三日目、早朝。
あの日から、三日。
百日はまだ寝室で眠っている。
そんな中林道は、一人家を出た。
目的地は――海堂の家だ。
戸を叩けば、落ち着いた足音が近づいて出迎えた。
「おはようございます、約束通り、来てくれたんですね」
「はい。おはようございます」
海堂は普段と変わらない。
よく見ると少しばかり眠そうだが、朝日が登りきる前なのだから当然だろう。
「絵、間に合いましたか」
「勿論。鈴への手紙も用意できてますし……あとは、前にお願いしたものだけです」
そうか、間に合ったのか。
それは完全なる終わりを意味していた。
延長はないのだと。
「鈴の様子はどうですか?」
「僕にとってはいつもどおりです。まだ、緊張しているみたいですが……」
「あの子、人見知りですもんね」
軽く笑うと、海堂はそのまま居間へと林道を案内した。
「ジニアの絵、無いようですが」
壁にできた空白へ目を向ける。
そこには百日が描いた、ジニアの絵が飾ってあった。
「宝物、ですから……持っていこうかと」
「そう、ですか」
視線を下にやれば、少ない海堂の荷物が置いてあった。
テーブルには、一通の手紙と布に覆われた一枚の絵があった。
どちらも百日に向けたものだ。
「……鈴は、怒っているでしょうか」
「さあ。僕にはなんとも」
「この先が見られないのは少しばかり残念ですが……私は、あの子を信じています。だから……林道さん」
「なんでしょう?」
「最期の我儘、叶えてくださいますか?」
まっすぐと、穏やかな瞳が林道を見つめた。
今までの海堂とは違う、澄んだ空気を感じる。
「記念写真を、撮って欲しいのです」
「ええ、勿論」
林道はそれに応える。
「すぐ現像できるものを選んできました。画質は落ちますが……」
「いえ、十分です」
「……本当に、良いのですね」
「ええ、お願いします」
穏やかに笑う彼を、林道は写真に収める。
現像されるまでの間が息苦しくて、胸が痛く感じた。
「どうぞ。それと――」
林道は鞄から一枚の写真を取り出す。
「此方は、おまけの一枚です」
「ああ……これは、いいものだ」
あの日、雨上がり夕日をさんに出みた日の写真。
抱きしめるように、包み込む。
視界が揺らいだ海堂に、林道は言葉をかける。
「どうして、最期に写真を? それに何故、僕に任せたのですか?」
「やっぱり、忘れられるのは――さみしい、ですから」
それは海堂の本心で、どうしようもないくらい真っ直ぐな言葉だった。
「それを撮ってくれるのなら、貴方が良かった。林道さん、こう見えても私は……貴方の写真が好きなのです」
だから、貴方がいい。そう真っ直ぐな目は言っていた。
(最期の最期まで、残酷なことを。百日さんにとっても――僕にとっても)
「さて……鈴が起きる前に、終わらせないと」
「……どう、幕を引くおつもりで?」
「とりあえずは、遠くへ行くつもりです。鈴は気に入った番組は兎も角、ニュースは見ないでしょうけれど、念の為。できるだけ遠くへ」
最期の旅が、こんな少ない荷物だという事実に、林道は口を噤んだ。
「一人……会いたい子も居ますし。きっと鈴の力になってくれるでしょうし」
「その方には、なんて説明するんですか? この件は、簡単に話せることでは無いでしょう」
「ええ、なので簡潔に。『弟子の面倒を見てほしい』と」
「……貴方らしい」
どんな人物かは、聞かなかった。
全部を知っては、この結果を認めることになると思ったからだ。
「林道さん。百日家の放火事件、犯人は私なんですよ」
「はい、知ってますよ」
「……だから、その。私みたいな人間じゃない、ちゃんとした大人に……鈴の傍に居てほしい」
少し悩んだあと、海堂はハッキリと伝えた。
「林道さんに、傍に居てほしい――鈴のこと、よろしくお願いします」
そう言って、海堂は深く頭を下げた。
林道は、なんと答えるのが正解か分からないながらも、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ええ……はい。前からの約束、ですから。任されてしまったからには、僕も暫くはこの町に居ないといけませんね」
「林道さんならそう言ってくださると信じていました。……狭い町ですが、此処にきっと、貴方の求める情報は有るはず。だから――色んな人と出会ってください」
そう、言い終わると海堂は荷物を手にし、立ち上がった。
「それでは、さようなら。林道さん」
林道は背中を向けたまま答えた。
「さようなら、海堂さん」
返事は――無かった。
林道が家に戻ると、丁度目を覚ました百日が出迎えた。
「林道さん……おはよう、ございます」
「ええ、おはようございます」
林道のぎこちない笑顔を見ると、百日は一度俯いたあと、向き直る。
「今日まで、此処に居るんでした、よね。洛さんが掃除で疲れて迎えに来られない可能性もある、から……」
「はい、明日には帰れますよ。少しはこの家も気に入ってもらえたでしょうか」
「うん。ベッド、ふかふかだった。家はお布団だったので……なんか新鮮でした」
「それは良かった」
他愛のない会話。
何方も、意図的に海堂の話題を避けた。
百日も、迎えに来ないことはなんとなく分かっていた。
それでも尚、家に帰るまでは、信じたくなかった。
「さて、朝食の用意をしますから、百日さんは着替えて待っていてください」
その言葉に百日が頷いたのを見ると、林道はキッチンへと向かおうとした。
しかし、少し躊躇いがあった。
だから、一言付け加えた。
「今日は、家でゆっくり過ごしましょうか」
海堂と出会さないように。
あの人が、どこまでも遠くへ行けるように。
さいごの三日目は、そうして過ごした。