格納庫に隣接する工房街を大股に歩く。
俺の顔を見れば大体の奴は道を開ける。別に取って食うつもりもなければ、端から喧嘩腰で来ない相手をぶん殴るような趣味もないのだが、時間が惜しい今は素直にありがたかった。
薄汚いレンガ造りの一角。熱された鉄と油の臭いが染み付いている店のシャッターを潜った。
「邪魔するぜぇリヴィ」
「えっ、ヒュージ君!? 捕まってたんじゃないの!?」
1歩踏み入った途端、オバケでも見たかのような表情が飛んでくる。
相変らずいきなり失礼な娘だ。とはいえ、不真面目な保安官様は酒代分の仕事をしてくれたらしい。
「まぁ色々あってな。頼みは聞いてくれたか?」
「あんな無茶よく言うよ。ディーちゃんを探して整備しろなんて、リオが手伝ってくれなきゃ絶対無理だったんだから」
「組合受付の姉ちゃんが?」
「証拠品としての調査が終わって留置されてたのを、法令整備扱いでウチに送ってくれたんだ。原因は設置無線機の旧式化、違反状態だから強制載せ替えの上再登録。高いよ?」
腕を組みながらふんすと大きく鼻息を吹くオリヴィア。
我ながら無茶な注文をしたことは分かっているが、また中々に意外な人名が出てきたものだ。
「借りが出来ちまったな。清算はおいおいで頼む」
「あっ! そうそう、それから」
「まだなんかあんの――か?」
これ以上借りが増えたら返し切れる自信がなくなりそうだ、なんて苦笑しかかった所で、店の奥から小さな人影が飛び出した。
腹の辺りに走る軽い衝撃。みぞおちに頭突きを貰ったにしては、あまりにも貧弱であまりにも優しいアタック。
「お兄さん!」
白い長髪に褐色の肌。潤む大きな瞳は深い青で、特徴的な困り眉をそのままにしたのは、ここに居るはずの無い見知った顔。
咄嗟にハァ? と変な声が出るのもむべなるかな。しかし、その見た目から少年らしからぬ雰囲気の少年は、無作法な声すら気にかけた様子はなく、小さな額をぐりぐりと俺の腹筋に押し当てていた。
「よかった、よかったよぉ……」
「えっ、なんで? なんでエルツがここに居んの?」
「本当に知り合いだったかー」
俺が名前を呼んだことで、オリヴィアは納得したらしい。いつの間にか背の高いスツールに腰を下ろし、ニマニマとこちらを眺めている。
ブラックブリッジ炭鉱に住む野人の少年。それが何故ここに居るのだろう。
あまりにも意外過ぎる再会にこちらが困惑していれば、少しは落ち着いてきたらしい。エルツはゆっくり体を離しながら照れくさそうな笑みを浮かべた。
「ごめんなさい突然……僕、行商で来たんです。おじいちゃんが町のことも知っておきなさい、って言ってくれて」
「んで、迷ってた所をアタシさんが拾っちゃったって感じ」
面倒見のいいお姉さん、みたいなポジションを近所のガキどもから得ているオリヴィアの事だ。経緯の詳細はともかく、困っているエルツを放っておけなかったのだろう。
「可愛いよねぇこの子。君の機体だって言ったら、僕も手伝います! なーんて聞かなくてさぁ?」
「あわわわわ!? お、オリヴィアさん! 言わない約束! もごっ!?」
「ごめんごめーん、ついついからかっちゃうんだー」
「あうあうあう……」
スツールから伸びてきた腕に抱きすくめられ、少年は顔を真っ赤に染めながら沈んでいく。
下層に暮らす生意気なガキばかりを相手取るオリヴィアからすれば、この大人しい少年は珍しいのかもしれない。まるで抱き枕のようにしながら、白髪に頬ずりを擦る始末。男としては、あの胸元に顔を収められるなんて羨ましい限りだが。
「玩具にされてんじゃねぇか。よかったなエルツ。リヴィに好かれるなんざ、周りの男どもから熱烈な殺意がもらえるぜ」
「ええええええっ!? ぼぼぼ僕、そんなつもりはなくてぇ!?」
「アッハハハハハ! まったまたぁ、気のいい冗談言っちゃってさァ! 似合わないぞー」
少年の頭をぐりぐりと撫でながら、ケタケタ笑うオリヴィア。おかげでため息が出た。
こいつのことは、まだ職人見習いのガキだった頃から知っている。そんな頃から既に男どもから熱い視線を受けていたこともだ。しかし、年頃であろう今に至ってなお、自分みたいに油臭い女がモテるはずがない、と言ってはばからない。
まぁ、わざわざ指摘するつもりもないのだが。
「んなことより相棒の修理だ。どれくらいで終わる?」
