目を覚ますと、見慣れた天井が視界に映る――。
――私は、何をしていたんだっけ……?
思い出そうとしても、何も思い出せない。
何か、大切な相手と会っていたような気がするけれど……。
自室で目覚めた私の手を、駆け寄ってきたお父様とお母様二人から強く握られる。
「メアリー!?」
「目を覚ましたのね!!」
「は、はい……」
どうやら私は、暫く眠りについてしまっていたようだ。
その原因は、自分でもよく覚えてはいない。
直前で何があったのか、断片的に記憶があるだけというか……。
これはもしかして、記憶障害というやつなのだろうか……。
少し不安になりながらも、私は両親を安心させるためもう大丈夫ですと声をかけつつ上半身を起こす。
今日が何日かと聞けば、一月四日とのこと。
たしか私は、一日に遊びへ出かけていたはずだから、恐らく三日間ほど寝込んでしまっていたものと思われる……。
空腹は感じられるものの、特に身体に異常は感じられないし元気そのもの。
もしかしたら、物凄く長い睡眠を取っていただけなのかもしれない。
「メアリー!!」
すると今度は、別の人物が慌てて部屋へと入り込んでくる。
何事かと驚きながら振り向くと、そこには何故か慌てふためいた様子のクロード様の姿があった。
続けてキースやフローラの姿もあり、みな目を覚ませた私の姿に安堵している様子だ。
お父様達に代わって、今度はクロード様に手をぎゅっと握られる。
いつもクールなクロード様が、目じりに涙を溜め込みながら私の顔を覗き込んでくる。
こんな至近距離でお顔を見るのは、何時ぶりだろうか……。
どうやら私は、それだけみんなを不安にさせてしまっていたようだ。
ここは一つ、みんなを安心させる言葉でも言うべきだろうと口を開こうとしたその時だった――。
『戻ったら、ちゃんと自分の思いを伝えるんだよ?』
脳裏に蘇ってくる、私のよく知る声――。
その声は、私にとって一番大切で、一番の理解者で、そして私の……一番の『推し』。
そうだ、私は彼女と約束したんだ――。
消えかけていた記憶が蘇ってくる。
私が目を覚ました理由。
それは、彼女と交わした約束を果たすため――。
クロード様の姿を見て、私は大切なことを思い出すことができた。
湧き上がってくる様々な感情と、感謝の思いを抱きながら、私は手を握るクロード様の手を両手で優しく包み込む。
「……メアリー?」
「ふふ、クロード様。ご安心ください、私はもう大丈夫ですから」
「そ、そうか……良かった、本当に良かった……」
「ご心配をおかけいたしました」
「いいんだ、メアリーが無事ならそれで……」
「ありがとうございます。――それでクロード様。こんな時で言うのもアレなのですが、一つお話がありますの」
「話? ああ、なんでも言ってくれ」
その返事と共に、さっきまで強張っていたクロード様の手がふわりと柔らかくなる。
それを了解の合図と受け取り、私は今の私にできる最大限の笑みとともに思いを伝える――。
「クロード様……好きです。大好きです。だから良ければ、わたくしの婚約相手になってください」
……やっと言えた。
これは私、メアリー・スヴァルトがずっと秘めてきた思い。
そして、小百合が私に託した大切な思い――。
どう言葉にしたら良いのか分からなかったけれど、ずっと募ってきた思いを真っすぐ告げることができた。
だからもう、私は満足だ。
以前は悪役令嬢で、どうしようもなかった私。
それがこんな風に、自分に素直になることができたのは他でもない小百合のおかげ。
――小百合、ちゃんと言えたよ。
だから私は、胸の中で小百合にも言葉を送る。
もう言葉は交わせないけれど、きっと小百合も満足してくれているだろう。
何故分かるかって?
