百日の言葉は、真っ直ぐに盞の胸へと刺さった。
図星だったのだ。
「なん、で……って、おにーさんそんな風に見える? こんなに元気いっぱいなのに」
「『そんな』ですよ、全く元気じゃないでしょ」
全て見透かされていた。
けれど、この本心を口にするのは憚られる。
大人になりきれない醜い嫉妬。
そんなものを、こんな不安定ながらかろうじて生きている子どもには――言えなかった。
心の支えがないからこそ、絵を描き続け閉じ籠もっている百日には、言えないのだ。
「……鈴ちゃんが気にすることじゃないよ。大人の難しーい話に巻き込まれたくないでしょ?」
その言葉に、百日が返した言葉は予想外のものだった。
「僕は、聞きたいです。そりゃあ、他言できない話とかはありますが……今、春花さんから目を逸らしたら――繰り返してしまう、そんな気が……したので……」
「……鈴ちゃん、君――」
この子は、ずっと自分を責めている。
そんなことは分かりきっていたのに。
海堂の失踪は自分のせいだと、責め続けていることなんて――分かっていたのに。
『君のせいじゃない』の一言が言えなくて、それでも百日は盞を真っ直ぐ見ていたことも、気づいていたのに。
誤魔化しても意味がないどころか、逆効果だとよく知っていたじゃないか。
「あの、ね。俺は――」
けれど、言葉に詰まる。
ブレーキをかけているのは、良心じゃない。
ただ、自分自身を認められていないだけなのだ。
盞はただただ崩れ落ちることしかできず、しゃがみ込んだ。
そんな姿からも目線を逸らさず、百日は手を差し伸べる。
「春花さん、僕は……僕のことは気にしないで、話せることだけ、話してくれませんか」
「嫉妬、してました――玲さんに。いや、鈴ちゃん……にも」
恥ずかしくて、恥ずかしくて、あまりにも恥ずかしくて顔が挙げられず、そのまま膝を抱え込んだ腕に顔を埋める。
「……嫉妬、ですか」
百日の声色は何も変わらず、それが反って盞に気まずさを与える。
「迷惑な話でしょ。近所のおにーさん気取りで、代理とか言いながら……どっちにも嫉妬心を抱えていてさ」
盞の自棄的なニュアンスを含んだ言葉は、百日の言葉を閉ざす。
それは、百日自身が最後まで聞くべきだと判断したからだった。
「――羨ましかったんだよ、憧れの人と一緒に居るの。憧れた人から、物事を教わるの」
盞が羨んでいたのは、それだけではなく――後悔もあった。
「俺も、あの人に何らかのアクションを取れていたらさ――変わったのかな。何かが、さ」
盞が憧れたイラストレーターも失踪した。
しかしそれも君谷の言葉から推測するのなら、自分の勘が正しいのなら――蛇の目と関係がある。
(鈴ちゃんが蛇の目に関して知っているとは限らない。……俺だって、最近知ったんだから――自分の目のことを)
「春花さん。僕は、それに対して『大変でしたね』と、言える器はありません」
「……そう、だよね、そりゃ――」
「でも――後悔していることがあるのなら、伝えることはとても大事なこと、なので……その……」
百日は言葉に詰まりながらも、目線を合わせるように、盞が視線を逸らそうとも近づけるように、しゃがみ込んだ。
「話してくれて、ありがとうございます」
「……鈴ちゃん、なんで」
「話すのは、勇気がいること……ですし。僕も、伝えられなくて後悔していることは、山程あります。だから――」
そう、海堂に伝えることができなかった沢山の想い。
それを一つ一つ思い出しながら、改めて口にする。
「だから、ありがとうございます」
そんな百日の姿が、夕日と重なって盞には眩しかった。
(鈴ちゃん……君は、すごいね。決して、強いわけでは無いのに――強くあろうともしていないのに、こんなことも受け止めるなんてさ。俺には……きっと無理だ)
だからこそ、口にできなかった唯一の言葉を伝える。
ずっと伝えることのできなかっった、一言を。
「鈴ちゃん、あのね――洛先生の一件は、俺が思うに君のせいじゃないよ」
「え?」
「洛先生自身が、全てを背負った。だから、君が自分を責める必要はない、というか――望んでないと思うから」
海堂洛は、自らの罪と百日の秘密を抱え、それを消し去るため――隠し通すために失踪した。
それは、紛うことなき事実なのだ。
「洛先生は、君が自責の念に駆られることも分かってたと思う。でも、それでも、全部背負って、全部を隠そうとしたんだよ」
「それって、放火のこと、ですか」
「俺さ、説得力ないんだけど、鈴ちゃんが犯人ではないとずっと思ってた、から」
「……」
百日は少し悩んだあと、盞に返した言葉は――盞の予想していたものではなかった。
「――僕は、犯人みたいなものですよ。だって、ずっと目を逸らしていた。本当は……分かっていた、筈なのに」
「鈴、ちゃん……」
「僕が犯人扱いされた方が、事実から目を逸らせるから……楽だったんです。ただ単に……それだけのことなんです」
百日の後悔は、目を逸らし続けたこと。
楽だから、一緒に居たいから――信じたいから。
「だから、目を逸らし続けた。そして、結果は――こうですよ」
「……そっか」
「はい。だから、僕は描き続けなくちゃいけないんです」
その目は、ただ空を見上げ、鋭い瞳孔で真っ直ぐと――後悔だけを見ていた。
(鈴ちゃんは――強くないし、不器用な子。だから、こうすることしかできなかったんだ)
家に戻り、盞は癖で机に向かうが、精神的な疲れがどっと押し寄せてきていた。
(……眠い。今の状態じゃ、バランス取れないだろうし、寝るのも手だけど――)
「玲さん、部屋も開いてるよー」
「おや、気づいてましたか」
いつの間に家に入ってきたんだか、と盞は呆れつつも、何事もなかったかのように部屋へ入る林道の方へ振り向いた。
「俺、流石に影ちゃんや玲さんじゃなかったら、不法侵入として通報してたよ」
「それは失礼」
「明らかに悪いと思っていない声で。それで、玲さんは何か用事? それとも――」
カメラを向けている林道に、盞は余裕を持った笑みで答えた。
「俺の記念撮影?」
「まさか。カメラの様子を見ただけです」
レンズ越しに盞の様子を見る。
(百日さん……には、何もしていない、な)
余計なことを話されていたら……と林道は警戒をしていたが、その必要はなかった。
「百日さんの件、ありがとうございました」
「いーえー、約束だったからね」
眠気を纏いつつ、普段通りを意識して盞は返答をする。
「……お疲れのようですね。今日はこのままお休みください。僕も帰りますので」
「あー、ごめんね。じゃあ、おやすみぃ……」
盞はふらつきながらもベッドへ倒れ込み、そのまま眠りについた。
「よほどお疲れだったようで……」
林道は一人ぽつり、とこぼすと部屋を去った。