止まった足を動かせないまま、二人でその場に立ち尽くして時間が流れるに任せるしかなかった。
そのまま見ているしかなかった俺たちだけれど、異変は微かな震動として体に伝わった。
「地震だ」
そう呟いた時には、激しい揺れが周囲の全てを襲った。
「やばい、下りよう」
「そうね」
凄まじい音が周囲から湧き起こっている中で、スラーナと頷き合う。
激しい揺れは立っていることさえ不可能だけれど、身体能力を上げて無理矢理に立ち上がると、走った。
嫌な予感は急速に積み上がっていく。
それは現実の音となって背後で高まっていき、最後に爆発音となった。
音の衝撃波が背中を押し、俺たちは宙に放り出された。
宙を舞いながら見上げた空は不可思議な色に切り裂かれている。
山の上部が崩壊し、そこから噴き上がる濃厚な青が空にぶつかると様々な色に変化して亀裂を生み出している。
七色の幕が空を幾重にも飾っていく。
奇妙に美しいけれど、見惚れている場合でもない。
その七色の膜を引きちぎって、空に吹き上げられた岩石が落ちてくるのが見えた。
さらに、地鳴りはまだ続いている。
山が崩れる予感がする。
というか、もう崩れていた。
「どうなってるの⁉︎」
「いまはとにかく走る!」
着地した時点でかなり山から下りることができていたけれど、そこら中の地盤が柔らかくなっていて、まるで泡の上を走っているかのようだった。
強化された身体能力では、簡単に踏み抜いてしまいそうだ。
それでも足を止めることも慎重になることも許されない。
ただひたすらに山から距離を取るために走り続けるしかない。
ドワーフたちに危険を知らせることもできない。
いや、すでに気付いて対策していると信じるしかない。
岩が落ちてきた。
巨大な岩から砂粒まで様々だが、それらがひっきりなしに地面に到着する。
爆発する。
震動によって柔らかくなった地面をかき乱し、衝撃波の嵐が俺たちの体を再び宙に放り投げた。
空は絵の具をむちゃくちゃにかき回したみたいになっていた。
落ちてくる物全てが大気に線を引いている。
空の色がおかしくなったことと関係しているのだろうか?
考えている暇はないのだけれど、こんな光景を見ると考えてしまう。
ほんのわずかな時間でしかない。
なぜなら、危険がすぐ側にまで迫っている。
刃喰を抜き、視界を埋め尽くした岩を切る。
属性を使い、視界を占める線の全てに刃喰の刃をなぞらせれば、俺とスラーナに落ちてくる巨大な岩は全て粉微塵に変化した。
使い方がわかってくると、この力は強すぎて使いたくなくなる。
強いことが悪いことではないのだけれど……なんだろう。
学びの瞬間を失っているような気がしてきた。
いやいや、余計なことを考えている。
そんな場合じゃない。
二人で、無事に地面に戻ることができた。
さらに走ろうとしたところで……。
一際に激しい光と音が空を駆け抜け、未だ降り注ごうとしていた岩の雨を全て薙ぎ払ってしまった。
同時に、あんなにも激しかった地震までも収まり、周囲が急激に静けさを取り戻そうとしていた。
「なに?」
スラーナが先に呟いた。
だけど、振り返ったのは同時だ。
そして、見た。
山の上。
破壊された龍穴の上に立つ、巨大な存在を。
それは炎だった。
壊れた山の頂上から噴き上がる炎。
山火事が起きたとか、そういう物ではない。
山の中腹に残っている木々に引火しつつあるけれど、それは後から起きていることであって、いまそこにある存在とは違う。
そう。
あれは現象ではなく、存在だ。
そこにいる生物だ。
「キヨ……アキか?」
吹きつけてくる風に感じた気配に、俺はそれを感じた。
これだけ距離が離れていてなお巨大に見える炎から、視線が俺たちに向けられた。
そして次の瞬間、さっきまであった炎が消え、俺たちの前に赤い衣を纏ったキヨアキが立っていた。
俺たちがよく知っている姿なのだけれど、やはりあちこちが違う。
はっきりと違うのは、瞳が真っ赤になっていることだ。
「キヨアキ……変化したの?」
「……ああ、そうだ」
スラーナの質問に、キヨアキはつまらなそうに答えた。
「はっ。こんなもんか」
「なに?」
「いいや。俺は、お前に期待しすぎたんだって、わかっただけだよ」
つまらない。
キヨアキの顔にはそう書かれていた。
変化してもなお人間らしい表情を浮かべて、俺たち……俺を侮った顔で見る。
そうだ。
最初にこいつと会った時にしていた顔だ。
「変化はすげぇな。なんで昔の人類は怖がってダンジョンに逃げたのか。こんなにもすげぇなら、俺の先祖も逃げなければよかったのにな」
「カル教授を知らないか?」
キヨアキの表情のことはいい。
それよりも問題はカル教授だ。
俺たちはあの人について来ていたんだから。
ここにキヨアキがいたことは驚きだけれど、さっき、人間が変化したばかりのようなのもいたのだし、なにかの流れでここにくることになったのだと解釈しておく。
「俺のことより、教授の心配か? 大丈夫だよ。ちゃんと俺が、流血の中に沈めといたぜ。無事なら、ちゃんと変化してるんじゃねぇのか?」
「……そうか」
龍穴に辿り着いたのか。
「それならいいんだ。俺たちは、カル教授の無事をたしかめたら帰る」
なにか不穏な気配が満ちているけれど、俺はそれを無視して話を進めた。
焦るな。
目の前のキヨアキの出している空気に飲まれるな。
俺は、ここに戦いに来たわけじゃない。
「それで、キヨアキはどうするんだ? まだトバーシアと一緒なのか?」
「あいつらとはもう別れたさ。それより……」
言葉の途中で、使ったままだった属性の視界に線が走った。
切る線ではない。
避ける線だ。
咄嗟の行動の結果は、地面に刻まれた割れ目だ。
「ちょっと腕試ししていかないか?」
キヨアキの笑みは、ゾッとするような鬼気を孕んでいた。