「部品あり合わせでいいなら、明後日には仕上げるよ。あぁでもさでもさ、せっかくあちこちバラしてるんだから、今回こそ強化品入れない? 最近、よさげな蒸気コンデンサが手に入ったから試してみたくて――」
「明後日に仕上がるなら全部突っ込んでいい。ありったけだ」
「まぁだよねー。やっぱ改造はさせてくれな――えっ、ありったけ?」
カウンターについた肘へ顎を乗せようとして、突然カクンと姿勢を崩すオリヴィア。
「セッティングは任せる。あぁそれから武装も頼みてぇ。どんなのでも構わんからできる限り集めてくれ。金はコンテナの中から引っ張り出せ」
「わっ、ちょっ、待って待って!? 今度は何と戦うつもりさ!?」
「さぁな? 分かんねぇから頼んでんだろ」
呆けた彼女は投げ渡されたコンテナの鍵を、ワタワタしながらどうにか床に落とさず掴まえる。
乗り掛かった船はあまりに大きく、だからと言ってここで尻を捲るのは俺のプライドが許さない。だが、自分には足りない物ばかりなのもまた事実。
これは投資だ。今まで生きてきた中で間違いなく最大の。
ニヤリと笑った俺に、オリヴィアは小さく頬を引き攣らせた。
「い、いきなり忙しくしてくれるじゃん。でも、ディーちゃん自体はともかく武器なんてそう簡単に――」
見つからない、と彼女が言おうとしていたのは間違いない。
当然だろう。いくら都市外労働者が武装を認められていようと、あくまで建前は護身用。スチーマン自体、軍隊のようにハリネズミにすれば工房まで目を付けられるのも必至。
だが。
「あ、あります!」
俺の目の前に細い手が挙がった。
「……エルツ、君?」
驚いた様子のオリヴィアを尻目に、少年の目はジッとこちらを捉えている。まるで俺からの許可を待っているかのように。
男の目だと思った。ならば、ガキとして見る必要もない。
「聞かせな」
エルツはこくんと頷くと、汚れたスクロールを鞄から取り出してカウンターの上に広げた。
荒々しい文字で刻まれた簡単な一覧。最後にはドーフォン・クラッカのサインまで入っている。
「こいつぁ……ジャンクのサルベージ品か?」
「はい。前のレイルギャングが使ってた武器とかスチーマンの残骸とか、売り物にできるようにって皆で集めて綺麗にしていたんです。僕がコラシーに来たのも、そういう物の買い手が見つかればと思ってですし……」
軽く顎を撫でる。
確かにあの一団の武装は悪くなかった。尤も、連中は整備がヘボなのか腕がカスなのか、何一つまともに使えていなかったが。
「キヒッ! こいつぁ使えそうだ。リヴィ、頼む」
「あいよ。いいよねーおやかたー!?」
「あぁぁあ? あんだってぇ?」
工房の奥からしわがれた声が聞こえてくる。
親方が仕事場に居るとは珍しいこともあるものだ。ここ数年は隠居したとか言われて、ほとんどオリヴィアとその兄弟子が工房を切り盛りしていたというのに。
「スチーマン用武装の仕入れ! この子のとこから親方の名義で買っていれてもいいよねー、って話!」
「そんなしょーもねぇ話、わざわざ言ってくんじゃねぇ! 赤字出さねぇなら好きにすりゃええが! ワシゃ今忙しいんぞぉ!」
「おっけぇ!」
びりびりと響く声に、エルツが体を縮こまらせる。
元々はジジイ相手にオールドディガーを触っていた爺さんだ。背が低くて腰の曲がった枝きれみたいな老人だが、ガキの頃に感じた迫力は本物で、今でも思い出すと少し体が震える。
「爺さん、意外と元気そうだな……」
「相変わらず頑固だよ。何だか知らないけど、特別な仕事が入ったとかで最近出てくるようになってさ。せっかくだから手伝わせてって言っても、部品の1つも触らせてくれないし」
「聞こえてんぞぉ、コラァ! ガタガタ言ってねぇで自分の仕事しねぇかぁ!」
「はいはーい! 全く、耳遠い癖になんで悪口だけ聞こえるんだろ」
ブーと頬を膨らませるオリヴィア。相変わらずの怖いもの知らずには恐れ入る。
尤も、そういう所が気に入られて弟子入りを許されたのだろうとは思うが。
「エルツ、お前1人で帰れんのか?」
「はい! 明後日に間に合わせてみせます!」
ポーチから往復の切符を取り出して、エルツは珍しく気合いの入った表情を作る。
「なら任せるぜ。俺は俺で、やらにゃならん事がまだあるからな」
ひらりと手を振って、喧しくなった工房を出る。
大口叩いた反面、俺の財布の中身は乏しい。次はそいつを何とかしなければ。
とはいえ、珍しく当てはあるのだが。