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十七節 さいごの三日目。

 三日目、早朝。

 あの日から、三日。


 百日はまだ寝室で眠っている。

 そんな中林道は、一人家を出た。

 目的地は――海堂の家だ。


 戸を叩けば、落ち着いた足音が近づいて出迎えた。

「おはようございます、約束通り、来てくれたんですね」

「はい。おはようございます」

 海堂は普段と変わらない。

 よく見ると少しばかり眠そうだが、朝日が登りきる前なのだから当然だろう。


「絵、間に合いましたか」

「勿論。鈴への手紙も用意できてますし……あとは、前にお願いしたものだけです」

 そうか、間に合ったのか。

 それは完全なる終わりを意味していた。

 延長はないのだと。


「鈴の様子はどうですか?」

「僕にとってはいつもどおりです。まだ、緊張しているみたいですが……」

「あの子、人見知りですもんね」

 軽く笑うと、海堂はそのまま居間へと林道を案内した。


「ジニアの絵、無いようですが」

 壁にできた空白へ目を向ける。

 そこには百日が描いた、ジニアの絵が飾ってあった。

「宝物、ですから……持っていこうかと」

「そう、ですか」

 視線を下にやれば、少ない海堂の荷物が置いてあった。

 テーブルには、一通の手紙と布に覆われた一枚の絵があった。

 どちらも百日に向けたものだ。


「……鈴は、怒っているでしょうか」

「さあ。僕にはなんとも」

「この先が見られないのは少しばかり残念ですが……私は、あの子を信じています。だから……林道さん」

「なんでしょう?」

「最期の我儘、叶えてくださいますか?」

 まっすぐと、穏やかな瞳が林道を見つめた。

 今までの海堂とは違う、澄んだ空気を感じる。


「記念写真を、撮って欲しいのです」

「ええ、勿論」

 林道はそれに応える。

「すぐ現像できるものを選んできました。画質は落ちますが……」

「いえ、十分です」

「……本当に、良いのですね」

「ええ、お願いします」

 穏やかに笑う彼を、林道は写真に収める。

 現像されるまでの間が息苦しくて、胸が痛く感じた。


「どうぞ。それと――」

 林道は鞄から一枚の写真を取り出す。

「此方は、おまけの一枚です」

「ああ……これは、いいものだ」

 あの日、雨上がり夕日をさんに出みた日の写真。

 抱きしめるように、包み込む。

 視界が揺らいだ海堂に、林道は言葉をかける。


「どうして、最期に写真を? それに何故、僕に任せたのですか?」

「やっぱり、忘れられるのは――さみしい、ですから」

 それは海堂の本心で、どうしようもないくらい真っ直ぐな言葉だった。

「それを撮ってくれるのなら、貴方が良かった。林道さん、こう見えても私は……貴方の写真が好きなのです」

 だから、貴方がいい。そう真っ直ぐな目は言っていた。

(最期の最期まで、残酷なことを。百日さんにとっても――僕にとっても)


「さて……鈴が起きる前に、終わらせないと」

「……どう、幕を引くおつもりで?」

「とりあえずは、遠くへ行くつもりです。鈴は気に入った番組は兎も角、ニュースは見ないでしょうけれど、念の為。できるだけ遠くへ」

 最期の旅が、こんな少ない荷物だという事実に、林道は口を噤んだ。


「一人……会いたい子も居ますし。きっと鈴の力になってくれるでしょうし」

「その方には、なんて説明するんですか? この件は、簡単に話せることでは無いでしょう」

「ええ、なので簡潔に。『弟子の面倒を見てほしい』と」

「……貴方らしい」

 どんな人物かは、聞かなかった。

 全部を知っては、この結果を認めることになると思ったからだ。


「林道さん。百日家の放火事件、犯人は私なんですよ」

「はい、知ってますよ」

「……だから、その。私みたいな人間じゃない、ちゃんとした大人に……鈴の傍に居てほしい」

 少し悩んだあと、海堂はハッキリと伝えた。

「林道さんに、傍に居てほしい――鈴のこと、よろしくお願いします」

 そう言って、海堂は深く頭を下げた。

 林道は、なんと答えるのが正解か分からないながらも、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「ええ……はい。前からの約束、ですから。任されてしまったからには、僕も暫くはこの町に居ないといけませんね」

「林道さんならそう言ってくださると信じていました。……狭い町ですが、此処にきっと、貴方の求める情報は有るはず。だから――色んな人と出会ってください」

 そう、言い終わると海堂は荷物を手にし、立ち上がった。


「それでは、さようなら。林道さん」

 林道は背中を向けたまま答えた。

「さようなら、海堂さん」

 返事は――無かった。


 林道が家に戻ると、丁度目を覚ました百日が出迎えた。

「林道さん……おはよう、ございます」

「ええ、おはようございます」

 林道のぎこちない笑顔を見ると、百日は一度俯いたあと、向き直る。

「今日まで、此処に居るんでした、よね。洛さんが掃除で疲れて迎えに来られない可能性もある、から……」

「はい、明日には帰れますよ。少しはこの家も気に入ってもらえたでしょうか」

「うん。ベッド、ふかふかだった。家はお布団だったので……なんか新鮮でした」

「それは良かった」

 他愛のない会話。

 何方も、意図的に海堂の話題を避けた。

 百日も、迎えに来ないことはなんとなく分かっていた。

 それでも尚、家に帰るまでは、信じたくなかった。


「さて、朝食の用意をしますから、百日さんは着替えて待っていてください」

 その言葉に百日が頷いたのを見ると、林道はキッチンへと向かおうとした。

 しかし、少し躊躇いがあった。


 だから、一言付け加えた。

「今日は、家でゆっくり過ごしましょうか」

 海堂と出会さないように。

 あの人が、どこまでも遠くへ行けるように。

 さいごの三日目は、そうして過ごした。

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