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第13話

 通称、アンネローゼ毒殺未遂事件。

 本来の時系列とは異なるタイミングで発生した原作イベントを乗り越えてからすでに1週間がすぎていた。

 あの事件をきっかけに、周囲から嫌悪に満ちた視線を向けられることが減ったように思える。

 なくなった、といえないのは少し悲しいけれど。

 ともあれ、そんな風に少しずつ私がすごす環境は変わりつつある。

 その中で一番の変化と呼べるものは――

「あわ……あわ……」

 リリは椅子に座ったままモジモジと落ち着かない様子だった。

 私たちは今、あの事件があった庭園にいた。

 そこで円形のテーブルを囲み、小規模な茶会を催しているわけだ。

 普段メイドとして仕事をしているリリにとっては、自分がもてなされる側になるのは居心地が悪いのだろうか。

 あるいは――もう1人の人物が原因か。

(私は今、原作キャラと優雅にお茶を飲んでいる……!)

 とはいえ、リリのことを笑えはしないだろう。

落ち着いた風を装いながらも、実のところ私も少し浮足立っていたからだ。

「そんなに緊張しなくてもよろしくてよ」

 緊張に支配された茶会。

 その中で1人、落ち着いた様子の女性がいた。

 彼女はこの茶会のもう1人の参加者であり主催者――アンネローゼ=ハートだ。

「今回は、先日の件について貴女たちに感謝を示すための場なのですから」

 彼女は優雅に紅茶を嗜み、そう言った。

 すべての所作が洗練されていて、カップを机に置くときにも一切の音がしない。

 これが本物の淑女というわけか。

「改めてエレナ様。リリ」

 微笑みを消し、真剣な表情になるアンネローゼ。

「先日は……ありがとうございました。貴女がいなければ、今ごろどうなっていたか」

 彼女はそう一礼した。

 あれから私たちに起きた最大の変化。

 それは、アンネローゼとの仲が深まったことだ。

 それこそ友人Gくらいの立ち位置にはなれたのではなかろうか。

「そんなことは……あと……エレナ様はちょっと……」

 私は思わず口ごもる。

 ただの平民でしかない身としては、様と呼ばれるのは照れくさい。

「貴女は魔王様の客人なのだから敬称をつけるのは当然ですわ。むしろ、先日が激情に任せて礼儀を失していたというべきで――」

 しかしアンネローゼは改めるつもりはないらしい。

 たしかに、今の私はリュートの客という立場なのだ。

 王の客人を相手にフランクに接するわけにもいかない。

 そう言われてしまえば、否定しづらいのも事実だ。

 この世界は、私がいた世界よりもそういう身分に関するマナーには厳しそうだ。

「……正直に申しますと、あのときのわたくしは心の底から貴女を軽蔑していましたわ。傲慢なばかりで誇りの欠片もない人間である、と」

 アンネローゼは目を閉じる。

 思い返すように、自戒するように。

「客観的に貴女を評価していたつもりが、風評に踊らされていたわけですわね。恥じ入るばかりですわ」

(ほんの数日前までその通りの人間だったなんて言えない……)

 少なくとも、この体の持ち主はそういう人間であった。

 災厄の黒魔女の看板に偽りなしだ。

 まさか唐突に中身が変わっているなんて予想できるわけがない。

 彼女に侮蔑を向けられていたことを責められるはずもない。

「あのぉ……や、やっぱり私って場違いじゃないですか? エレナちゃんみたいに役に立てなかったし……」

「そんなことはありませんわ」

 自信なさげなリリの言葉を否定したのは他ならぬアンネローゼだった。

「巻き添えに等しい形で被害を受けておきながら、恨み言も言わずに事態の究明のために奔走してくれた。その事実は貴女が思っている以上に、当事者にとってありがたいものですのよ」

 なるほど。

 アンネローゼの言い分もわかるかもしれない。

 状況は違うが、それは私も同じだったから。

 あの事件の捜査だって、リリが容疑者仲間(不本意だが)として一緒にいてくれ事実は、間違いなく私の支えになっていた。

 リリ=コーラスはそういう少女なのだ。

「アンネローゼ様が優しい方であることはよく分かっていましたから」

 彼女の言葉で少し不安がほぐれたのだろうか。

 リリは少しためらいながらも、紅茶のカップに手をつけた。

「それに、もし犯人が分からないままだったら、次はもしかしたら……って思うと放っておけなかっただけで」

(そんなことを考えていたのね)

