持ちになったばかりだったのに。



「それにね、僕今初めてちゃんと付き合いたいって思う人がいるんだ。βですごく素敵な人」


「そうなの?紹介してほしい」


「うん。落ち着いたらちゃんと紹介してあげる」


そうして気付けば2人とも泣きながら笑ってた。




みんな自分の大切なものを守ってまっすぐに生きてる。

それは凄い事だと思う。

直人だって最後まで優斗への想いを貫いた。

自分のものにならないからと駄々をこねる俺はとんでもなく我儘な子供だったと今なら分かる。


そして最後にわざと俺の心を突き飛ばした。

晃の方へまっすぐに。





幸せになりたいと思う。


いつか直人が俺を見かけた時

間違ってなかったと思ってもらえるように。


ずっと俺だけを思って生きてきた晃に

寄り添ってくれるユキに

生まれてくる子供に



恥ずかしくないように生きて行こうとその夜俺は決心した。



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