だって小百合は、私自身だもの――。
「……ああ、もちろんだ」
涙を流しながら、クロード様は優しく微笑んでくれる。
もちろんという事は、OKということで良いのだろうか。
安堵と幸福感から、私も自然と笑みが溢れ出してしまう。
これでようやく、お互い本当のスタートを切ることができる。
「……ん? いや、二人は元々婚約関係なのでは……?」
そんな私達のやり取りを見ていたお父様が、訳の分からない様子で首を傾げながら戸惑っている。
そうだった、お父様もお母様も何も知らないのだった。
私達が婚約解消して、その解消を解消するという訳の分からない状態に陥っている事を……。
「これは、説明が大変だな」
「ふふ、ですわね」
何だか可笑しく思えてきて、私とクロード様は同時に笑いだす。
色々な出来事を巡り巡って、ただ元の鞘に収まっただけなのだから。
……でも、ゼロに戻ったわけではない。
様々な経験のおかげで、私達は前よりお互いを理解し、そして本当の意味で認め合う事ができたのだから――。
「メアリー様、良かったです……」
「ほんどうに、よがっだぁ!」
後ろで見守ってくれていた、フローラとゲールも涙してくれている。
ゲールなんて大号泣だ。
二人にも、本当にお世話になっちゃったよね。
いつもありがとう。
「ま、こうなるのは分かってたさ。お幸せにな、お二人さん」
「キース……ありがとう」
そしてキースは、やっぱり複雑な表情を浮かべているけれど、それでも私達の事を祝福してくれた。
キースにも、本当に沢山お世話になってきた。
何かが違っていたら、結果も違っていたのかもしれない。
そう思えるほど、キースは非の打ちどころのない本当に素敵な男性だと思うから。
だから私なんかよりも、きっともっと素敵な相手と巡り会えるに違いない。
どうかキースにも、私なんかよりもっと素敵なお相手が見つかりますように――。
こうして私は、色々あったけれど本当の意味で自分と向き合い、そしてクロード様と無事に再び結ばれる事が出来たのでした――。
◇
冬が過ぎ、季節は春――。
色とりどりの花々に囲まれながら、今日も私は魔法学園の校舎へ向かう。
「おはようございます、メアリー様」
「ええ、おはよう」
この春から、私も二年生に進級した。
だからこうして、初めてできた学園の後輩達と挨拶を交わしている。
「みんな初々しくて、可愛らしいわね」
「そーだな! メアリー嬢とは大違いだな」
ついポロッと独り言を口にすると、どこからともなく現れたキースに茶化されてしまう。
「いつの間に……というか、それはどういう意味ですの?」
「言ったままだが? 去年の今頃のメアリー嬢は、貴族の嫌な部分を煮詰めて濃縮還元したような感じだったからな」
そう言って笑うキースに、私は何も言い返せなかった。
何故なら、全くもってその通りだからである……ぐぬぬ。
でも、このまま言われっぱなしなのも癪だ。
「そんな嫌な女に告白されたのは、どこのどなたでしたかしら?」
「おいおい、そのカードはずるいだろ」
「ずるくはありませんわ。全て事実ですもの」
決まった。完璧なクロスカウンター。
私が勝利を確信していると、キースは突然その顔を耳元へと近づけてくる。
「俺はいいんだぜ? クロードに飽きたらいつでも声かけてくれても?」
そう耳元で囁くと、キースは悪戯な笑みを浮かべて去っていく。
そんなキースの言葉に、私は不覚にも耳まで熱くなってしまった……。
「飽きるって、そんなわけ――」
「ぼ、僕もっ!! 僕も、お待ちしてますからぁ!!」
キースの背中にツッコミを入れようとする私へ、突然大声で謎の宣言をされる。
驚いて振り向くとそこには、右手をビシッと挙げながら宣言をするトーマスの姿があった。
さすがは私の、前世の推し。
二年生になっても、その愛らしさは何一つ変わってなどいない。
絶対に有り得ないけれど、もしも別の誰かを選ばなければならないのだとしたら、キースよりもトーマスの方が可能性は高いのかもしれない……。
「ありがとう。でも、私が飽きるなんて事はないと思うわよ?」
「で、ですよねぇ……失礼いたしましたぁ……」
もしもの話に、あまり価値はない。
私が真実を告げると、トーマスはションボリと肩を落として去っていく。
最初は、トーマスならすんなりと諦めるものと思っていた。
けれど、意外とトーマスも粘り強いところがあった。
でも以前のトーマスならば、こうはならなかっただろう。
つまりこれは、トーマス自身が変化している証拠なのだと、私はこれからもトーマスの事は推しとして応援したいと思う。
そんなこんなで、朝からバタバタしているとあっという間に校舎へ到着する。
廊下を歩いていると、前方にフローラとゲールの姿を発見。
そして二人の他にも、一年生の時に同じクラスだったA子さんや、フローラと同じクラスだった縦ロールちゃんの姿も見える。
「あ、メアリー様! おはようございます!」
「おはようございますわ!」
「わぁー! 今日も素敵ですわぁ!」
私に逸早く気付いたフローラが声をかけてくれる。