 正直なところ、私は自分の状況を打開することで精一杯だった。

 どうやって疑いを晴らすかばかりを考えていた。

 だけどリリはそうじゃなかった。

 一緒に疑われている私だったり。狙われていたアンネローゼだったり。

 他の人ばかり気にかけている。

 主人公気質とでもいえばいいのだろうか。

「あら。わたくしは、貴女にそこまで想ってもらえることをした覚えはないのですけれど」

「そ、そんなことありませんよっ」

 リリが語気を強める。

「アンネローゼ様に厳しく言われるときは、いつも理由がありますし」

 彼女は語る。

「指摘されることは、努力でどうにかなることだけで。私の生まれだとか……どうにもならないことを悪く言われたことはなかったから」

 ――聖魔のオラトリオReverseにおいて主人公とライバルという関係にある2人。

 だが、意外にも2人の仲は悪くない。

 リリはアンネローゼに好感を持っているし、アンネローゼも彼女を蹴落とすような手段を取ったことはない。

 ……本当にエレナとは大違いである。

 だからこの2人は友達ルートを支持するファンも多いのだ。

(役得……)

 内心ホクホク顔で私は紅茶を飲む。

 私の眼前で繰り広げられている光景は、プレイヤーのままでは絶対に見ることのできないやり取りだった。

 初めてこちらの世界に来てよかったと思える体験をした気がする。

 きっと、それだけ平穏な日々を手にしつつあるということなのだろう。

「そんなことは当然ですわ。魔族としての身体的特徴の有無だなんて、個性の範疇でしてよ」

 アンネローゼは微笑む。

 しかし、彼女が口にするのは魔族において少数派に位置する意見だった。

 角、翼、尾。

 魔族はいずれかの特徴を持っている。

 だから、それら一切を持たないリリは虐げられた。

 なのにアンネローゼは、その程度の差異は個性でしかないと一蹴した。

「たとえ肉体的に魔族の特徴がなかったとしても、魔族領で生きていけるという時点でそれが魔族である最大の証明ですわ」

 魔族領には、魔素と呼ばれる物質が大気中に存在している。

 それは魔族以外には毒となり、魔族領での生存を許さない。

 魔素の中でも生きていけるのは2種類のみ。

 魔族。そして、聖女の祝福を受けている存在だけだ。

 ゆえに、ここで問題なく生活できているという事実そのものが、リリが魔族であるという証明として機能するのだ。

 もっとも――

「むしろ、わたくしとしては人間である貴女が不自由なく生活していることのほうが驚きですわ」

 気が付くと、話題は私へと向けられていた。

「私はリュ……魔王様の血を飲んで、後天的に肉体が魔族化しているので」

 とはいえ、これに関しては話せないことというわけではない。

 私はシナリオで語られていた情報を口にした。

 エレナ=イヴリスは魔族と通じるにあたり、肉体を魔族化させている。

 数滴ほどリュートの血液を取り込んだだけなので、肉体は変質していない。

 だが内臓はそうでもないらしく、エレナの体は魔族領でも問題なく生活できるのだ。

(だから私の体って、純粋な人間じゃないのよね)

 ちょっと複雑な気分である。

 今のところ不都合はないので、本当にちょっとだけだが。

「魔王様の血……うらやましいですわ」

 気が付くと、アンネローゼが唇をとがらせていた。

 リュートを敬愛する彼女にとって、彼の血を賜ることも喜びの対象らしい。

 血の一滴さえ愛おしく思う。

 誰かを好きになるとは、そういうことなのだろうか。

 あいにく、現実での恋愛は経験がないのでよく分からない。

 ちょっとだけセンチな気分になっていると――

「きゃぁっ!?」

「なんですの!?」

 ――目の前の机が破壊された。

 紅茶とクッキーがまき散らされる。

 どうやら、驚きすぎると声が出ないらしい。

 私はカップを手にしたまま固まっていた。

「えっと……男の人?」

 おそるおそるテーブルがあった場所を覗き込むリリ。

 彼女に追従して視線を動かすと、そこにいたのは1人の少年だった。

 彼は眠ったようにテーブルの残骸の上で倒れている。

「はぁ……わたくしが主催する茶会は邪魔が入る運命にあるとでもいうんですの……?」

 アンネローゼは悲しげな表情を浮かべていた。

 それでも即座にメイドを呼び、彼の介抱に動こうとしているのはさすがというべきか。

(まさか彼は……)

 少年は黒髪で、それほど特徴的な容姿というわけではない。

 たとえるのなら、クラスで一番モテている運動部の男子――みたいな。

(もう1人の攻略対象……ソーマ)

 学生服の少年。

 それが聖魔のオラトリオReverseにおけるもう1人の攻略対象だった。


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