それに合わせて、周囲の子達も私に挨拶をしてくれる。
「ええ、みんなおはよう」
だから私も、微笑み返しながら朝の挨拶をする。
するとみんな、何故か同時に胸元を押さえて悶えだすのである。
「ピュアなメアリー様は、やっぱり反則ね……」
「朝から幸せですわ……」
貴族の子達と混ざって、フローラも一緒になって悶えている。
理由はよく分からないけれど、今では彼女達は大の仲良しなのである。
まぁ元々貴族意識の強かった子達だから、こうしてフローラとも仲良くできているのなら良い事だ。
「おはようございます、メアリー様」
「ええ、ゲールもおはよう」
「ところで、恋戦の新刊は入手されましたかな?」
「ふふ、もちろんよ。発売初日に、保存用と合わせて三冊購入済みよ」
「ほぉ、さすがですな。では、続きはまた放課後の感想会で」
「ええ、楽しみですわ」
ゲールと私は、みんなに聞かれないようにヒソヒソと言葉を交わす。
私とゲールは、ロマンス小説仲間を飛び越えて今では完全なる同志。
もう私達の間に性別なんてものは関係なく、深い仲で結ばれているのだ。
深く物語を読み解くゲールの考察のおかげで、元々面白い小説も五割り増しで楽しめるし、何よりこうして好きなものを共有できることが一番嬉しかったりする。
「いた!! メアリーさぁーん!!」
みんなと別れて教室へ入ろうとしたところで、今度は廊下の端から大声で名前を叫ばれる。
振り向くとそこには、案の定クライス様の姿があった。
クライス様は嬉しそうに駆け寄ってくると、そのまま私の腕にダイブするように抱き着いてくる。
クライス様は完全に持病を完全に克服されており、今では元気そのもの。
だから学園へ入学してきて以来、事あるごとにこうして私の元へとやってくるのである。
「おはよう、メアリーさん!」
「ええ、おはようございますクライス様」
「だからやめてよその呼び方は。クライスって呼んでくれていいから」
「いえ、さすがにそれは……」
「そう? じゃあ、ダーリンとかでも僕は構わないけど?」
いやいや、それはもっと不味いだろう。
元気になったクライス様の勢いに、私も対応に困ってしまう……。
でもこうして元気な姿を見られることは、やっぱり喜ばしい事には変わりはないのだけれど。
しかし、この場はどうしようかと悩んでいると、腕を掴むクライス様の頭に背後からチョップが落とされる。
「そこまでだ」
「あいたっ! うわ、兄上かよ……」
「兄に対して、その態度はなんだ」
「うるさい! いいか? 僕はまだ諦めてないからね? 次の魔法実技祭で勝つのは僕だし、そしたらメアリーさんも貰うから!」
「勝手な事を言うな」
「うるさい! バーカバーカ!」
公衆の面前で行われる、王族の兄弟喧嘩。
最後は物凄く子供っぽい台詞を吐きつつ、クライス様は一年生の教室の方へと戻っていく。
そんなクライス様の背中を眺めながら、クロード様は重たい溜息をつく。
ずっとすれ違い、仲の悪かった二人。
今でも仲が悪い事には変わりはないけれど、以前の距離が空いている時とは違い、お互いに思っている事を言い合える仲に変わっている。
そんなお二人の変化は、前よりも兄弟らしくなったように感じられて、私としてはとても微笑ましく思っている。
「すまない、メアリー。クライスの奴がいつも迷惑をかけて」
「いえ、大丈夫ですわ。わたくしも嬉しいので」
「嬉しい? なんだ? それは、クライスに言い寄られる事がか?」
私の言葉に、少し不快そうに眉を顰めるクロード様。
あの日、永い眠りから目覚めた私が告白して以降、クロード様は明らかに変わった。
例えば、これまでずっと感情を表に出さなかったクロード様だけれど、あの日を境にちゃんと感情を表に出すようになった。
だから今みたいに、私の事でクライス様に物言いをしたり、私の言葉を誤解して嫉妬するクロード様の事が堪らなく愛おしく思えてしまうのだ。
「ふふ、違いますわよ」
「では、どういう意味なんだ?」
「言わないと、ダメ?」
「ダメだ」
「どうしても?」
「どうしてもだ」
「だって……わたくしにとってもクライス様は、もうじき弟になるわけですから……」
言わせんな、恥ずかしい……。
さすがにちょっと、自分でも言っていて恥ずかしくなってくる……。
「そ、そうか……それもそうだな、うん……」
クロード様も、分かりやすく顔を赤らめてらっしゃる。
こうして良く顔に出るようになったのも、クロード様に起きた変化の一つだろう。
私は、そんなクロード様と一緒に過ごす時間が大好きだ。
一緒にいても全く飽きない相手なんて、私にとってこの世でクロード様ただお一人なのですから。
「おい、何を笑っている!?」
「いーえ、何でもありませんわ」
「言え! 気になるだろ!」
「ふふ、秘密ですわ。それではごきげんようー」
「お、おい、待て! メアリー!」
この愛おしい時間が、いつまでも続きますように。
私は、今の私を作り上げてくれた小百合の分も、この人生を謳歌したいと思います。
高飛車な悪役令嬢は、前世の「推し」に近づきたい。~完~